2014/3/10, Mon.

 朝早く起きてまだ外は薄青いと思っていたのもつかの間、ふりむけばカーテンが光をはらんでいて、ひらくと光球が南天に堂々とあらわれていた。雲のすじがオレンジに染まって左右に長く伸びていた。久々に早朝の太陽を浴びたのでたまにはメロウでスムースな音楽を聞こうとGeorge Benson、つづけてJose Felicianoを流して九日の日記を書き終えた。そのあとはJose James、Judy And MaryとBGMを変え、眠気に耐えながら中沢新一國分功一郎『哲学の自然』を書きぬいた。思ったよりも書きぬくところが多くて十時半までかかった。終盤の具体性および直観知の話が刺激的で、というよりこの話題はもともとここ数ヶ月来こちらの関心となっていたものを哲学的な観点から語ったものだろうし、ウルフにしてもプルーストにしても(おそらくムージルにしても)この問題を扱っているのではないか、というわけだからベルクソンおよびメルロ=ポンティはいつか参照すべきだと思われた。Theo Bleckmann『Hello Earth! The Music of Kate Bush』は買った当初はいまいちぴんとこなかったけれど、ここ最近あらためて何度か聞いたところではこんなにおもしろいことをやっている男性ジャズボーカルは他にいないと感じるようになった。
 勝手口から出ると目に入った南の空に、幾重にも寄せる白波が凝固したような雲のつらなりが浮かび、ゆっくりと西へ移動していた。向かう西の空は一面厚い灰色に覆われて薄暗く、雨をも予感させた。駅にアジア系の二人がいて聞いたことのない響きの言葉を話していた。何の根拠もなくタイ語だろうと見当をつけた。ひとりは眼鏡をかけたいとうせいこうっぽい男で、こちらを追いぬく横顔を見たときは疑いなく日本人だと思っていた。もうひとりは東南アジア系の顔立ちで肌もいくらか浅黒いが、こちらも日本人といえばそうも見えた。西空の雲は頭上にまで達していて陽をさえぎり、風も吹いて寒く、コートを着てこなかったことが悔やまれた。電車が来る直前、右手、線路のむこうになにか白く薄い紙様の物体がふわふわと浮かんでいるのを見つけた。ティッシュに見えないこともないけれどそれにしては厚く大きいし、ビニール袋にしては襞がない。前後左右に揺られて複雑にかたちを変えるさまは軟体動物のようでもあり、三角にすぼまったときは鳥が飛んでいるようにも見えた。駐車場の車のあいだに落ちていくのを見届けた直後に電車がやってきて視界をふさいだ。
 高架線路上から見る空は果てしなく、地平線の先までつづくそのほとんどが厚い雲で埋まっていた。雲海のなか、頭上近くに穴があいて濃紺がのぞいていたけれど、そのあたりにも母体から切り離されたちぎれ雲や煙めいた薄膜が浮かんでいた。Hからメールがあって、コンパに参加してくれないかと言われた。合コンは俺の居場所じゃないと返した。ドアがあくたびにさしこむ外気が冷たく、まわりを見まわしてもみな冬らしいコートをはおっているなか、明らかにこちらだけひとり軽装で、選択を誤ったにちがいなかった。新宿駅に降り立つと風に身体が震えていそいでマフラーをつけた。
 ディスクユニオンジャズ館の三階は月曜の昼時だというのに混んでいて、室内に常に五、六人は客がいた。通路は狭く、座って棚を見ているこちらのリュックに引っかかりながら人が通った。仕事着姿の連中のなかにひとりぶつぶつ何事かをつぶやきながら棚のあいだを歩く男がいて薄気味悪かった。一時間以上時間はあったけれどすべて見て回ることはできなかった。いままではほとんど見ることのなかったフリー系の棚をじっくりと検分した。Theo Bleckmann『Twelve Songs by Charles Ives』、Carla Bley『Live!』、World Saxophone Quartet『Live In Zurich』、Stephane Furic『The Twitter-Machine』(パウル・クレーの同名の絵がジャケットになっている)、Brandon Ross『Costume』、Paul Motian『On Broadway, Vol.3』、Paul Motian Trio『At The Village Vanguard』、Leon Parker『Above & Below』、Dave Santoro Trio『Live』、Robert Hurst『Underhurst, Vol.2』、Craig Taborn『Junk Magic』、Steve Lacy & Mal Waldron『At The Bimhuis 1982』の計十二枚を一万円ほどで買った。
