2014/2/18, Tue.

 十時過ぎに起床して、米、ハムエッグ、卵ときのことわかめの汁を食べた。Evan Parker『50th Birthday Concert』を流しながら、與那覇潤『中国化する日本』を読んだ。途中、ひどくモチベーションが下がって、なぜこんな本を読まなくてはならないのだ、こんな本に時間を使うくらいならまだ寝ていたほうが有意義だし、自分はプルーストを読みたいのだ、それにしてもこのような本に一五〇〇円も払わなくてはならなかったことが悔やまれる、もう読まなくてもいいか、と決断しかけたけれど、いやそれはさすがに他の読書会メンバーに申し訳ない、と思い直して五章まで読んだ。それほど腹も減っていなかったけれど、戸棚を見ると「すみれ」という他のものよりもやや高い種類のカップラーメンがあったので、昼食に食べた。体に悪いと思いながらもスープをすべて飲んでしまった。こうして油にまみれた胃は消化がすんだのちも臭気を放ち、食道をとおってのぼってきたそれはのどのあたりにわだかまることになる。食後、ひどく久しぶりにEvery Little Thingのベスト盤を流した。初期のサウンドはHRといくらかダンサンブルなポップさの融合という感じで、マイナー調の曲などはなかばEuropeのようでもある。"Dear My Friend"のイントロはまちがいなく"Final Countdown"だし、"Forever Yours"のギターソロがVan Halen "Jump"を原典にしていることもたしかだろう。ミシェル・レリス『幻のアフリカ』を「解題」「はじめに」まで読み、エピグラフとして引用されていたジャン=ジャック・ルソー『告白』からの文言を書きぬいたところで便意が限界に達したので、上階へ上がって排便をし、ついでに洗濯物を入れて風呂も洗った。隣家の屋根をつたう細い水流が雨樋へと注ぎ、その先でさらに地上へと落ちてぼたぼたという音をたてた。風呂を洗ったあとはBill Frisell『East/West』を流しながら『幻のアフリカ』を五十頁まで読んだ。平凡社ライブラリーなので文庫本よりもわずかに大きいくらいだが、千頁以上あるのでなにしろ持ちにくい。それからマルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 1 第一篇 スワン家の方へⅠ』を一八二頁まで読み、風呂に入って出かける準備をした。家を出る間際に電話で話していた母が相手に申し訳なさを伝えるときの、哀れを誘うように大げさな、それでいて自分に呆れているというような風情の笑みもいくらか混じった声の調子がひどく鬱陶しかった。
 木々のあいだをすりぬけた光はその先で民家にぶつかって広がり、無表情な素朴さを見せる家壁がオレンジ色のスクリーンに変わると、光の手にさらわれた分身がそこに映しだされた。西の空には落日がまばゆく輝いていた。緑と紅色が暗く混ざりながら長く伸びる林はその全体が淡いオレンジ色に包まれ、夕陽が宿ったすべてのものに分け与えられるあのつくりものめいた美しさをまとって町に寄り添った。斜陽の光が波のようになかばまで広がった頭上の空には、糸のほつれた帯のような雲がひとすじ走った。広場では無数に連なった雪の小山が昼間の太陽の力でえぐれて襞をつくり、波立つ海面が凍りついたふうにも、あるいは白い砂漠が広がっているようにも見え、それ自体がひとつの完成された造形作品さながらの存在感を放っていた。
 労働から帰宅する前には今週の労働が増えていた。労働が労働を呼んだ。明日はもともと六時からだったのが四時からになり、木曜日は休みにしたはずが二時限入ることになった。嘆息を禁じ得ないが、中学生たちも泣こうがわめこうが今週が最後、来週にはもう終わるのだ。この週だけ乗り切ればしばらくはかなり暇になるはずだとそれだけを胸に耐えぬく覚悟を決めた。教室のすぐ正面にあるバス停が雪の重みで斜めに倒壊し、黒い縞が入った黄色いテープで囲まれ、危険を警告する紙が貼られていた。