2014/2/27, Thu.

 すらりとした美脚を黒いストッキングに包んだショートカットの美人とまぐわっていると、下腹部にこみ上げてくるものを感じ、射精寸前で目が覚めた。興奮も快感もなく、妙に平静で目が冴えたので、とりあえずトイレに行こうと立ち上がるとその瞬間重い頭がふらりとゆれた。早朝にもかかわらずまったく寒さを感じないと思いながら排尿して戻り、ふたたび布団に入るとすぐに眠りについた。その後は間欠的に目を覚まし、そのたびに新たな夢を見たはずだが、覚えているのは二つだけで、小中の同級生であるSと小学校時代の思い出について語り合うものがひとつ、語り合うとはいっても相手が覚えているわけがないような微細な記憶についてこちらが一方的に話していて、かたわらには誰か女性がいたものの彼女は高校以降のつきあいなので話に入れずずっと黙っていた。もうひとつはおそらくTらしき女性と肩を組んで駅を歩く夢で、ぴったりと体を寄せ合っていたがまったく色気めいた感じはなく、男友達を相手にしているようだった。素麺とかき揚げの食事をすませて、Fretwork & Clare Wilkinson『The Silken Tent』を流しつつ、ボルヘス『不死の人』を二時半まで読みつづけたあとに風呂を洗い、アイロンをかけて、ようやく寝間着から着替えた。
 正午過ぎには降っていた雨はやんでいたものの湿り気を帯びた空気は霧にかすみ、吐いた息が白く流れてそのなかに混ざっていった。建設中の家屋のまわりに組まれた足場に立った若い職人が、屋根の上の崩れかけた雪を難儀そうに見上げていた。ほとんど車の幅しかない狭い通路にワゴン車を入れるのに苦慮した婦人が足止めをくっているこちらを申し訳なさそうに見やり、少しばかりの焦りを浮かべてハンドルをまわした。(……)の裏で下校中の小学生たちに遭遇した。みなジャンパーを着ているが、女子が赤やピンクといった目にも鮮やかな装いをし、なかにはひどく大人びた少女もいるのに対して男子の大半はズボンも含めて地味で、そんな彼らは持った傘を雪に突き刺したり、叩きつけて削ったりと粗野な遊びに熱中しており、うしろから迫る自動車をまったく意に介さないので運転手は苛立たしげに目を細めた。
 図書館の受付の女性は先日ボルヘスをリクエストしたその人で、『不死の人』は図書館からの連絡がないうちに(……)の本屋で買い、リクエストはホームページ上でキャンセルしておいた。CDの新着棚の前に職員が立って整理していたので、雑誌のほうに目をむけて『文藝』を手にとった。特段興味を引かれるものもなく、ドゥルーズなんてわかるわけがないけれどなんとなく蓮實重彦と千葉雅也の対談を開くと冒頭の写真が目に入ったが、千葉という人はホストみたいな髪型で、蓮實と並ぶと祖父と孫にしか見えなかった。置いて、『群像』に手を伸ばすとこちらには古井由吉の作品が載っていたので、尿意に耐え切れずトイレに行った時間をはさんで十三頁をその場に立って読んだ。あまりにも無駄がない文章だった。代わりに肉もない。切り詰められてはいるが鋭さはなく、はまってはいるが力はない。老境の文章らしかった。
 CDはUA『ATTA』と宇多田ヒカル『This Is The One』にした。新着図書に新しく目にとまるものはないが、以前も目にしたロジェ・カイヨワ『斜線』が少し気になった。それから美術、文芸評論、詩、小説、大型本の棚の前をうろつきまわって一時間が経ったけれど結局CDだけ借りて帰路についた。家に着くころにはあたりは青く暮れて、隣家のトタン屋根に落ちる雪解け水がひっきりなしに音を立てて、雨でもないのにそのなかにいるような気分になった。
 夕食後しばらくして、ストーブの石油を入れてほしいと言われて外に出た。トタン屋根は変わらず雨音めいた響きをつづけ、加えてさきほどは気づかなかったが、増水した沢の流れる音が夜のなかでやけに騒がしく聞こえた。雪を避けて家横の坂を下った物置き場に運んであった石油のタンクを勝手口まわりに戻した。抱えた腕のなかで重い液体が不安定に揺れて体が引きずられた。
 湯に浸かって『族長の秋』をぼそぼそと暗唱していると、救急車のサイレンが近くを通って消えた。どたどたという足音は母が野次馬根性を発揮したらしかった。立ち上がると磨りガラスに赤い点が花びらのような広がりを見せていた。窓を細くあけると、向こうの坂道のはじまりに消防車のうしろ姿があった。暗がりにまぎれて、屋根の上と背面の四隅に灯ったランプだけが赤い光を目に届けた。
 Taylor Eigsti『Let It Come To You』を流して『族長の秋』を冒頭から七頁音読したあとに、ボルヘス『不死の人』を読みすすめた。本を手にしたまま布団のなかでまどろんでいると、ストーブを消した部屋の冷たさが胸に入りこんだように思われてはっと気がついた。眠気から覚めたのみならず、生に埋没した意識が浮遊してそこから生を見つめた瞬間があった。わずかばかりの正気づいた感覚があった。鼓動のなかには生が含まれ、その音は同時に死とも分かちがたく結びついていた。生きていることとは死にかけていることに他ならなかった。