2014/1/31, Fri.

 日記を書き終わると瞑想をする気力もなく布団に入り、すぐに眠りについた。九時前に起床して、米、納豆、豚汁、サバを食べた。食事中から食後しばらくにかけて日記を読み返した。きちんと眠れていないとも思えないのにどういうわけか眠気を催し、しばらく机に突っ伏してから起き上がると十時だった。意識は保っていたが手放そうと思えばすぐにでも手放してまどろみの奥深くにもぐっていくことができる、そんな状態だった。
 坂本龍一『out of noise』をかけながらHさんの『惑星探査隊』を十頁読んだ。それから『族長の秋』を冒頭六頁目から十頁目まで音読し、小澤征爾Dvorak: Symphony No.9』を流しながらVirginia Woolf, Kew Gardensを手元の訳と見比べて最後まで確認した。正午をむかえた。『ロベール・ドアノー写真集 芸術家たちの肖像』をベッドの上でぱらぱらとめくり、ピカソジャコメッティの写真を携帯で写した。大根をとりに外へ出ると日なたぼっこができそうなくらいの陽気だった。玄関の外に射しこむ太陽に幸福感をあおられた。電線に蜘蛛の巣の残骸が枯れ葉と一緒にからまり、きらきらと輝いていた。なかにもどると風呂を洗って、Paul Kletzki『Beethoven: Symphony No.6』を流しながら『古井由吉自撰作品 二』を午後二時まで読んだ。
 ほとんど春といってもいいくらいの暖かさで吹く風のなかにも冬の香りは見当たらなかった。たまには違う道を歩こうと思って裏道へ入り、塾の生徒の家の前を通るとそいつがいた。受かった、と開口一番報告するその声にしかしいつもの騒がしさはなく、いくらかの戸惑いとそれよりも大きな安堵がうちに含まれているように思われた。塾とはちがって敬語なのは親に聞かれるかもしれないとの配慮らしかった。別れて中学校の脇の坂をおりて街道よりも下の住宅街を抜けた。アパートや家々のなかにそれと外見上はほとんど変わらずあるスナックは午後三時だというのに営業中の札をつるし、なかからは過度なビブラートとエコーがかかった男性の粘つく歌い声が洩れて聞こえた。坂をのぼってうしろを振りかえると西南の空一面に太陽の白光が広がり、山がその下で青く薄く透きとおっていた。
 都立高校推薦入試の発表日であり、教室内の空気は受かったものと落ちたもので悲喜こもごもだった。昨日のように不安もなく、労働は支障なくこなした。今日までで退職し新しい職場へと移っていく同僚がいるので、その送別会も兼ねて飲み会が企画されていたが、はじまるのは最後の時限が終わったあとであり、そこまで待ってはいられないのでやめる同僚にきちんと挨拶はして帰宅させてもらった。我が家からほど近くに住む生徒と帰路をともにした。勉強のやりかたなどについて相談を受けたり、人生の先達ぶっておせっかいな助言などをしていると、少しの沈黙のあとにつらい、という声が聞こえた。闇に溶けそうなほど小さな声だった。結果はどうあれあと一か月の辛抱だった。星のよく見える澄んだ夜空だった。