2014/2/16, Sun.

 寝る前に歯を磨いている最中から、テレビ画面にノイズが走るように間欠的に気が遠くなりかけることがあったので、零時をまわってさっさと床についた。ところが布団に入って目をつぶっても明晰な意識が保たれたままで、一向に入眠時特有の無秩序なイメージの氾濫がはじまらないどころか、額のあたりにわだかまる重さを起点に息苦しさがはじまり、いくらか発作めいて来そうでもあったので薬を飲んだ。

 夢。
 緑の天蓋をぬけて落ちる陽射しが点々と下草を濡らすと、風が吹いてやわらかな暖かさを含んだ空気が揺れた。木々の影が途切れるあたりから背伸びした草は姿を消して芝生の草原が広がり、生徒たちの一団が形ばかりの列をつくって座っていた。美術作品についてのレクチャーがおこなわれているが、学校指定のジャージを着た生徒たちはみな一様に退屈そうな顔を浮かべ、ぼけっと空を眺めたり、小枝で足許の地面をもてあそんだりしている。講義が終わると解散となり、めいめいに船に引き上げていくなかをひとりさっさと歩いた。船の一室は床がデッキ様になっており、だだっ広い部屋の中央にはテーブルが並んで、生徒たちが食事をとっている。三方の壁際にはベンチが設けられているがそこは避けて、奥につくられた階段状の木段の一段目に腰掛けた。手には『族長の秋』を持っていた。読んでいると、あとからやって来た女子がこちらをちらちらとうかがっていることに気づいた。もう一人の女子生徒と何やらつぶやきながら向けるその視線にはいくらか嘲笑的な色合いが含まれているようにも思われた。気にせず読書をつづけていると、アナウンスが入り、生徒は全員もう一度公園に集合するようにと告げられる。大きなガラス窓の向こうに見下ろせる公園の陸地に目を向けながら、面倒なので無視しようかと考えていると、みるみるうちに部屋は空になっていき、あとには青いジャージを着た一人しか残らなかった。

