2014/1/19, Sun.

 松平千秋訳『イリアス』第八歌を読み、軽い瞑想をしてから床についたのは午前一時だったが、救いようのない寝坊をして起床したのは十一時半を過ぎたところだった。米、納豆、餃子、けんちん汁といえばいいのか豚汁といえばいいのかよくわからない汁を食した。けんちん汁といえばいいのか豚汁といえばいいのかよくわからない汁は昆布茶で味をつけたということなのでもはやけんちん汁でも豚汁でもないのではないかとも思われるが、美味だった。
 カフカ池内紀訳『城』を読んでいるとTから電話があって三十分話し合った。風呂を洗ってコートに着替えた。髪がぼさぼさでひげもそっていないといかにも不健康そうに見えた。誰もいないリビングに書き置きを残して家を出た。
 西天から降り注ぐ陽光で視界が金色に染まった。吹き過ぎる風は冷たいが、揺れて触れ合う木々のざわめきの音や竹の葉の鮮やかな緑色は心地よかった。Miles Davis『Kind of Blue』を聞いた。"Blue In Green"の旋律が感傷を催させた。地元の図書館でカフカ『城』、フローベールブルターニュ紀行』、イサベル・アジェンデ『精霊たちの家』を返却し、前の二つはもう一度借りることにした。アジェンデは返却することに決めたが、読むべき本であるならばおのずとまた読む機会が来るだろう。受付の研修中の男性ははじめて見る顔だった。赤ら顔で髪が薄くなっており、加齢臭なのかすっぱいような妙なにおいがした。こちらの二冊だけもう一度借りたい旨を告げるとやや動揺を見せた。腰は低いがそれは慇懃というよりは卑屈に見えるたぐいのもので、ロシア文学の登場人物のようにへ、へ、へ!と笑いそうな雰囲気があった。端的に言って中年の悲哀を一身に体現したような姿であった。
 駅に戻ってホームで電車を待っていると線路脇のフェンスの上にカラスが一匹とまっていた。鳥という生きものは筋肉の関係なのかゆっくり持続的に動くということはせず、さっと一瞬でわずかに動いては止まり、また動いては止まりということをくり返すのだった。カラスはしばらく周囲を見まわしていたがやがて飛び立ち、駅舎の入り口の屋根の端にとまった。その先の空は小川の流れを思わせるようなすっきりとした晴れ空でありながら工場の排煙のように灰色がかった雲がひとつ浮かんでいた。
 『Miles Davis and the Modern Jazz Giants』を聞いた。"The Man I Love"のイントロの一音目から頭の先がぞくぞくした。トランペットによるスローテーマを経てスウィンギーな4ビートとなるヴィブラフォンのソロではMilt Jacksonがその天才をこれ以上ないほど発揮し、まちがいなく生涯最高のソロのひとつであろう名演を繰りひろげているのだった。ソロの最初から最後までただの一音たりとも無駄な音は存在しなかった。続くThelonious Monkのソロのなかば、ジャズの歴史において永遠の語りぐさとなるであろう場面があることはこのアルバムを聞いたものなら誰でも知っている。Monkが突如として演奏をやめ、ドラムの音とPercy Heathの奏でるベースの旋律だけが聞こえるなかMilesが我慢できずにトランペットに息を吹きこむ、とほとんど同時にMonkが演奏を再開するのだが、通常ならば瑕疵として見なされるであろうこの一連の流れをも含めてこの曲の八分間においては、あるべきものがあるべきところにはまっているという必然の感覚をもって完成されているように聞こえるのだった。
 立川の空に雲はなかったが午後三時も近くなると透きとおった冬の光も勢いを弱め、地上のなかばは影に覆われて吹きつける風の冷たさがきわだった。駅を北に出ると高架歩廊の縁に人々が集まっていた。列のあいだから下を眺めると、田母神俊雄都知事選にむけて遊説に来ているのだったが本人の姿は見えず、車上に立つ二人の弁士のうちの一方が声を張り上げ熱のこもった演説をしており、それに対して無批判的な素朴さをもって手を叩いて歓声をあげる人の姿も見られた。
