2014/3/1, Sat.

 七時に覚醒したときはすんなりと目が開いたが起床には至らず、それから十二時前まで一度も目覚めなかったのが不思議ではあった。あったのかなかったのかすらわからないまったくの空白のあと、時計の針の位置と窓外の景色のかすみ具合だけが変わっていた。それだけ寝たにもかかわらず起きた直後は目の奥がむずがゆくて焦点が合わず、しかものどが乾燥してたんがからみがちだったが、カレーを食べてリビングでマルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 2』を読んでいると、しだいに視界がまとまってきた。母が帰宅してからリンゴなどを食べてゆっくりしていると、窓外では雨がやんだようで霧に白くけむっていた景色がはっきりとしてきた。食後、Fair Warning『Rainmaker』を流しながら、ここ一年の経験を踏まえて考えた文学を読む際の注意点を一文ものし、読書会メンバーにむけてFacebookに投稿したのは、今回の課題図書がウルフ『灯台へ』で、できれば楽しんで読んでもらいたい、この小説のすばらしさを体感してもらいたいというおせっかいからだったけれど、これに結構時間がかかってしまい、書き終わったときにはすでに風呂に入らなくてはならない頃合いだった。
 空は薄暗く、空気は水を含んでいて、いつまた雨が降ってもおかしくはなかったけれど、傘は持たなかった。遠目に見る山はくすんでいて、林に入ると葉はその茶色を濡らし常よりも重く沈んでいた。Ari Hoenig『Bert's Playground』で外界の音をふさぎ、電車の席に座って目をつぶり、文章やボルヘスについて考えつつ、両足の首や甲のかたさが気になってリズムをとるようにしきりに足を動かしていた。じっと座っていると身にまとっているコートからタンスのなかのようなにおいがかすかに香ってきて、古着屋で買って以来のこのにおいはどうにもならないのか、そもそももう三月をむかえてそれほど寒くもないのにこのような外国人が着るような大仰なコートを着てきたのはどうだったのかなどといささか自意識過剰な思考がよぎったりもした。(……)駅で降りると真っ白なタイツをはいた女性がいて、別に性欲が刺激されるわけではないけれど何となく目を奪われて、前を行く彼女の脚をずっと見つめていた。きれいだった。ストッキングをはいているのか生足なのかわからないが、通常の肌色の脚を露出させている女性もいたけれど、それよりもずっときれいだった。白いタイツの女性は人混みにまぎれていった。行き交う人々を見て、例えばこの人々をすべて文章にすることができるとして、それはどういうことなのだろう、保坂和志は『未明の闘争』で公園にいる人々を片っ端から書くということをやっていた、それは描写というよりはただの羅列というべき筆致ではあったけれど、あそこで彼がやっていたのはどういうことなのだろう、とそんな疑問が浮かんだが、すぐに音楽にまぎれて消えていった。Wayne Shorter作曲の"Fall"が流れていた。
 新着図書で目についたのはコンスタンチン・ヴァーギノフ『山羊の歌』、宮島喬『多文化であることとは』、西平直『無心のダイナミズム』、ミルチャ・エリアーデ『聖と俗』、デヴィッド・コーエン『フロイトの脱出』、そして何よりもヘンリー・ミラー『母』だった。それらをチェックしてさっさとCDを借りた。Fair Warningの3rdである『Go!』が借りたかったのは、先ほど『Rainmaker』を聞いたときにこのアルバム冒頭の四つの名曲を思い出したからだったけれど、閉架になってしまったらしく、他にJoni MitchellThe Beach Boysなどが気になりはしたものの、結局ジャズを三枚、『The World of Cecil Taylor』、Dave Holland Sextet『Pass It On』、Joe Zawinul『Faces & Places』に決めた。本屋に行くとトイレに行きたくなるという現象の存在をたまに耳にするが、図書館にもあるいは同種の何かがあるのか、便意を催して用を足しに行った。
 CD屋に寄ったのはPat Metheny Unity Group『Kin』を買わないわけにはいかないからだったが、見ていると他にも色々と欲しくなってきて、結局、Derrick Hodge『Live Today』、Duke Ellington『At Newport』、Ornette Coleman『The Shape of Jazz To Come』『The Art of the Improvisers』『Free Jazz』を加えて計六枚を購入した。出ると雨が降っていた。駅へと歩いているあいだに陽は暮れて、水のなかにいるような青い空気が夜闇に場所を譲りはじめた。電車が発車すると、線路北側の店並みの明かりが浮かび上がった。