 起きた瞬間から筋肉痛は避けられなかった。顔を洗おうと前かがみになるだけで腰に痛みが走った。これ以上ないくらいの晴天だったが当然雪は残っており、ところによって電線が垂れ下がっており危険なので発見したら近寄らず東京電力に連絡すること、とのアナウンスが全市に出された。今日も素麺を食べた。テレビには布施明が映っていた。歌がうまいのは知っていたが生放送であっても声がよく出る歌手で、歌謡曲というよりはいくらかソウルっぽい曲調もあって、そちらのほうの音楽を歌わせても強いのだろうなと思われた。兄は今日ヨーロッパへと帰るべく家を発たなければならなかったが、タクシー会社に電話しても出ていないということで、先行偵察から帰った父の車で旅立っていった。
 先日の雪のあとよりも歩きやすかった。裏道では例によってみなで路上を掃除しているが、なかに、子どもに向かって、あんな見ているだけの大人にはならないでね、と言葉をかけている女性がおり、誰にあてつけているのか聞き逃しようがないほど声高で、口調も悪意たっぷりであった。その声の高さにはいくらか精神的な危うさが感じられた。中学生くらいの男子は完全に萎縮しており、圧力に負けて顔をうつむかせて押し黙っていた。親子には見えなかったが、あの女性が親だとしたら彼には不幸なことだった。どこにでもこういう勘違いした人間はいるものだと陰鬱な気分になったものの、おおむね和気あいあいと雪かきはなされ、普段はそこまででなくとも、このようなときには地域コミュニティがまだしも生き残っていることを実感した。老骨に鞭を打って働く老人の姿もあったが、近所の協力がなければ彼らはどうしようもなかっただろう。先日歩いたときには見事な雪原が広がっていた空き地は、丸くふくらんだシーツのような小山が無数に連なっており、それはそれで壮観だった。白く覆われた駐車場では子どもたちが雪を盛り上げて坂をつくり、そりを持ち出して遊んでいた。
 (……)に着いたのは午後三時ごろだった。人が通るところは道がひらかれてはいるが、脇にはまだ雪は多く残っていた。歩きにくくはないものの、濡れた路面はそれだけで磨り減った靴には危険だった。
 CDを返しにカウンターに持っていくと、応対してくれた職員の横で別の女性がじっとこちらを見ていた。お客さん、そのボタン、と示したこちらの胸元にはひと月ほど前からひとつボタンが足りず、とれちゃってるんです、と答えるあいだに女性は何かを取り出して、これ違いますか、と見せたそれはまさしく今着ているピーコートのボタンで、混乱してしばらく言葉が出なかったが、こちらの反応を注視している職員二人の表情を見て、ようやく口を開いた。
 「いや、ぼくのボタンは家にあるはずなんです」
 彼女たちは花開くように笑ったが、期待混じりの顔は当てが外れていくらかがっかりしていた。すごい偶然ですね、と笑いあった。ほんとに同じですよね、でもここが少しちがうんだ、と女性が指してみせたのは錨のマークの上部にある横棒で、そこを除けばすべて同じだった。
 新着図書で気をひかれたのは寺尾隆吉『抵抗と亡命のスペイン語作家たち』、スーザン・ソンタグ『こころは体につられて 上』、黒田夏子『感受体のおどり』、ロレンス・ダレルアヴィニョン五重奏Ⅲ』、『シモーヌ・ヴェイユ選集Ⅲ』、そしてなによりも『ヘンリー・ミラー・コレクション 母』だった。CDはPablo Casals『J.S.Bach: Cello Suites』、Dave Holland Big Band『What Goes Around』、Branford Marsalis『Four MFs Playin' Tunes』の三枚に早々に決めたが、それからが長く、絵画の棚付近を色々と眺めているといつの間にか四時半になっており、五時で閉館の旨アナウンスが流れた。
 結局、六耀社アート・ヴューというシリーズの『ターナー』、BSSギャラリー世界の巨匠の同じく『ターナー』、そして『東山魁夷Art Album 第一巻 美しい日本への旅』の美術本三冊に加えて、現代詩文庫の『高垣憲正詩集』を借りた。ターナー二冊を見つけたあたりから猛烈に便意がつのってきて、ひとまず本を棚に置いてトイレに向かったのだが、洋式の個室はあいておらず、しかたなく一階におりてトイレに入るもやはりあいておらず、なぜ今日の図書館ではどいつもこいつも同じタイミングで便意を催しているのか、と呪わしい気分になりながら、しかしこのあいだにもう上のトイレはあいているだろう、と戻ってみればあいておらず、もう覚悟を決めて先に本を借りてしまおう、と東山魁夷と現代詩文庫を選び、自動貸出機で借りてからまたトイレに行くとようやく排便できた。下痢気味だった。
 パウル・クレーの日記が図書館にあることは知っているが、借りて読むよりは手元に置いてゆっくり読むべきだろうと思われたので本屋に向かった。元から用事はあった。二十三日の読書会の課題書である『中国化する日本』という本を、できれば借りてすませたかったのに地元の図書館でも(……)でも貸出中で、しかたなく買わなければならないのだったが、社会時評のたぐいに興味はなく、率直に言ってどうでもいい本に金を使わなくてはならない気の重さをクレーへの期待でもってやわらげようという魂胆があった。エクセルシオールの横にある傾斜のきつい階段を下って、コンビニで三万円おろした。残高は十万五千円となった。本屋でさっそく美術のコーナーを見ると、二〇〇九年刊行であるから当然あるはずだと確信していたクレーの日記は見当たらず、信じがたくて検索機を使ってもやはりないとの結果が出るので現実を受け入れた。金を使う気満々で紙幣三枚もおろしてきたのだがモチベーションをそがれて、文学、哲学、文庫本の各棚を見てまわってもいまいち乗り気にならない。そもそもムージル著作集を集めた今、高い金を払ってまでも新しく手元に置いておきたい本というのは少なく、プルースト古井由吉くらいのものだ。批評本のたぐいにはほとんど食指が動かなくなってしまい、そのなかでは唯一、小島信夫の批評集成は読んでみたかったが、あれも高い本である。エルンスト・ユンガーの『パリ日記』や、バルトのコレージュ・ド・フランスでの講義録なども欲しいことは欲しかったものの今このタイミングかというとちがった。ただ、最後に手にとった中上健次の集成はすごく欲しくなったが、家にある『枯木灘』と『千年の愉楽』を読んでからでも遅くはないと自らを制した。結局、先述のどうでもいい社会時評と、西村書店のアート・ライブラリーの元シリーズであるらしいPhaidon Colour Libraryという洋書群のなかにWilliam Gaunt "Turner"があったのでその二冊を買った。不完全燃焼に終わった散財欲は下階でCDに解き放つことにした。
 とはいえ、(……)は現代ジャズの最新の動向をしっかり追っているとはいいがたく、棚をじっくり見てまわっても欲しくなるものがいまいち少ない。Dave Hollandの新譜(といってももう結構経っている)か、あるいは名前も忘れたピアニストがトリオでどこかの美術館でやったらしいライブ盤を直感で買おうかとも思ったがやめ、とりあえずLed Zeppelinを集めるべきだったことを思い出し、『In Through The Out Door』と『Coda』を手にとってからジャズの棚に戻った。Marc Ribotのバンドなどを見つけてしまって一時は手元にキープしたものの、結局また戻したのは、Charles Mingusのボックスセットを発見したのを機に今日はもうMingusを買う日にしようと決めたからだ。そうして十枚組のボックスを含めてMingusを五枚買って外に出るといつの間にか六時半で暗くなっていた。
 今日もまたCDも本も買ってしまったにもかかわらず部屋にもはや置く場所がないので、前々から計画していたとおり収納ボックスを買うことにした。都合よくすぐ近くにLOFTがあった。多目的収納ボックスを数種集めたまわりをぐるぐるまわって、実際にあけてなかの容量を視覚的に確認したり、この箱をどこに置くかと部屋を想像したりした。計画的な人間はあらかじめ置き場所を決めて部屋の寸法を測ってくるのだろうが(引っ越した直後のWの買い物につきあったとき、彼はそうしていた)、そんなことをしているわけがなかった。ゆえにフィーリングでAshleeというメーカーのラージサイズとミディアムサイズをひとつずつ購入した。四二〇〇円だった。ものを箱に入れることにすら金がかかる。
 行きの電車内ではAntonio Sanchez『New Life』を聞いていたが、帰りは再度それを流しながらノートに今日の外出のことを記録した。満月だった。道をはさむ雪から冷気が溶け出しているように寒い夜だった。帰宅して炊きたての米を食べると、昨日の夕食とちがってすこぶる美味だったため、おかわりをした。米と納豆と酢さえあれば生きていけると思った。夕食後は早速買ってきた収納ボックスをあけて、大きいほうにCDを詰めこんだ。おかげでタンスの上に乗った棚の上に乗った棚におさまりきらずにその上にさらに乗ってほこりをかぶっていたCD類は片づいたし、オーディオアンプの上を占領していたCDたちもなくなったが、そこには机の上に散乱していた本が代わって居座ることになった。すっきりとしたのはほとんど机上だけで、なんとなく釈然としないものを感じなくもないが、結局ものの数を減らさなければ根本的に片づくわけがなかった。風呂に入ってからThe Beatles『Revolver』『Rubber Soul』、The Bad Plus『Blunt Object: Live In Tokyo』をおともに日記をつづった。