 遅れてはいけないと十五分ほどはやめに新宿駅東口にいった。去年の十一月だったか十二月だったか、T.Kが計画した「お茶会」で夜に訪れたときには気持ち悪いほどにびっしりと人が並んでいてその情景を思い浮かべながら歩いたけれど、平日の昼間とあっては人の姿は少なく、そのあいだをひゅうひゅうと吹く風が身を切った。このときひどく寒かったのはきっと空腹のせいもあって、あとで夕食を食べてからは夜になったというのにむしろ寒さが和らいだように感じた。先に来たHさんと合流してしばらく待っているとTさんとMさんがあらわれた。京都から来たMさんとは初対面だった。灰のジャケットにセーターで、イメージよりもシックな装いをしていた。元気で気さくでにこにこ笑ってばかりいる人だった。
 適当に歩いて目についた珈琲貴族という喫茶店に入った。木調の落ちついた店で店員ひとりひとりの所作も穏やかに慇懃だった。値段はそれなりにするけれど、新宿で大手チェーンでなければこのくらいだろう、というところだった。テーブルの上の砂糖入れは金色に輝いていた。Mさんはよくしゃべる人でもあったが、落ちつかなさやせわしなさは感じなかった。風景書くときだけ文体ちがうよねと言われて、やはりわかるものだよなあとうめいた。目の前のここにあるものを書くのが一番難しい、とつぶやいたMさんが机上に落とした目線の先、Hさんの右手指はほとんど絆創膏で包まれていた。ついたばかりの仕事はハードワークらしかった。五時を過ぎて腹を満たしにいこうということでファミレスをふたつのぞいたけれど満員で、ハンバーグレストランに落ちついた。久しぶりに肉をたらふく食べたような気がした。Tさんは食後、眠気に耐え切れずテーブルに突っ伏していた。ふたたびおしゃべりに精を出したあと本屋に行った。
 全然知らん作家ばっかおるなあ、と棚を隅から隅まで眺めたり、Fくんこれ知っとる、と本を見せてくるMさんの顔は楽しそうで、文学や小説が本当に好きなのだと馬鹿みたいな感想を持った。エルフリーデ・イェリネク『死者の子供たち』という小説がおもしろそうだったし、ムージル関連の書籍だってほしいけれど金はない。岩田宏詩集がないんですよね、やっぱ古本屋じゃないとだめですかね、とかつぶやいていると、あっちにあったで、とMさんが言うのでついていった。本来の詩のコーナーを離れたところに特集が組まれて現代詩文庫がずらりと並べられており、なかにはサイン本もちらほら見られて見比べてみると、ばっちりきまったものも適当に書いたらしい筆跡がのたくっているものもあっておもしろかった。岩田宏石原吉郎、多田智満子の三者の詩集を買った。新刊のオルガなんとかいう作家の本を並んで見ていると、Fくんこんな風に体言止めって使う?と聞かれた。否定すると、そうやんなあ、俺も使わんけどだから一度めっちゃ使ってみたいんやけどな、難しいねん、Nくんとかよく使うよな、とつづけたあとに一呼吸置き、しみじみとした様子で、もっとうまく書きたいんやけどなあ、とつぶやきがもれた。小さな衝撃を受けた。『亜人』を書いた人が!
 広い車道をはさんで立ち並ぶビルの足下に人々が蟻のようにひしめき合っていた。夜闇のなかにけばけばしく浮かび上がる色とりどりの看板を見てMさんは、うわあ、きれいやなあと声を上げた。東京の空はせまいとかよく言うけど、空を見上げとるわけやん、それってこのビルの線を目がたどっていくんやないかな。地上と夜空を画するビルの輪郭は光をまとって膨張し、それが余計に空をせまく、夜を薄くしているように思われた。アルタ前の交差点でHさんと二人になって空を見上げた。地上の光は星の光を飲みこんで、それから逃れたのは一番星だけだった。そのなかでもひときわ光の強い星が月のかたわらに寄りそっていた。Hさんとも別れて、身体ひとつぶんのスペースしかない電車内でPat Methenyを聞いた。扉のきわに陣取れなかった。そこをとった中年のサラリーマンはコートの内側、スーツの右ポケットから十枚ばかりの小銭をとり出し、ひとつずつ左手指で触れては裏返し、眺めていた。最後に、二枚ある五百円玉のうち一方を左手に握って残りをポケットに戻した。男がいなくなったあとは若い女性がそこに居座った。脇目もふらずメールを打っている様子に誘われてのぞいてみると、彼氏かあるいは意中の男性に今しがた新宿であったごたごたについて報告しているのだったが、その文量が四十行はあろうかという長文だった。打ち終えると思い人から送られてきた二行のメールを読みかえし、自分のメールも最初から確認したあとに送信した。立川駅で降りるとすぐに笑みをうかべながら通話していた。
 みな携帯電話をいじっていたけれどのぞいたかぎりパズルゲームをやるかFacebookやLINEを見るかで、要するに多くの人にとって電車内の時間というのは退屈な、つぶすべき暇にすぎない。イヤフォンをつけている人も多く、これで音楽が売れていないはずがないと思うほどだけれど、集中して耳を傾けているらしい人は見当たらなかった。地元の駅で見た月のかたちは新宿と同じで、かたわらにはやはり惜しみなく光を放つ星があって、さっきまで大都会にいたのにもうこんなところにいる不思議を思った。アルタ前の交差点で空を見上げて、ナイトブルーですね、と言ったHさんの言葉を思い出し、月の光って青いんだよね、とニュージーランドでの経験を語ったAの言葉を思い出した。