2014/3/3, Mon.

 UA『ハルトライブ』を流しながら日記を書いたあとに一年前の日記を読み返したけれど、まるで話にならないゴミそのもの、まずもって文章とすら認められないもので、Hさんはよくもこんな糞尿以下の代物をこのころから読んでくれていたものだと今さらながら頭が下がる思いになった。彼との付き合いもはじまって一年ほどになった。そのはじまりとなるメールが送られてきた三月の日記をすべて削除した。最後の何日かは斜め読みすらしなかった。そのあとに、Gretchen Parlato『Live In NYC』をヘッドフォンで聞きながらマルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 2』から二箇所書きぬいた。いくらか前かがみになった姿勢で体は固定され、目は膝の上に乗せた本と画面のあいだをせわしなく行き来した。キーボードの上を跳ねる両手指のうち、左手首はPCの前部に置かれて固定されるのに対して、右手首が浮いているのは、左右の移動が多い右手の機動性を確保するために自然と身についた習慣だった。曲がった腰が痛みを訴えはじめると背すじを伸ばしてみるけれど、またすぐ知らぬうちに背中は丸まってきてしまうのだった。
 こちらの心とは関係なく勝手に目は覚めるけれど、そこから実際に起き上がるまでには意志の介在が不可欠で、この日も例日どおりその力の働くことはなく、寝すごして昼をむかえた。一晩を置いて昨日よりどす黒くなった生姜焼きの塩気と辛味が起きぬけの食欲を誘って椀は二度空になった。言い訳のしようがない不毛な時間を過ごしたあとに、部屋にはびこった埃が目に余って掃除機を持ちだした。細かい整頓までする勤勉さはないけれど、床や棚の上の塵を吸いこんだあとに、窓をあけはなして部屋を離れた。手を洗うときに目にした鏡のなかに、一面うっすらと微粒をまとった黒ジャージが映った。リビングのテーブルについて茶を飲み、コンビニの安いロールケーキを食べながら三宅誰男『亜人』を読んだ。
 部屋に戻ってCharles Lloyd『Rabo de Nube』を流しながら書きぬいていると母がHMVの懸賞で当たったCotton Clubの優待券を持ってきた。早速電話をかけたけれど、Hが希望した五日の2ndは定員がすでにいっぱいで、あいているのは四日か五日の1stだけだという。その旨Hに連絡して、返信を待つあいだに風呂に入ることにした。その前にストーブの石油を補充しに外へ出た。夜に移りかわる寸前の空のさめた青さのなかに幼児の描く落書きのような雲が点々と灰色を落とし、その下に立った身からはまだわずかに薄影が洩れ、白々と無表情な街灯の明かりは地上に残った最後の雪のなかに吸いこまれた。寒気をまとったままおそるおそる湯につかると、震えが逆方向に転化して一瞬身を揺さぶったあとに温かな安楽が身体に染みこんだ。入浴を終えて部屋に戻るとHから返信があって、結局都合はあわなかった。一人で行ったって構わないけれど、ライブに加えて、旧友とのしばらくぶりの顔合わせというもう半分の付加価値がなければ、Kurt Rosenwinkelの公演とはいえ、東京駅まで電車に閉じこめられるのは正直気後れがあった。西の外れに住んでいることの弊害は確実にあって、都心のほうに出る色々な機会のたびに、行きはまだしも、夜のわびしさのなかで人が詰まった電車に疲れた身体を押しこまれて帰ってこなければならないと思うとどうしても気は重くなるものだった。
 夕食に餃子を食べているかたわら、母が訪問の予期される知り合いについて大仰に嘆いた。すでに一度線香をあげにきたのに再度の訪問を口にするのは祖母に対する親愛の深さと見なせなくもないけれど、当の祖母がもはやいなくなってしまった今、その娘とは対した親交もないことを思うとやはり不可解ではあった。食後、Albert Ayler『In Greenwich Village』、Cecil Taylor『The World of Cecil Taylor』、Pat Metheny Unity Group『Kin (←→)』とBGMを移しながら三宅誰男『亜人』を読み終わった。大傑作だった。Paul McCartney『Chaos and Creation In The Backyard』をヘッドフォンで聞きながら多くの箇所を書きぬいた。繰りかえし飲んだ茶が残したカフェインのせいか、はたまた別のなにかのせいか、キーボードを叩く指先は震え、手のひらには粘ついた汗がにじんだ。
 どれだけ言葉を連ねても追いつかない豊かさがこの世界にはある、あえて意味から距離をとることでしか見えてこない物事の姿というものが、繊細でありながら断固とした手つきで核心のまわりをかこむように掘り起こす、そのようなやりかたでしか、そのようなやりかたをしてすら汲みつくすことのできない豊穣さが事物のなかにはそれ自体として備わっている、言葉にしてみるとひどく今さらで紋切り型でナイーブでほとんど幻想じみたこの信仰をおのれのうちに認めるならば、文学というものに出会って以来この一年は曲がりなりにもそれを学ぶための時間であったにちがいない。書きぬきを終えるとすでに一日も終わろうとしていたが、日記を書かなくてはならなかった。