2014/2/22, Sat.

 学校の教室で蜘蛛をつきつけられて狂乱じみた恐怖を感じながら六時四十分に起きたあと一時間ほど二度寝した。陽は昇りはじめ、青く影になった雲のむこうにはオレンジ色の海が広がり、視界の右手には明るみを帯びた雲がいくすじか流れていた。食事をして部屋に戻るとすでに陽は高くなっており、雲を超えてその姿をあらわした。扉の片隅に光が集まった。椅子のステンレスに反射した光がゆらめいている床の上には埃がうすくたまっていた。
 父は山梨の実家の除雪に向かうらしい。先日、その家に隣接してある物置き場の屋根が落ちたと聞いていた。そこを通らないと家に入れないため、祖母は叔母さんの家に滞在しているということだった。左側にゴルフ場が広がっている坂を上ってくると右手に立ち並ぶ家のなか、石段の上に物置き場はある。赤銅色の大きな扉をあけると車庫も兼ねた薄暗い長方形の空間が広がっている。左手には細々とした工務用品が置かれた棚が壁際を占領し、右手にはガラス扉が並んでいて上がってきた坂を見下ろすことができる。陽がそこから射しこんで、ちらちらと舞う木くずや埃を映し出す。奥のほうには鉋やなにかだろうか、いくらか大型の機械類が置いてあり、もはや使われることもなくなったそれらは鈍い輝きを秘めながら沈黙している。夜には天井から申し訳程度に下がる電球の光のもと、鉄板を持ち出してバーベキューなどをした記憶がある。あのころはまだ祖父も生きていた。左手の棚が途切れた横に扉があって、そこをくぐると家の前の庭に出る。すぐ右手には鶏小屋があって、昔はにわとりだけでなくチャボや兎、果ては孔雀までいたのだ。その奥にはそれほど大きくはないビニールハウスがあり、ここでトマトなどをつくっていた。庭にはそこらじゅう大小さまざまな花鉢が並び、無造作に花を咲かせるそれらはいくらか無秩序な印象を与えながらもやはりひとつの景観をなしている。照りつける夏の陽射しの下、そのひとつひとつに水をやったものだ。夜には砂利が敷かれた地面の上で、盆の送り火を燃やした。細かく折った麻柄を丸い敷石の上に置いて、背中の曲がった祖母が火をつけた。燃えはじめると祖母は立ち上がって二、三歩下がり、右手を太ももの上に、左手を腰のうしろにあてた。ずいぶん小さく見えた。立ちのぼってくる煙が目に染みた。真上を見上げると、空を遮るものはなにもなく、視界いっぱいに広がった夜を星々が満たしていた。
 八時過ぎに出勤した。重く眠い労働だった。今日が最後だという生徒が泣いてしまって、退勤をひきとめられた。暗いわけではなく馬鹿みたいに明るいわけでもなく、しゃべらないわけではないがぺらぺらと言葉を繰り出すわけではなく、笑いはするが大口をあけることもなく、とても大きな目をひらいて猫のような顔を浮かべた少女だった。その大きな目を細めてだだっ子のようにごねていた。もう一人の生徒と一緒に三人でパンを買いにいった。上司に先日怒られたので、内緒だと言いつつチョコクロワッサンをあげた。
 電車の席に座って音楽を聞きはじめると、左側からしか流れてこなかった。イヤフォンは金色に光る端子の根元から円筒形に広がり、輪状の連なりがわずかにあって、細いコードへとつながっていく。その輪状の部分が裂けはじめていた。かまわず左耳だけで『Four & More』を聞きはじめたが、外界の音を遮断せず、また右側に置かれたGeorge Colemanのソロがまったく聞こえない。位置を調整すると接続が回復されることもあるが、それを保つことは困難で、体の動きに合わせて一瞬だけ音が回復してすぐ途切れるのはかえってノイズめいて聞こえて、途中であきらめて再生をとめた。目をあけると品のいい老婦人が目の前のポールにつかまって立っていた。難儀そうだったので席をゆずった。(……)でおりていくときに、どうもありがとうございましたとお礼を言ってくれた。立ってからは扉際で一年前の日記を読みかえした。まぎれもない駄文を書いて悦に入っていた去年のおのれが許しがたかった。
