2014/2/23, Sun.

 すさまじい寝坊をして十一時半に起床した。食事のとき、父に、町内の祭りの手伝いをする会に入ってほしいとの話が来ていると知らされた。正直面倒ではあるしそのような社会的な実務がとことん苦手な人間だと自任しているのだが、地域のつながりを保っていくこともそれなりに重要ではあるとわずかばかりの義務感を覚えるほかに、まず最初に思ったのは、何かおもしろいことが書けるかもしれない、ということだった。Dave Holland『What Goes Around』を流しながら借りたCDのパーソネルを記録し、出かけるまでにあまり時間がなかったが二月二十一日の日記だけはなんとか書いた。
 家の前の林にあるのは林道などというきちんとしたものではなく、林のなかを切り開いただけのような道で、一応の足がかりとして木の階段が設置されてはいるが、朽ちかけたそれらはほとんど土と一体化している。ついこのあいだまでここも厚く雪に覆われていたはずだが、つづく晴天で今や乾いた葉が露出する落ち葉道に戻っていた。もっとも、木々に囲まれた場所は陽が届かず誰かの足跡のついた雪が残っていて、その上におそらくモミらしき細い針状の枝葉が大量に落ちていた。林のなかをのぼった先にあるコンクリートの細道は誰も片づける人間がおらず、足がうまるくらいに雪が積もっており、そこにも先に通った人が足を沈めたあとがあって、その穴にひとつひとつ靴を重ねた。
 細道から出た先の街道ではまだ雪かきをする人が多く見られた。車道の真ん中を占めていた雪は融けて、濡れた路上が降り注ぐ太陽に白く発光した。駅のホームでは中央に雪が寄せられ、番線を区切るように腰のあたりまで積み上がって連なっていた。線路はいまだ雪原で、ところどころにモグラが通ったあとのような盛り上がりや、クレーターめいたへこみが見られた。心臓を締めつけられるような苦しさがあって呼吸がしづらかったので電車が来る前に薬を飲んだ。
 乗り換えた先、停車中の静かな車内でヘッドフォンを外すと、トランペットの音が大きく響いたので困った。ヘッドフォンは遮音性および音漏れ防止能力においてはどうしてもイヤフォンに劣る。先頭車両には化粧をしている童顔の若い女性しかいなかった。音漏れをしないように確認して音量を落としたが、音楽のディテールが失われてひどくつまらず、考えてみれば当たり前のことだがヘッドフォンが邪魔をして横にもたれて眠れないことにも気づいた。音楽を聞くのはあきらめて今やただのかさばる荷物となってしまったそれをリュックにしまった。早急に新しいイヤフォンを買わなければならなかった。
 薬を飲んだにもかかわらず車に酔ったときのように目の奥にわだかまりが、のどの奥には吐き気があり、あるいはおとといと同様の異物感の幻影が嘔吐中枢を刺激しているような気もした。左側にもたれて目をつぶった。鼻でゆっくりと呼吸をくり返すと、吸うときの音は聞こえず、空気が出ていくときのかすかな音だけが聞こえた。
 行程の真ん中あたりの駅で三分ほど停車した。誰かがあけたままにしていった扉の外、南から照らされた駅のホームの床が光っていた。付着したガムが白い点となったそのなかを柱の影がひとすじ扉にむかって伸びていた。別の入り口から乗ってきた老人がわざわざボタンを押して扉は閉まった。車両の床には窓の形に切り取られた薄いオレンジの光が宿っていた。その周囲の影の部分のほうがかえって汚れが目立って重なりあった靴跡が床のどこにも残り、滑り止めなのか点字ブロックなのか、扉下の黄色いおうとつにも無数のひっ掻き傷がついていた。日曜午後三時の電車内は人が少なく、座席はようやく半分埋まるかというところで、正面の席はあいていた。座席の背中が当たる部分には格子模様が描かれている。肌色に赤みを加えたような暖色がベースになって、ところどころに青も見られ、おのおのの格子内は一色で塗りつぶされていたり、ストライプ模様であったり、あるいは整然とドットが並んでいたり、ランダムな模様になっているものもあった。それを見ていると母娘連れが座った。小学生の少女はファーつきの耳あてをかぶり、小さめのキャリーバッグの持ち手にピンク色の別の手提げをかけている。手提げの外側についたポケットにはリボンをつけたかわいらしい絵柄のクマが描かれていて、"sweet girls"と筆記体で書かれたハートを抱えていた。
 (……)駅はいつだって人であふれていて、情報の騒乱が眼と耳から侵入して体がかたくなったように感じた。読書会のはじまりまで時間がなく、図書館では早々に、The Style Council『Cafe Bleu』、Captain Beefheart And The Magic Band『Merseytrout: Live In Liverpool 1980』、Sinergy『Beware The Heavens』と、珍しくジャズ以外の三枚を借りた。出際に新着図書を眺めると、ルー・リード詩集やバーバラ・ピムアントニオ・ネグリの解説本などがあった。外に出てこの日のことをノートに書いていると尿意がつのってきて、なかへと戻ってトイレに向かった。便器の前に立つと尿意は便意に変わって個室に入ることになった。高校の倫理の教師の言葉を思い出した。「人間ってのはしたくないと思っていても行けば出る、そういうふうになっているんです」
