帰宅して風呂に入ったあと、午前二時だというのに何を思ったかカップうどんを食べてしまってはすぐには眠れないのも当然だった。日中の活動時間のわりには疲れも眠気もそれほどではない夜で、食べながらプルーストを読む気力すらあった。三時頃まで読んでから眠り、当然のことながら一度も目を覚まさず、夢も見ずに十一時まで眠りこけた。親戚が来ているようで顔を合わせるのも面倒だったのでリビングには上がらず、部屋でVirginia Woolf "Kew Gardens"を訳した。十二時半になって空腹がピークに達したので上がり、親戚がすでに去ったリビングで稲荷寿司と野菜炒めを食べた。賞味期限切れのチャンポン出しちゃった、と母は笑う。食べ終わった直後に近所のおばさん連中がやってきたが、あいさつだけして皿を洗って退散し、またウルフを訳した。
雨になる寸前のところでとどまっているような薄曇りの日で、昨日とちがうのは気温の低さだった。母が出てくるのを待つあいだ、家の前でぼけっと林を眺めた。常緑樹の緑色の葉であったり竹の青々しさであったり葉を落とした枝の寒々しさであったり、くすんだ空の下ではそれらが特別美しく見えるわけではないけれど、そんなときでも自然というものはいくら見ていても飽きないものだった。車中のBGMにはRichie Kotzen『Break It All Down』を流した。墓誌に祖母の名前が彫られたという話で墓を訪れたが、何かの手違いか母の勘違いかがあったようで墓誌には以前と変わらず祖父までの名前しかなかった。雨に濡れた枯れ葉を掃除し、花を捨て、線香をあげた。まわりの墓を見ても供えられている花がしなびているものが多く、畑に捨てられたキャベツの表皮のように萎えて墓石の横に落ちていた。帰り際、作務衣の上にベストをはおった住職に出くわした。母の話に受け答えをするその目つきは不思議なほど険しく、見ていると瞳の色が薄く、茶色がかったなかにほんのわずかの灰色が含まれているような色であることに気づいた。
柴崎友香『ビリジアン』を求めて訪れたブックオフには当該作品はなく、見てまわっても他に買ってまでおきたいものもない。唯一、岩波の世界の美術シリーズのマネや、諸展覧会のカタログ類が五百円で売られていたのには迷ったものの、これ以上部屋を狭くする必要もないとやめておいた。コンビニと花屋に寄って帰宅してからはふたたびウルフを訳した。
夕食の生姜焼きが美味で米を二杯食べた。食後ふたたびウルフの訳文を考えたけれどこの日全体を通して三段落も進んでいない。この様子だと完成するのはいつになるのかわからなかった。Last Autumn's Dream『Winter In Paradise』、そのあとにUA『KABA』を流し、風呂をあいだに挟んで、昨日の日記を書いた。