 (……)線の(……)駅のすぐそばにある、狭い階段をのぼった先にある薄暗い喫茶店で読書会をおこなった。以前来たときには常に困ったような顔の男性が店員で、老人も一人いたように思ったが、この日は中年女性と、アルバイトらしき若い女性の店員だった。Tさん、Hさん、Uさん、Kさんと五人で窓際の大きなテーブルを囲んだ。課題図書は『族長の秋』だった。自分から希望した本なので思うところを話しつつ、多岐にわたる話題がくり広げられ、芸術全般や表現についてもいくらか述べた。午後五時前に店をあとにする帰り際、Tさんが配ったメモにそれぞれ一文を書いた。この会のブログをつくってのせるということだった。
 それから歩いて(……)駅近くのピザ屋に移動した。ピザと言ってもイタリアのそれではなくアメリカナイズされたボリューミーなもので、じゃがいもを楕円形に厚切りしたフライドポテトの塩味からして実に体に悪そうだったが、そんなことは気にせずにばくばくと食べた。百二十キロはあろうかという巨漢の店員がいたのがいかにもこの店らしかった。当初はわりと真面目な話もしたような記憶もあるが、しだいにただの猥談に移っていき、TさんとUさんのリビドーが炸裂した。
 八時少し前にピザ屋をあとにして、Kさんは帰宅し、残った四人はカラオケ店へとくり出し、思い思いに歌い狂った。室内はスクリーンになった壁に安っぽいSFの挿画のようなイラストが映し出された。さまざまな天体が広がり、隕石が墜落しているなか、女神のような女性が立ちつくし、彼女が眺めている遠くのビル街は燃えさかっており、そのなかにカラオケ店の名が刻まれたビルがひとつ立ち伸びていた。曲がはじまると照明が暗くなって絵が映るが、平常時に見る壁はひびもあり、はがれている箇所もあり、何かわからない黒いすじで諸所が汚れていた。モニターの上に五つずつで三セット並んだライトが曲に合わせてちかちか光って目に入りこみ、前頭部に痛みを生んだ。石づくりのような色調を出した黒塗りのテーブルに点滅するライトが映りこんだ。
 Hさんは水色のシャツの上に赤いカーディガンをはおり、灰色のチェックのズボンをはいていた。席に座ったまま、いわば行儀よく、星野源スキマスイッチなどを歌い、裏声も使ったやわらかな声は女性に「かわいい」と称されそうな歌唱だった。UさんはいつもながらのBボーイ的な服装で、パーカーは脱いでいた。手振り身振りをまじえながらラップを歌い、怒涛の言葉の波をつくりだした。言葉の発音、その粒立ちと、複雑なリズムをはめていく能力はさすがと思われた。後半ではマキシマムザホルモンを入れてデスボイスを披露したのにも驚かされた。Tさんは水色の前開きシャツを脱いだ下にはボーダーのカットソーを着ていて、立ち上がり、赤い革張りのソファの上に乗り、上下左右に体を揺らし、ひたすらシャウトをくり返した。その動きに合わせてソファがわずかに沈み、またふくらんだ。最後はみんなでスチャダラパーfeat.小沢健二"今夜はブギーバック"を歌った。甘い甘いmilk & honey、とくり返してお開きとなった。
 帰りの電車内では頭痛もあったがとにかく眠くてベッドがあれば今すぐに倒れこみたかった。立ったままほとんど眠ったような状態で、扉にもたれて目をつぶっていると足の力が一瞬ぬけてがくんとなることが何度かあった。地元につくとこれからまた寒いなかを三十分歩かなくてはならないかと思うと気力が萎えたが、母からメールが入ってむかえに来てくるというので非常に助かった。