2014/3/23, Sun.

 カーテンの隙間から射しこむ光が顔に直撃して二度寝から覚めた。十一時だった。食事をしながら高橋悠治カフカ/夜の時間 メモ・ランダム』を読んで、カフカの日記を読まずに死ぬわけにはいかないと思った。Istvan Kertesz & London Symphony OrchestraDvorak: Symphony No.8 & No.9』を流した。磯﨑憲一郎『肝心の子供』から昨夜面倒に思ったところを、こういうところできちんとするのがやはり大事なのだと書きぬいた。書きぬきも時間はかかるしやる意味があるのかどうなのか疑問に思うこともあるけれど、なかば祈りのようなもので、それで言えば『族長の秋』を日々ぶつぶつと暗唱しているのも同じようなもの、仏教に帰依している人間が経を唱えているようなものかもしれない。何をきっかけとしたのだったか、そう、高橋悠治を読んでいたら無性に音楽に触れたくなった、音を鳴らしたくなったので、Stevie Ray Vaughan『Live at Carnegie Hall』を流して一時間ほどギターを弾いた。そうしたらいつの間にか予定の電車の時間を過ぎていた。読書会の前に図書館に寄ろうと思っていたが、CDを買ったり借りたりしてばかりで聞くほうが追いつかないので(いつものことだが)今日はやめることにした。
 風のある日だった。林のなかをいつもどおり上がっていると、突然風が吹いて、ざわざわと揺れる木々に囲まれた。濃い緑の生命感あふれる葉は光を宿してさらに鮮やかさを増し、風を受けてひらめくと白い輝きをまき散らした。駅向かいの石段の上にはネギの畑があり、そのそばに梅の木が二本立っている。幹はY字に分かれてそこからさらにいくつか分岐して、先には花火のように白梅が咲きほこっていた。ごつごつとした質感が離れても見てとれる幹はよくよく見つめてみると驚くほど腕に似ていて、その曲がり具合はちょうど肘を曲げているように見えたが、指にあたる部分は人間の手にしては不気味に歪んでいて、悪魔の手というものがあったらこんな感じだろうかと想像した。電車は行楽客の姿はむしろ少ないのに妙に混んでいて、乗りかえて先頭車両に入っても先客が何人かいたし、あとからもやってきた。このような絶好のお出かけ日和とあっては外に誘われる気持ちもよくわかった。
 いつもの喫茶店に向かっていると背中を叩かれてなにかと思えばAくんだった。Donny McCaslin『In Pursuit』を止めてイヤフォンを外し、どうだい?と聞いた。最近は、とか調子は、というような感じでなんとなく尋ねたのだったが、相手はウルフについてだと思ったようで、いやおもしろかったよ、何も起きないって言われてたからラムジー夫人死んじゃってびっくりしたけどね、と話した。店に入って、先に座っていたKくんと合流した。ここに来たときは、つまり月に一度のこの読書会のときは、ホットであれアイスであれココアを頼むのが常だけれど、コーラのほうが安いことに気づいたので今日はそれにした。『灯台へ』はどうだったかとおおまかな印象を聞いてみると、Aくんは楽しんだようだったし、Kくんは最初のうちはどう楽しめばいいのかわからなかったと言いつつも、全体としてはおもしろく読んだようで、のちにはここの風景描写が好みだ、などと挙げたりもしていたので推薦者としては安心した。実際のところ、『灯台へ』はすばらしい、名作であると確信を持って言えるが、なぜすばらしいのか、なぜ名作なのか、と言われると説明しづらいというか、いやとにかくこの文章、一文一文がすばらしい、というはなはだ主観的かつ同語反復的な物言いになってしまいがちなので、ウルフが何をやっているのかということを考えつつ自分の感じるところを説明しようと試みた。小説について話していれば個別の作品のみならず小説全般や自分の文章についても話が流れて、日記についていくらか語ったりもした。五時半ごろまで話して次回の課題書を決めに本屋へ行こうとなり、出際に小説書いている人って知り合いにいるかと尋ねてみたが二人とも特に思い当たらないということで、そもそも書いていてもわざわざ吹聴するようなことではないか、と納得した。課題書はマキャヴェリ君主論』に決まった。平凡社ライブラリーから出ているカフカの『夢・アフォリズム・詩』を買おうと思っていたが置いていなかった。ファミリーレストランビーフシチューハンバーグを食べて帰路についた。
 電車内ではKendrick Scott Oracle『Conviction』を聞きながら高橋悠治をいくらか読みすすめ、後半はBBCを読んでいた。語学を身につけなくてはならないという思いを繰りかえし確認する日だった。ウルフ『波』だって新訳がないし、カフカの日記だってそうだ。少なくとも英語を読めるようにならないと話にならないし、最低もうひとつは言語を(ある程度)習得したい。大学で第二外国語だったイタリア語を真面目にやっていなかったことが日に日に悔やまれる――それを言ったらそもそも文学を専攻しなかったことこそが人生最大の寄り道だけれど、しかし寄り道は迂回ではあっても無駄ではなく、友達もつくらず本もたいして読まずに部屋で音楽ばかり聞いていた日々だって糧にはなっていた。不安障害に陥ったことだって、過去をよいものにしようという心の欺瞞には違いないが、自分の身体や精神に対する感知力を身につけるための必要な過程だったようにも思える。
 夜になって吐く空気がかすかに白く染まる程度には冬の息づかいが戻ってきた。自販機で茶を買って飲んで身体のほうはあたたまったが、何も入っていない缶に風が触れるとひどく冷たくなって持てあました。自販機を探して表通りに出る間際、花の香りがして思わず振り向くと、塀際に白い花が咲いていた。花びらが四枚十字に重なった小さな花で、多くはまだつぼみのままだったが、近づくと甘くも上品なにおいがした。