2014/2/1, Sat.

 六時半に起床したが六時のアラームを聞いた覚えがなかった。昨日の回鍋肉の残りと母がつくってくれたおじやを食べながら日記を読みかえすと言葉がどれもこれも空虚に思われてしかたがなかった。書いたときにはうまく書けたと思った文章でも、三日も経てばもう何の価値もなくなったように見えてしまう。そこからしばらくのあいだは自分なりに試行錯誤しながら欲求不満の日々を送り、ある日突然、今日は書きたいように書けたという手応えを得る。そして三日経つとまた欲求不満におちいる、そんなことを数ヶ月ずっとくり返して来たような気がする。
 南天に浮かんだ光球が四方八方に朱色の光線をまき散らし、木目調の扉が赤く染まるとこちらの姿が影絵となって映しだされた。茶を飲むと酸っぱいような苦いような味が口のなかにたまった。Virginia Woolf, Kew Gardensを音源に合わせて音読したあと準備をして家を出た。
 今日もまた春の陽気を予期させる爽やかな空気だったがさすがに朝の風はまだ少し冷たかった。歩きながら何を考えていたのかまったく覚えていない。朝九時からの労働にもかかわらず仕事中に眠くなることはなく、体調面としても肉体と精神のチューニングがきちんと合っている安定感を得た。何かとこちらを慕ってくれる生徒と一緒にパンを買いに行って教室で食べた。妹がいたらこんな感じだろうと思った。実際に彼女は兄がいるらしく、それを聞いたときはなるほど妹らしい少女だと納得するものがあった。
 一時半まで教室で時を過ごしたあとにそこから二十メートルもない駅前でYさんと合流し母の車に乗った。車内ではそれまで抑えこまれていた眠気と疲労が噴出し、特に帰りの車ではずっと眠っていた。久々に訪れた祖母の様子は落ち着いておりこれならばたしかにもういくらか生をつなぐかもしれないと思われたが、目や鼻のまわりがいくらか赤くなり、唇が乾いた血で彩られ、とりわけ右腕に点滴のあとであろうどす黒い内出血があったのは痛ましかった。四つのベッドのうち祖母の対角線上の女性患者にも娘が訪れていた。その娘はもう四十にもなろうかという年頃で、「あなたの娘の~~ちゃんですよ」とか「ママ、大好きだよ」と呼びかけるその声は優しげなものではあったが妙な幼さがあった。不安をうちにくるんでいるような甘ったるい声だった。
 帰宅してソファにもたれこんだ直後に電話が鳴り、出ると都知事選の宇都宮健児候補を応援してほしいという電話だった。眠かったのでさっさと切ってしまう気力もわかず、五十は越えているだろう男性の声がペらぺらとしゃべるのを聞いた。紋切り型にあふれた通り一遍のアピールで、いったいこんな電話で説得される人間がいるのか疑わしかった。こちらの不機嫌そうな相槌にもかかわらず長々としゃべり続けた男性の義務感だけは褒めてもよかった。電話を切ると再びソファに座りこんで足をこたつに入れ、しばらくそこから動けなくなった。なんとか立ち上がって自室で着替えをすませると今度はこたつに身体ごと入れて、そうするともうこの甘美な悪魔に縛りつけられてしまい、茶を飲んだり眠ったりしたあとにようやくその呪縛を断ち切ったころには六時を過ぎていた。テレビでは音楽番組の総集編がやっていて七十年代から二千年代まで歌手たちの映像が流れたが、美空ひばりの声のコントロールが群を抜いてうまく、聞かねばならないだろうと思った。部屋に戻ってscope『太陽の塔』を歌い狂ったあとにSon House『The Original Delta Blues』を流しながら日記をここまでつづった。
 たまには奮発しようということでとった茶碗蒸しつき一三六〇円の寿司、ほうれんそうと卵の汁、野菜炒めを夕食にとった。Donny McCaslin『Soar』を流しながら前々回かその前にディスクユニオンで買ったCDのクレジットを記録した。