 図書館から急いで本屋へ歩いた。歩廊の上にはもうほとんど雪は残っていなかった。本屋では白水Uブックスボルヘス『不死の人』と、ついでに古井由吉『ロベルト・ムージル』を買った。河原のくすんだ石のような箱におさめられた後者は取り出してみると薄い菫色のような色合いの本で、ほれぼれするような手触りの表紙には"Robert Musil"とだけ薄く刻まれていた。二巻本の伝記を買いたかったが、一冊七五〇〇円もしては手が出なかった。
 エクセルシオール横の切り立った階段をおり、コンビニで二万円おろすと残高は八万五千円になった。それからパスタ店の前を通り過ぎ、横断歩道を渡り、駅前ロータリーのまわりをたどって待ち合わせの喫茶店に急いだ。喫煙席側の部屋の片隅にAくんとUくんが座っていた。ほとんど同時にKくんも着いた。アイスココアを頼んだ。体調のためか、課題本のためか、いつもより声が低く、険があると自分でわかった。『中国化する日本』についての話し合いがはじまったが、程度はちがえど、こちらと同様の違和感をみんなが共有しているとわかって安心した。ひととおりこきおろしたあと、そうしてばかりいても生産的ではないし、ひとまず著者の言うことを追ってみよう、と中国化の定義などについてしばらく検討した。もちろんみな素人なので細かいところを詰めることはできないが、さまざまな疑問が噴出した。
 六時前になってNさんが来るというので店を出て駅で合流し、ファミリーレストランへ向かった。しばらく雑談をしつつ食事をしてから、Nさんも加えてふたたび話し合いがはじまった。この本が好きだ、おもしろいと言って課題図書に推したのはNさんだったので、彼女の前でボロクソに言うのは控えようと思って黙っていたが、無批判に持ち上げるのに加えて当人が直接、どうだった?などと聞いてくるので、苦笑し、それ俺に聞いちゃう?と不穏な前置きを置いてからまあクソだったね、と告げた。どこが、問われたので色々と述べて議論めいた感じになったが、最終的には男性陣四人対Nさんみたいな構図になってしまい、彼女の口から好きな本がけなされるのはつらいわという言葉を引き出させてしまった。オーウェルのときも思ったけど、とことん趣味が合わないね、と言われた。かなりへこんだ様子のあと空元気のように、スーツケースを買いに行かなきゃならないと言ったのは近日中に旅行に行くらしいので嘘ではないだろうが、さっさとこの場を離れたいとの思惑もはたらいていただろう。悪いことをしたと思った。Aくんから苦笑がもれた。僕多分こういう展開になるだろうなあと思ってたんだよね。いや、俺も本屋であの本を見たときからそういう予感はあったよ、Nさん俺のこと嫌いになっただろうなあ。嫌いにはならないと思うけど、正直あんなにへこむとは思わなかったね。これだから女子にもてねえんだよ。
 次回の課題図書はこちらが何冊か持っていったなかからウルフ『灯台へ』に決まった。Fがそう何度もすすめるなら、ということだったが、すすめるというよりは、どうせ月一冊義務的に読まなくてはならないなら、今回のような本を読んでもしかたがないし、自分で好きな本や興味のある本にしたいというだけだった。八時半ごろ店を出て、三人と別れて電気屋へと向かった。
 三階のイヤフォンが集まったコーナーで三十分以上、花のあいだを飛び回る蝶のようにうろついた。モンスターケーブルの一万円のものが、最初Miles Davis『Four & More』で聞いたときには音がこもっていて、妙に増幅されているようにも思われたけれど、他と聴き比べているとだんだんとよく感じてきて、Bill Evans Trioの"My Foolish Heart"を流すとシンバルが頭の斜め上から降ってくるように聞こえて驚き、どうも音空間の広がりが如実に感じられるぞ、と思い直した。しかしホルダーを見ても購入カードは一枚もなく、一応店員を呼んだが、やはり在庫はないということだった。帰ってアマゾンで注文しようかとも迷ったが、この帰りの道のりに音楽を聞きたかったので次善を探すことにした。Gretchen Parlato "Butterfly"を試聴曲にして色々と聞きまわり、最終的にDenonの八千円のものに決めた。レジに持っていくと七一八〇円に値下がりしており、さらにカードのポイントで七百円引いてもらった。応対した店員がホテルマンでも過去にやっていたのかという慇懃さ、身のこなしで、品物を受け取ったあとに、お帰りはあちらになっております、などと示すことまでした。エスカレーターの脇に木のベンチがあり、そこで買ったばかりの箱をあけ、イヤフォンをipodにつないだ。こうして聴覚を音楽に閉ざされた世界が復活した。帰りの電車内ではGretchen Parlatoを聞きながらずっとノートにこの日のことを書いていた。