2014/3/16, Sun.

 寝坊していると人が訪れたらしいばたばたとした気配が上階から聞こえた。I.Yさんが来るという話は聞いていた。起きると二人は墓参りにいったらしく、無人のリビングできのこと卵の汁を二杯飲んだ。読書会が一時からなのか二時からなのかわからず、一時からだとしたらすでに間に合わないけれどとりあえず連絡を入れて、寝間着から着替えて、たまにはと祖母の遺影の前に線香をあげていると二人が帰ってきた。I.Yさんがシュークリームを買ってきたから食べていったら、とすすめてくれたが歯を磨いてしまった。出際に、Sくん色々と手伝ってもらったんで大変だったでしょう、これいくらも入ってないんだけど、とお年玉を入れるような袋を差し出されたので恐縮して受けとった。家を出て中をのぞいてみると、渋みのある独特の色合いとともに一、零、零、零、零、と見えてぶったまげた。たまに見舞いにいっていただけで何をしたというわけでもないし、葬式のときだって花の会計を無様にこなしたのみで、本来なら金を貰う筋合いなどないし、せいぜい三千円が妥当だろうと思っていた。二十四にもなって親戚のおばさんから金をいただくのもばつが悪いし、それが一万円もとあってはなおさらだが、いつだって金はないのでありがたいことこの上なかった。
 晴れ空がつづいて空気もあたたかく、いよいよ春の近まりもたしかな実感を持って感じられはじめた。静かな海を船が航行していくのと同じように、まっさらな空を飛行機がかすかな軌跡を残して泳いでいった。一向に連絡がないのでこれはまずいことになりそうだと思い、電車内ではTwitterを見られるよう画策していたが、ブラウザは重くてツイートしようとすると止まるし、Twitter用アプリケーションはずっと以前からなぜかログインできない状態がつづいている。どういうわけか全体的に携帯の動作がのろいので再起動して、立川に着くころにもう一度ブラウザ閲覧してみるとUくんからメッセージが入っていて、今日読書会ないらしいですよとあるので、どうやら早とちりをしたらしいと気づいた。とんぼ返りというのももったいないので立川で降りることにした。
 意図せずして時間ができてしまったので誰かと会おうかと電話帳を眺めてみるが誘える人間が全然いない。駅正面広場の隅に喧騒を逃れてTに電話をかけてみるけれど出ない。Tさんの連絡先を聞いておけばよかったと思った。ひとまずCDも本も買ってまた部屋が狭くなることだし、ロフトに行って三階で収納用のボックスを買った。帰ろうかどうしようかと思いながら外に出た足が自然と公園のほうに歩きだしているので、やはり行くべきだと決意した。
 入ってすぐ道は三方に別れて、真ん中のものは芝生を割ってまっすぐ伸びて階段へとつづき、左のものはゆるやかな昇り坂となって階段上へと通じる。右に折れる道は広いグラウンドのまわりをかこんで円を描き、真ん中の道の途中へと合流する。中央と左の道のあいだの斜面には巨大な柱を倒したような白石が置かれて段になり、座ることができる。一番上の一番端に腰掛けてしばらくあたりを眺めた。正面では幼児とその若い両親がシートの上でピンクの弁当箱をあけ、ピクニックを楽しんでいる。幼児はシートの上に立ち上がると浮き立つ気分をおさえきれずに身を揺らして、両親がそれを笑いながらたしなめる。その左、石段の端には中年男性がひとり本を読んでいて、かたわらには小さなお茶のペットボトルが置かれている。子どもたちが近くに来て遊ぶのを戸惑ったようにちらちらと見ながら読書をつづける。家族連れの右側には黒いジャンパーを着て帽子をかぶった老人が缶コーヒーを片手に、何をするわけでもなく座り、そのまわりをやはり子どもたちが駆けまわる。禿頭の後頭部にはしわが寄り、陽に照らされてうっすらと汗をかいているようだった。その右には先の子供連れと同じような三人家族がいて、こちらはすでに食事を終えて水筒や弁当箱を片づけ、撤収しようかというところである。青いグローブをつけて黄色のボールを持った男児は下の広場へと降りていって、ボールを地面についてはとって遊び、そのあとを親が追うと、両手を大きく頭上で振ってみせた。彼らがいたさらに右、石段のもう一方の端では中年の女性四人が並んで座り、和やかに談笑し、その隣で青いシートの上に男が死んだように眠っている。はじめの家族連れの隣には女性二人が新たに腰掛けて食事をはじめ、もうひとつの三人家族が去ったあとにもカップルが座ってぽつりぽつりと言葉を交わす。遠くから近くから、話し声、叫び声、泣き声、笑い声、犬の吠え声、ボールが地面に弾む音、自転車がアスファルトをなめる音などが湧いては消えて、広大な空間をざわめきで包んだ。グローブをつけてキャッチボールをする少年二人、ゴム製のボールを抱えて投げ合う姉妹、小さなサッカーボールを持って走りまわる幼児、キックボードを乗りまわす男児、自転車で芝生のまわりを走る親子、ボールを高く蹴り上げつづける男の子、凧を引っぱって駆ける女児、いたるところに子どもたちが遊ぶ広場の端では、何かの集団が旗をくるくるとまわして演技の練習をしている。敷地をかこむ木群れの向こうには巨大なビルや背の高いマンションや立体駐車場が並び、その上に広がる空はどこまでも快晴だった。うしろで、母親に連れられた少女がやっほー、と叫んだ。お父さん、どこー?