 (……)に来たのはおそらく大学最後の日に中古CD屋に寄ったのが最後で、だとするとほぼ一年前以来ということになるが、そのあいだに駅のなかは様変わりしてトイレはきれいになっているし、以前は駅の両側に改札があったけれど今では改札を出てから南北に分かれるようになっていた。とりあえず店の場所を確認しようと歩き出したが、思ったよりも雨が強く、というよりしだいに強くなってきて、これは傘が必要だと道なかばで引き返し、駅のコンビニにはビニール傘がなかったので一〇五〇円の黒地に青紫で縁取りされているものを買った。どこかの店に入ってボルヘスを読もうと思っていたけれど面倒になって、ここでいいやとコンビニを出た横の壁際に立ってノートに今日のことを記録し、ボルヘスをわずかに読んだ。
 (……)駅から線路沿いにまっすぐ西へと伸びる通りはひと気も明かりも少なく閑散としており、左手の並びにはマンションしかないのかと思えば、なかにはギャラリーやこじんまりとした古書店、喫茶店、ヘアーサロンなどが見られた。ひとつ目のT字路を左に折れずにそのまままっすぐ越えるとすぐのところに(……)があった。入り口でSさんという参加者の人と行き会い、彼が鍵をあけてくれた。左に壁際に並んでいる本棚にまず目がいった。多数の立方体に区分されたひとつひとつのスペースが店のメンバーに分け与えられ、おのおのの趣味の本が展示してあるのだった。左上のほう、蓮實重彦『物語批判序説』『表層批評宣言』、ブルデュー『芸術の規則』などが置かれているスペースが最も気になった。そこを使用しているメンバーは映画関連の人らしかった。その下にはジャズ関連の書籍が集まったスペースがあった。部屋のなかは、それほど広くはない空間の中央付近を低いテーブルが占め、そのまわりにはこぢんまりとした藍色の椅子がいくつか置かれていた。入り口側の椅子に腰かけた。傍らの椅子をひとつ寄せてみると、発泡スチロールをかためてつくったものらしかった。奥の方には雑多なものが詰めこまれた控え室のような部屋と、キッチンスペースがあった。
 今回の会の主催者はS.Yさんで、この店のメンバーであり、彼女と、Sさん、Yさん、Oさんの四人は別のイベントなどで顔を見知っているらしかった。EさんとTさんはこちらと同様に、S.Yさんが読書メーターで「スカウト」した人間だった。低いテーブルを囲んで、みんなでボルヘス「アステリオーンの家」を輪読し、つづけて、ヘンク・フィシュという芸術家が展覧会を行なったときのパンフレット序文も読んだ。衣ずれの音やときおり外を通る人の声、風が戸を揺らす音、それらがはっきりと聞こえる静けさのなかでかわるがわる文章を読むと、一種独特な空間が生まれるものだった。
 それからデリカテッセンの食事が提供され、おのおのに酒がつがれた。酒を飲めないと言うと、S.Yさんがジュース類をいくつか買ってきてくれていた。彼女に乾杯の音頭をとるよう指名されて、そのなかにあった飲むヨーグルトを持ち、ボルヘスに乾杯した。食べ物をつまみながら、順番に感想を言っていったが、会話の常で色々と話題は広がって時間がかかり、そのあいだに隣のTさんなどは酔いがまわってきているようだった。それでもこちらが感想を言ったくらいまではまだ読書会としての体をなしていたようだったが、その後はだんだんと混乱した様相を呈しはじめた。画家であるTさんがS.Yさんを「イラストレーター」と肩書きで呼ぶのがおもしろかった。酔った両人のあいだで謎のイラストレーター・画家論争がなされた。初対面の人間のあいだにある垣根を容易に破壊してしまう酒のおそろしい力を久々に目の当たりにした。酔った人間というのは面倒でもあるけれど、しかしおもしろい。大げさなリアクション、唐突な起立、本人ですら何を言っているのかわからない支離滅裂な言動、それらは酒がないと生まれないものだった。Tさんは隣にいるこちらの脚をやたらと触ってきた。途中でこの店のメンバーであり、主催者側の知り合いであるMさんという人が偶然訪れてしばらくいたが、こちらとは二言三言交わしただけで帰ってしまった。
 十一時になるとEさんが電車の関係で離脱し、それからは酔っぱらいの隣を離れてテーブルの向かいにいたSさんの横に移動し、彼と小説談義などをいくらかした。右手の棚を見るとちょうどS.Yさんのスペースがあり、ずいぶんと年季の入った本があるのでなにかと思えば、古井由吉『聖』だった。奥付には昭和五十一年の記録があった。Sさんは保坂和志が一番好きだといい、『未明の闘争』を絶賛していた。時間がある今のうちに小説を書くべきだ、とくり返し言われた。まったくその通りにはちがいなかった。
 日付が変わる直前に辞去した。帰りの電車ではCharles Lloyd『Rabo de Nube』を聞きながらノートに記録をしていた。地元に着くとまだ雨が降っていた。果てのない空を覆いつくした雲から絶え間なく落ちる灰色の水のかけらを見た。街灯の光のなかにかすむ裏路地の藍色に満ちた夜を見た。等間隔で並んで水たまりに映りこむ白く無機質な光を見た。まったくの黒闇と化した線路の向こうの森を見た。誰もいない踏み切りで孤独に点滅する赤色灯を見た。誰もが眠りについた町の裏側で眠りを忘れた新聞屋から洩れる黄色い明かりを見た。信号の光が宿って濡れた坂道の色が一瞬にして赤から青へと変わるのを見た。傘は小さく、向かいから斜めに降る雨はコートの前面どころか鼠色のマフラーまでをも濡らした。