2014/1/15, Wed.

 十時に目覚めたその瞬間から頭痛があった。おそろしい冷えこみの朝だった。窓外には今にも雪が降りそうな真っ白い空が広がっていた。十時半をすぎて布団から抜けだして米、納豆、豚汁、ハム、からあげ、キャベツを食べた。食べながらGuardianを読んだ。
 昨日の日記を書いて十二時を過ぎた。風呂を洗ってから松平千秋訳『イリアス』第六歌を読んでいると白雲が割れて陽が射しこんできた。Freddie Hubbard『Open Sesame』を流して腕振り体操をし、瞑想をしてからゆっくり風呂につかった。
 駅をおりると空がすっきりと晴れていた。コンビニに寄って一万円おろすと残高は十一万五千円になった。泌尿器科を訪れるのは二か月ぶりだった。小水をとり、問診票には前回と同じく「陰茎」「腫れた」という選択肢に丸をつけた。陰部が腫れたのは正確には先週の木曜日で、その日は医院が休みだったため受診できずまた続く日々も祖母の一件があって忙しかった。様子を見ていたら一日で腫れはおさまったので安心していたが、赤みがとれないので祖母が落ち着いている今のうちに一応受診しておくことに決めたのだった。室内は混みあっていたので外の木製の椅子に座って待った。座った直後に大きな車椅子に乗った老人と付きそいの看護士らしき女性がやってきた。老人は女性なのか男性なのか判別がつきがたいがどちらかといえば女性らしい面影が見られた。明らかに身体が動かないようで、もはや椅子の一部ではないかというほどに沈みこむようにして座っていた。女性が受付にいっているあいだ、そして戻ってきてからも老人はずっと、「あいやいあいやい……」と無理やりひらがなを当てはめればそう聞こえるような読経めいた低い声をもらしていた。右方、並ぶ木椅子の端に花があることに気づいたのは去っていく患者の話を耳にしたからだった。造花である。鶴の頭のように湾曲した支柱に薄く桃色に染まった花びらが一列に並んでついているそれは患者によれば胡蝶蘭の花であるらしかった。
 ガルシア=マルケス予告された殺人の記録』を読んで待ったが、三時半に着いてようやく受診できたのは五時ごろで、大変お待たせしましたと受付の女性にも医師にも言われた。このあいだと同じような感じだと言うと開口一番、アトピーかなにか持っているかと問うので、まさに今苦しんでいるところの身であると答えると、やはり関係があるのだという。とはいえ局部を見せるとこれなら特に問題はないということで炎症をおさえる塗り薬だけもらって帰ることとなった。待っているあいだは仕事に間に合わないのではないかと危ぶんでいたが、結局一番ちょうどいい時間に職場に着くことができた。
 かなり暇を持て余した労働だったが暇なら暇で時間が過ぎるのが遅いのがつらいところではあった。電車で帰った。生徒と一緒になった。奥さんはいるんですか、と聞かれて思わず吹き出してしまったが、よく考えるといても特に不思議ではない年になっているのだった。つい一日前に二十四になった。兄は三十になろうとしている。両親は五十半ばを越えた。冗談のように消え去っていく毎日のせめてかけらだけでもどうにかとどめたくてこうして来る日も来る日も飽きもせずに変わり映えのしない日々をつづっている。