 斜面をのぼって橋を渡ると道は左右対称に分かれ、そのあいだに立ち入り禁止の芝生がつくられている。植えこみで囲まれた芝生のなかに鳥が一羽遊び、人々はそれに目をやることもなくまわりの道を歩き過ぎていった。鳥は自分だけの空間を我がもの顔に歩きまわり、時折り地面にくちばしをやっては何かをつまみあげた。左右の道と芝生のあいだには裸木が立ち並び、ハート型めいた葉を無数につけた蔦でその表面は覆われ、道の外側にはベンチが設置されてカップルや老夫婦が座っていた。道を抜けて奥に入園ゲートがあり、入場券を買っていると、隣の女性に連れられた白い犬がきゃんきゃんとはしゃぎまわり、飼い主めがけてくり返し飛び跳ねた。
 ゲートをくぐるとやはり左右対称に並木道がつづいた。昨年Nと来たときにはイチョウが葉をつけていて銀杏のにおいが立ちこめていたけれど、いまはまったくの裸木だった。中央には小さな池と水路が設けられ、道に沿ってつづく水路の幅はところどころ広がって長方形をつくり、その中心から水柱が立っていた。最奥の丸池にはひときわ大きな噴水がつくられていた。中央から高く伸びた柱に丸テーブルが乗り、さらに四人の人間の彫像が乗って、その足下から水は全方位に噴出している。空にむけて伸ばし広げた彫像の腕に鳥が群がり止まっている趣向らしかった。
 次の広場ではいくらか不良じみた格好をした三人の青年が、しかし無邪気に女児とフリスビーを飛ばして遊んでいるのが目についた。その芝生の上には奇妙なオブジェがいくつか置かれていた。木で組んだ虫のような造形の頭部から長い竹が二本突き出て、突端にはわらか何かでつくられた球体が刺さっていた。それが目玉だと気づくと同時にどうやらナメクジを模したものらしいとわかった。他にも玉ねぎのような木組みだとか、つくっている途中なのか何のかたちもなしていない抽象的な柱の組み合わせが無造作に置かれ、そのまわりを人々が散らばって歩いた。
 二つ目の橋の両側には、下の道から伸びた木々の枝葉が顔を出すどころか見上げるほどの高さに茂り、そのかたわらで欄干にもたれて外を眺める老人がいた。女性の二人連れが、なんか湖みたいなのが見えてきたね、すごいね、山みたい、ここ立川?と話す視線の先、湖と呼ぶにはいささか小さいけれど水が広がっていて、足漕ぎボートや平船がゆったりと揺られている。水面は陽を浴びて水色に光り、また一方では深い緑色をたたえて、あるかなしかの微風にさざ波が立つと二色が交じりあい、編み物のような細かな模様を織りなした。その前を右に曲がった。林道を抜けて水無川の上にかかる短い橋を渡ると左手にカフェがあって、アイスクリームを持った三人の女性は楽しげに笑い、屋外の席に座る男に連れられた犬の吠える声が木の間に響いた。
 もう少し歩くと敷地の入り口にあったものよりさらにだだっ広い一面の芝生があらわれた。空腹を感じていたので売店で焼きそばとポカリスエットを買い、隅のほうに座って食べた。降り注ぐ陽射しをさえぎるものはなく、風も穏やかで、汗がにじみはじめた。広場の向かい、視線のはるか先には裸木が立ち並んで、折り重なる枝々がくすんだ壁のように見え、その下で遊びまわる人影はほとんど指人形のような小ささだった。中央付近の大木のもとには何かの集団が集まり、ツアーなのか旗をかかげながらぞろぞろと歩きだした。視線を右に移すと芝生の端近くに中央のそれと並ぶ大きさの常緑樹がそびえ、長く伸びた木蔭のなかで人々が寝そべり、憩っている。その影の先端が触れるか触れないかのところから菜の花畑がはじまり、いまは背の低く鮮やかな緑を広げていた。いったいここにどれだけのひとがいるのだろう? まばらに散らばって座る家族、寝転がってささやき合うカップル、グローブをつけて歩く少年、ラケットを持った少女、何の理由もなく走りまわる幼児二人、長細い風船をくり返し高く飛ばす子どもたち、ゴム製のバットを振りまわす青年、赤ん坊を抱いてあやす父親、ベビーカーをゆっくりと押す女性、アイスクリームをなめる一家、ボールを蹴りあう親子、シャボン玉を吹く男児、バドミントンをする兄弟、ひとりひとりにそれぞれの関係があり、会話があり、それぞれの時間がある。目の前をまだ小学校にもあがらない年頃の男の子がとてとてと走って横切り、転んだ。顔は笑みを浮かべたままゆがむこともなく、何事もなかったかのようにすぐに立ち上がってまた走りだした。
