2014/3/17, Mon.

 あけたカーテンの隙間から陽の光が射しこみ、棚に置かれた本の前に薄明るい柱を立てた。じっと見ていても変化の瞬間はとらえられないが、ただいつの間にか色みが増していることに気づく。外を眺めると太陽は顔を出したところで、空には繊細なグラデーションが生まれていた。山際の薄紫が徐々に色を捨てたあと、透きとおった純白をほんのわずかにたたえ、また段々と水色に染まって広がっていき、そのなかに燃え立つ日輪はいまはまだ直視を許すけれど、やがて正視できないほどのまばゆさを誇りはじめるだろう。世界が新たに生まれたかのようなほの青い空気のなかで見慣れた町の風景もかくあるべしというもの静かな情緒に沈んでいた。原初の朝もこんな色だったにちがいない。
 朝食は混ぜご飯と玉ねぎの味噌汁で、食べたあとにまだ足りないと感じたので目玉焼きを焼いた。早朝に見た景色を文章にしてからひたすら十六日の日記をつづり、終えると十時近かった。その後ギターやベースを弾きながら無為に時間を過ごしたり、洗濯物を取り入れにベランダに出た瞬間に鼻がむずむずして花粉の威力を思い知ったりということがあったけれど、もう二日前のことなのでよく覚えていない。いちおう記録してはあるが充分とは言えないメモにしたがうと、Stephane Furic『The Twitter-Machine』を流しながらウルフ『灯台へ』を読みすすめたものの、すぐに寝てしまったのだ。眠りとうつつの境で例の金縛りや頭がしびれるような感じに襲われ、また、見た夢はなにかファンタジックなものだったため、起きてからファンタジックな小説を書きたい、ひとつの世界観のなかでいろいろな人々を描く連作のようなものが書きたい、と思い、そして連想からかロマサガ3をやりたくなったのは覚えている。
 Miles DavisRelaxin'』をイヤフォンで聞いてソロを口ずさみながらアイロンをかけおわり、部屋に戻って携帯を見るとHMVからBlue NoteもしくはCotton Clubへの招待状の抽選メールが届いていて、Blue Noteのサイトを見るとMarcos Valleが生きていて現役であることを知り、抽選のほうは四月はじめにFred Herschが来るらしいのでCotton Clubのほうにした。米をたけるあいだ風呂に入った。足を踏み入れるやいなや磨りガラスに青い光が映ってぼんやりと広がり、思わず窓をあけると坂の入り口で曲がって消えていくトラックの側面、タイヤの高さに連続する青いライトが灯っていたけれど、あんなに小さな明かりがガラスを半分は覆う円になって見えたのが不思議だった。風呂のなかでは「祝福された貧者の夜に」と題されたMさんのブログ記事を読み、結局自分はきっと根本のところでは感傷も好きだし自分語りも好きで、ただ一方でそれではいけないという思いがあって、日記を書くということは必然的に自分語りにならざるを得ないけれど、それをするのに適切な自分との距離ややり方というのを探しつづけてきていまも探しあぐねているというところだろう、などと考えた記憶がある。
 夕食に何を食べたかなんてもう覚えていないし重要でもないが、夕食中に見た「Youは何しにニッポンへ」という番組のことはすこしばかり覚えていて、普段テレビをまったく見ないけれどこの番組や、あとNHKでやっている鶴瓶の家族に乾杯なんかはわりと楽しめて、芸能人が作為的なトークを繰りひろげるバラエティ番組などより、一般の人々の姿を比較的少ない編集でそのまま映すような番組のほうがおもしろい、そういう好みが明らかになりはじめたのは文学を読みはじめたころ、つまり物語から小説へと好みが移っていったころでそのあいだを恣意的に結びつけることもできないでもないけれどそんなことはどうでもいい。番組はオーストラリアから来たバンドマンが神社でPV撮影なんかをしていたけれど、一部の外国人に典型的であると時折り耳にするようなよくわからないスピリチュアル趣味というか、いくらか歪んだ日本イメージのようなものが感じられないでもなかった。この日はたしかベースをよく弾いた日で、夕食後にもいくらかベースを弾いて、Carole King "I Feel The Earth Move"のリフを繰りかえしたりもしたけれど、長く弾いていなかったのに意外と指が動くのに驚いた。最近はギターは適当に弾いているだけでひどくおもしろいというか、フリー的なことをやるのはおもしろいし、何かしらコードを鳴らすだけでももはやおもしろいのだけれど、ベースはまだ適当に弾けるほどの能力もない。そのあとはMarcos Valle『Samba '68』と『Vento Sul』を流して、前者のライナーを見たらDeodatoがアレンジをやっていてへえ、と思いつつウルフを読んで寝た。