十一時に起床した。最近は寝坊がとまらずどうしようもない。アラームを鳴らさずとも六時や七時に目が覚めていた時期と比べると睡眠の質が落ちていることの証左だろうが身体のかゆみがその第一の原因ではないかと思われた。今日もまた冬らしい冷えこみで三枚の布団をかぶっていても冷たさが足に染み入るのだった。納豆がなかったのでハムエッグを焼き、米、残りかすのような具しかないけんちん汁、大根とシーチキンのサラダ、キャベツを食べた。Hank Mobley『Soul Station』『Roll Call』を流しながら午後一時半まで昨日の日記を書いた。このような文章にこれほど時間を費やす意味があるのか疑問だったが、書きたいという気持ちがあることだけはたしかだった。このようなことを書きつけてしまうこと自体が弱気のあらわれであるにちがいなかった。ここ数日は仕事の時間の都合上、寝て起きてから前日の日記を記す形をとっているが、このやりかたはやはりなんとなく慣れないのだった。睡眠を挟むと記憶の鮮度がいくらか失われてしまう気もするし、なにより昨日を延長させて今日に持ちこんでいるような気がしてどことなく落ちつかなかった。
風呂を洗おうとリビングに上がると同時に母が帰宅した。なんか平気そうだよ、まだ少し元気になったみたいと言う。どうだかわかったものではないと思いながら部屋に戻り、ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録/十二の遍歴の物語』を読みはじめた。『Helen Merrill』がかかるなか、二時半に『予告~』のほうは読み終わった。Matthias Spillman Quartet『Live at The Bird's Eye Jazz Club』を流して松平千秋訳『イリアス』第七歌を読んだあとに今度は後半の『十二の遍歴の物語』を読みはじめ、最初の篇である「大統領閣下、よいお旅を」を読んで書きぬきを終えると同時に午後四時の鐘が町に響いた。窓外の光は薄くなり、夕刻に向かうもののさびしさをたたえた淡青色の空にはもういくらもしないうちに月が浮かびはじめるはずだった。
黒猫が坂の入口あたりを横切って道の横から下におりていくのを見た。遠く山の際では漂白されたように白い空が儚いくらいにほのかな紫色を含んでいたが、歩いているうちにそれらも藍色の夕闇に溶けていった。Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』を聞いた。"My Foolish Heart"が流れはじめて耳がそちらに向いた瞬間、心が打ち震えた。身体の底から生まれた振動がしびれのように上へと伝わっていき、涙と変わってまぶたにたまるのを感じた。このような音楽を生んでしまった三人に、世界に感謝するしかなかった。振りかえると残照が西の山の向こうを白く染め、最後の光に照らされて巨船めいた灰色の雲が浮かび上がっていた。
帰宅しても八時を過ぎておらず、風呂から出ても十時になっていないということはひとつのたしかな喜びだった。夕食は煮込みうどん、野菜炒め、大根とシーチキンのサラダだった。Kenny Dorham『Quiet Kenny』を流しながら日記を書いた。数日前に導入した温冷浴のおかげかどうなのか、アトピーの具合は今日にいたって目に見えてよくなっているようだった。ストレスに弱くて神経症になった身としては少し気を抜くと身体の不調があらわれるのだから、恒常性を保つ生活習慣はきっちりと身につけなくてはならない。明日も仕事が入ってしまったことだけが憂鬱の種だった。