 来た道を戻って、池の前を先とは反対側に進んだ。ボートも入れず隔離された池の一角には鴨たちが浮かび、ほとんど静止したような時間があった。水の動きは穏やかで、波が立つのは、ホイッスルのような声の水鳥が鳴きながら泳ぐときだけだった。池の縁に立ち生えるススキめいた植物の茎やその上に垂れ下がった木枝のなかを、まるで血管中を養分が移動していくかのように、下から上へと光が揺れて流れていった。反映した陽光が水のかすかな流れに沿って宿ったものらしく、水面に映った木々の影は深緑の像となってゆらめいていた。
 西立川口から出て電車に乗った。公園にいたときから鼻水とくしゃみがとまらず、鼻をすすりすぎたせいで頭痛がはじまっていた。左前の扉脇には大学生くらいの女性が立っていた。茶髪のショートカットで、マスクをつけ、淡い桃色のコートの前をしっかりと閉じ、ブーツを履いていた。美人と言っていいけれど、眠たげな目は愛嬌のある垂れ目というよりは、抑うつをのぞかせるような暗い目だった。男が乗ってきた。工事現場の人夫のような薄汚れた格好で、幽霊みたいにうらめしそうな顔でコンビニのチキンを素手でつかんで食べはじめた。女性はゆらりと動いてこちらのうしろに移ったが、次の駅で降りるでもなかったのできっと男のそばにいたくなかったのだろうと邪推した。あいた扉横には男が居座って、鶏肉をがぶがぶとやっていた。何駅かして降り際に電話に出た女性の声をちらりと耳にしたが、見た目とは裏腹に低い声だった。
 帰宅して時間はまだはやかったが夕食にした。食後なんだかぼんやりとして、テレビで流れていた相撲を見るでもなく見ていると、白鵬の取り組みがはじまった。ぶつかって、まわしの取り合いがあったあと、白鵬が左手で相手のまわしをつかむと途端に場内から歓声が上がった。そのままひょい、と事もなげに相手を投げて白鵬が白星をとった。解説を聞くといまのは上手投げで、素人だから何が上手で何が下手かも知らないけれど、白鵬の上手といったら必殺技のような感じで知られていて、それでまわしを取るやいなや客が沸いたのだという。それはすごく格好いいと思った。ただ相手のまわしをつかむだけで、場内を熱狂させることができるのだ。
 食事中から母が免許証がないと探しまわっていて、年々母は頭がぼけてきているにちがいないと密かに確信している。免許証はのちに父の協力で発見された。食後、ウルフ『灯台へ』を読みはじめて、気になったところを兄がベルギーから帰国する際に買ってきてくれた(ただしamazonで頼んだというからそれでは日本で買うのとちがいないじゃないか、とそのときは笑った。ベルギーの本屋には英語の洋書はあまりないらしい)Wordsworth Classicsの原書とつき合わせてみると、地の文のなかで括弧なしに台詞や独白として訳されているところが原文では普通の三人称になっていてどういうことかと思えば、これが例の自由間接話法らしかった。
 風呂から出ると菊地雅章『Sunrise』を流してふたたびウルフを読みはじめたが、そういえば『灯台へ』の映画があったと思いだしてyoutubeで検索してみると、約二時間のそれがトップに出てきた。これなら十一時には見終わると思って音楽をとめてヘッドフォンをかぶり、フルスクリーンモードで再生しはじめると、冒頭の、感傷的な音楽とともに黒塗りのなかに灯台の光が小さく浮かび上がるシーンで、モニターについたほこりとくすみが気になってティッシュをとってごしごしとこすった。本編がはじまってすぐに夫人がジェイムズをなだめに行くけれど、「アッシ! アッシ!」などと叫んでいる言葉が何と言ってるのかわからなくて、そこで字幕がないのだという当然の事実に気づいた。"There'll be another day"というくらいなら聞き取れるというよりむしろそのくらいしか聞き取れず、台詞がわからなくてもいいかと思ったけれど、ラムジー氏が何か哲学的な話をしているらしいところを見ながら、せめて原作を再読し終えてからにしようとストップし、ヘッドフォンを外し、菊地雅章をふたたび再生して二十九頁の描写を書きぬいた。
 頭痛の波は高く低くなりながらずっとつづいていて、鼻からは摩擦を失った液体が垂れ、くしゃみとともに風邪をひいたような寒気もしたし、茶を飲みすぎてふくれた胃から不快な空気が吐き出されもした。日記を書きたかったけれど、そんな体調ではメモノートに残された過去最大の記述量を前にして気後れし、明日にまわしてさっさと床につくことにした。寝床で『灯台へ』を少し読んで十一時過ぎには電気を消した。