2014/3/18, Tue.

 スーツを身にまとったままベッドになかば寝転がってウルフ『灯台へ』を読んでいると、車に乗ったときのようなにおいがどこからか湧いて鼻をくすぐり、それがまさに車酔いのような頭痛を引き起こした。あるいはそれはRadiohead『Kid A』の無機質で鬱々とした音が誘ってきたものだったのかもしれない。しばらくすると頭痛のかわりに重苦しい眠気が頭に訪れて、本を読みすすめるのもままならなくなったが、まどろみの誘いに乗るのは一握りの苦々しさを含みながらもたしかな甘美で、眠気の波間に目に入る外の風景、押し黙ったような薄暗さのなかにある近くの家々、いまだあたたかさをたたえた彼方の山、そして幼児の絵のように雲が無造作に散りばめられた青空を目にすると、このような明るさのなかで睡魔に屈することの魅惑を感じ、同時に、対照的な夜寝のつまらなさとが思い起こされるのだった。このあいだ、のどはひっきりなしに動き、鼻の入り口あたりにわだかまる痰を飲みこみつづけていた。痰はいくら飲んでもぬぐいつくすことはできず、飲みこんだそばからまた生まれてきてのどの奥に引っかかった。
 地上の半分はすでに陰に沈み、陽は川の両岸を分かつように水の上で途切れ、いまだその光に包まれているのは向こう岸に生える木々のほうだったけれど、空はこちら側でもまだ明るく透きとおって、冬の終わりを如実にあらわした。坂を上がって家々のあいだを抜けると、落ちる前の太陽が手を伸ばしたところに追いついた。雲は不思議にひとつの方角に集まり頭上にはかけらも見えず、それらをしたがえた斜陽は沈みながらもむしろまばゆさを募らせて街道に光の帯を敷いた。そのなかを車が走り、人が歩くと、柔らかな光の手にさらわれたおのおのの分身が長く伸びて地に宿った。黄みがかった橙色に触れられると林の葉は生き生きと色づいて大きさを増し、長い歳月を経た木造家屋の壁もくすんだ木目のなかに秘められた輝きをあらわにした。町全体がつくりものと化したようなものだった。日常からわずかに、しかし確実に浮遊したその時間は長くつづくものではなく、やがてマンションの最上階の窓ですら光を反射しなくなると、息をひそめるようにして夕刻は夜に場所を譲りはじめた。
 残照が消えて夜が深くなっていくあいだは退屈で気だるいひとときだった。
 振りむけば月があった。満月が浮かぶ一角では皓々たる明かりが夜空を青く薄め、光の届かない西空は濃密な闇の膜で覆われて、そのなかを飛行機がくぐもった音だけを残して泳いでいった。膜の表面にまばらに広がる光点は、その実、姿の見えない飛行機よりもはるか彼方、到底理解することのできない距離の果てにあり、いま踏みしめているこの大地もあの小さなきらめきのひとつに過ぎないとは想像もつかないことだった。あちらからも同じようにこちらが見えるのだろうか? ほとんど無限にも思える途方もない時間のあいだ、これらの星々はたがいに対峙し、秘密のメッセージを送りあうようにして光を交わしてきたのだ。その光は、たったひとつの意味を愚直に運びつづけるもの、すなわち、わたしはここにいるよ、と自分の存在を伝えるためだけのもので、千年の昔にもこうしてその声を受けとった人間がいたにちがいない――そして千年の先にもまた。