八時に起きてリビングにあがるとまだ父がいた。常ならばすでに通勤の時間であるはずだがいまだ寝巻き姿でいるので休みなのかと思いながらカレーを食べているとスーツに着替えて階段をのぼってきた。先日熱を出して会社を休んだ風邪のなごりか時折り咳きこんでみせたが、その乾いた咳自体はもうずいぶんと以前から聞いているような気がして風邪ではないなにか別の病気なのではないかと懸念を抱えながら疑っているのだった。
the pillowsの曲をyoutubeでいくらかあさり、また手持ちの音源を流すのにひととおり満足すると、山下洋輔『Pacific Crossing』を流しながら音楽的年表を作製した。松平千秋訳『イリアス』の第九歌を読み、山下洋輔トリオ『Hot Menu』を流しながらカフカ/池内紀訳『城』を読みはじめるが半身まで布団をかけながらベッドボードにもたれていると睡魔に襲われ、目覚めたときには消えているかすかな夢の手触りを間欠的にくり返しながら一時四十分まで眠った。それからリビングにあがってカレーの一杯目を食べ終わったところで母が帰宅した。大儀そうな様子で洗濯物をとりこんでくれと言う声にも力がなかった。ベランダに出て森の上空から降り注ぐ午後二時の陽光を浴びると歩き出したい気分に誘われたが今日はもうどこへ行く時間もなかった。二杯目のカレーを食べながら公園のトイレが凍っていて水が流れなかったという母からの報告を受けた。
坂田明&ちかもらち『ちかもらち 空を飛ぶ!』を流し、五十八の英文を音読した。続けてガルシア=マルケス『族長の秋』を冒頭から八頁音読し終えると急いで風呂を洗い、シャツにアイロンをかけた。今日もまたいつの間にか午後三時を過ぎているのにカフカをいくらも読み進められていないおのれの不甲斐なさに対する焦りがあった。読みたい本はいくらでもあった。アイロンをかけていると母が、またもう三時になって時間がないね!と悲痛な声をあげたが、まったくそのとおりだった。生きてきて今ほど人の一生が短いものだと思われた時期はなかった。その生涯の大半も生計を維持するための労働に費やされるのだから生とはやるせないものだった。いつだったか兄が送ってきたメールのなかで、一生を費やしてもわれわれは世界のうちの一パーセントでも知ることはできないのだろうと書いていたことはまったく真実に他ならなかった。時間は日に日にその速度を増しているかのように感じられ、二十四になってからはやくも一週間が経とうとしていた。
家事を終えると部屋に戻り、歯を磨きながらカフカ『城』を読み進めた。Kiss『Destroyer』を流しながら一六四ページまで読むと四時を過ぎたので『族長の秋』をぶつぶつとつぶやきながら湯に浸かった。ひげをそった。髪も伸びてわずらわしくなってきたが、記憶のなかではついこのあいだ切ったように思われる髪の毛も正確にいつ切ったかと問うてみても思い出せず、日記を検索してそれが一か月前であることを知った。あれから一か月経ったとはどうしても思えなかった。かといって二か月前だとも思えないし、二週間前だとも思えなかった。くり返される日々が平板すぎて、一か月という客観的な時間のイメージと主観的な記憶の距離が一致しないのかもしれなかった。一日に厚みというものがもしあるとしたら、今やその幅は着々と小さくなりつつあり、一週間前も一か月前もほとんど同じように稀釈された薄い記憶としてしか感じられなかった。
残照が雲と混じって柔らかな朱色のすじを幾本か空に広げるとその下では山が巨大な黒い影と化していた。ホームで電車を待ち、一駅乗って職場に着くまでのわずかな時間のあいだだけMiles Davis『My Funny Valentine』を聞いた。ここでのプレイを聞いてRon Carterはバッキングでこそ力を発揮するベーシストだと認識したのだった。ソロは当時から精彩を欠いているし、幾度かライブを見たこともあるが近年のそれはお粗末なものだった。
それほどには疲れない労働だった。行きと同じく電車に乗ったが帰りは音楽は聞かなかった。駅を降りると妙に赤みがかった月が目に入り、それを眺めたいがために家までの道を遠まわりして歩いた。人の少ない地域とはいえ降りてしばらくのあいだはまばらな靴音が聞かれたが、やがてそれぞれの道は分かれ足音はひとつになった。空腹で鳴った腹の音がはっきり聞こえるくらいの静寂のなかで丸くぽっかりと浮かぶ月を見た。以前Tの家から帰る途上で見たものと同じであるらしかった。普段見ているそれとはちがって赤の色が強く表面がのっぺりとして高度も低く、頭上の星々のあいだに遊ぶことなく南東の市街の上空で魔術的な光を放っていた。