 本を返却すると受付の女性が深々ときれいなお辞儀をしてみせた。CDの返却を受けつけた女性は若さの盛りは過ぎたものの白い肌が目に美しく数年前は美貌だっただろうと思わせるところがあった。もう一人の女性と比べると、丁寧ではあるが必要以上の愛想は見せないビジネスライクな乾いた態度を見せた。CDは坂田明&ちかもらち『ちかもらち 空を飛ぶ!』、Kenny Dorham『Una Mas』、Kiss『Destroyer』を借りた。本は写真集の棚をいくらか眺めて、Hさんとお好み焼きを食べた日の本屋で見かけて気になっていた『ロベール・ドアノー写真集 芸術家たちの肖像』と、「残照」という言葉に惹かれて清水安雄撮影『古鎮残照』を借りることにした。今日はリュックのなかが狭くなるのを避けてトートバッグを持ち、それに立川図書館の本を入れてきたのだったが、どちらも大型本なので偶然にもこれが再びここで役立つこととなった。
 風がなければ寒いどころかむしろ室内の暖房でいくらかほてり気味になった肌に外の清涼さが快いが、ビルの合間を吹き流れる冬の風のなかに入ってしまうとつのるマフラーへの恋しさに冬の実感を覚えずにはいられなかった。狭い空間のなかに無理やり押しこめたように急傾斜をなす階段をおりてコンビニに入り一万円をおろした。これで残高は十万五千円となった。黒人のカップルにしたがってコンビニを出たが女性のほうと並ぶと香をたいたようなにおいがした。横断歩道には老人から母親に抱かれた赤ん坊まで雑多な人々が集まり、信号待ちをする彼らの視線は一様にこちらを向いていながらもやはりどこか統一しきらない拡散を見せていた。階段の裏側となる高架下の空間に陽が射しこみ、ほっとするようなオレンジの陽だまりのなかを自転車が一台駆け過ぎていった。
 おろした一万円の大半を使って六枚のCDを買った。現代ジャズの新譜には期待のできないHMVではあるがニュースで見かけて気になっていたLauren Desberg『Sideways』があったのは僥倖だった。ポップなにおいを感じさせるようなジャケットの女性ボーカルだったが、Gretchen Parlatoがプロデュースをつとめ、バックにTaylor EigstiとDayna Stephensがいるのであっては興味を惹かれるのも道理だった。新しめのものはあとAntonio Sanchez『New Life』とKendrick Scott Oracle『Conviction』を買い、古めのものは三枚ともHank MobleyのBlue Noteの諸作、『A Slice of the Top』『Third Season』『Thinking of Home』に決めた。Hank Mobleyは驚嘆するほどの名盤や名演を残したアーティストではないがなぜだか彼のアルバムはよく聞くしまた集めたくもなるのだった。
 斜陽のなかでアコギを持って歌うストリートミュージシャンの前を通り過ぎて駅へとむかった。街は薄暮れへとむかい、そそり立つ立川駅のビルの前面は暗くなったが、側面の白壁が頬を染めるように朱色をおびるのを見た。Miles Davis『Milestones』を流し、よく伸びるゴムのような弾力をもったCannonball Adderleyのサックスを聞いた。
 地元に着くと空気には水中めいた青さが含まれはじめていた。南東の空には山のきわから繊細微妙なグラデーションが広がっていた。青紫はなめらかに赤紫に移行し、青の色素が失われて朱に接続すると、この上なくほのかに色味を残した白を経由したあとは澄んだ水色の空がこちらの頭上にまでつながっていた。
 帰宅して空腹を抱えながらも七時半まで借りたCDをインポートし、録音データを記録した。夕食はカレー、サラダ、しゅうまいだった。King Crimson『Ladies of the Road』を流した。冒頭の"Pictures of a City"を聞いていると記憶が刺激され、おそらくBlack Sabbathのなにかの曲に酷似しているような気がしたが思い出せなかった。カフカ『城』をわずかに読んでから風呂に入り、ガルシア=マルケス『族長の秋』をぶつぶつとつぶやきながら湯を浴びた。温冷浴を正確に何日からはじめたのかなどということは覚えていないが、体感では一週間ほど経ったのではないかと思われるところ、初日は足先に水をかけただけで体全体がびくついていたのに今はもはや何ともなくなっていた。ただ心臓に直接水を当てるのは気が引けてまだ避けていた。温冷浴はパニック障害をともなって自律神経が失調した時期にやっていたことがあり、当時はさしたる効果を感じられなかったがこのたびのアトピーにたいしてはどうやら有効であるという実感を得た。先日、塾でやはりアトピーに苦しんでいる生徒がいたのですすめておいたが彼は実行しただろうか。