2014/3/27, Thu.

 眠る前にちょっと進めようとKew Gardensにとりかかったのがまちがいで、軽い気持ちではじめたつもりが例の融通のきかないこだわりが出てきて、ひとつの描写がどのような情景を書いているのか考えこみ、結論が出たら出たで原文との兼ね合いを考慮しながらそれにどのような日本語をつけるか、どのように文を組み立てるかということを考えこみ、ああでもないこうでもないとうめきつづけたあげく、一時間半以上かけても五文程度しか訳せない始末、眠るのは二時になった。九時に起きられたのが幸いではあった。チャーハンだけでは足りなかったので赤いきつねを食べた。Charles Mingus『Epitaph』をかけ、フルトヴェングラー『音楽ノート』を読んでから例によって『失われた時を求めて』第三巻を読みはじめたけれどだんだんと睡魔がやってきて、しかし今ここで寝転がったらまちがいなく労働にいけなくなる、とベッドボードにもたれたまま十一時から苦しい抵抗を三十分間つづけてなんとか打ち勝った。
 職場を出ると雨がやんでいた。駅のホームでココアを買って飲んだ。CDはまだインポートしていないし本も読み終わっていないので何も返すものはないけれど図書館に行った。文芸雑誌をいくつかめくってみるが特に読みたい記事も見つからなかった。知らない作家の名前ばかりで、いまこの現代日本でどのような文章が生まれているのか知りたい気持ちもなくはないが、自分にとって重要そうな作家はここではなくてどこか他のところにあるような気がした。新着図書はかわり映えせず、ずっと前から置かれているヘンリー・ミラー『母』が変わらず気になって、席にかばんと傘を置いてからミラーの他の作品があるか書架に探しに行ったその途中、ジョナサン・リテル『慈しみの女神たち』の存在に気づいた。このフランス文学の棚はいままで何度もじっくりと見てきたしリテルの本自体他の本の並びから突き出して馬鹿でかい存在感を放っているのに、気づいたのはこのときがはじめてだった。話題の作品らしく、佐藤亜紀『小説のタクティクス』でもとりあげられていたし、Mさんと会った日の本屋でもたしかAさんの名前とともにこの小説が言及されたはずだったが、巨大な上下巻とあってはいままだ読む気は起きない。ミラーは『迷宮の作家たち』とかいうのがあって、ミラーが他の作家論を書いているというのが少し意外な気もした、というのはしかしこちらの勝手な思いこみに過ぎなかった。解説をぱらぱらめくっていると交流相手としてロレンス・ダレルの名前があったがこの人の長編は少し読んでみたいと思っている。
 席に座ってプルーストを読みはじめたがどうにも興が乗らないことに気づいた。何か義務感めいたものが邪魔をして、文章を自然に楽しむことができなかった。それは、この日の午前中にもあらわれたものだが、十二時には家を出るからそれまでにプルーストを読んでおかなくては、という自分の欲求と内側からの義務感が一体化して見分けがつかなくなったたぐいのものとはちがって、いまこの図書館で読むことはなにかそれ自体が外部から課された義務のような感じをともなっていて、一般に読書がもっともつまらなくなるのはこういう条件下なので帰ることにした。貸出機の前を過ぎてエレベーターの横から階段をおりはじめると、窓の彼方に空が見えてはっとした。西空の一角で空を覆いつくす白雲に細い隙間が生まれていた。その途切れ目の輪郭が稜線めいて波打って、青く濡れた山並みのさらに向こうに真っ白な雪山がそびえ立っているようだった。細くひらいた口の左手には落ちかけた太陽がほんのわずかにのぞいて、赤い点から生まれた光の帯が雲のかたちに沿って不規則に広がっていたが、それもすぐに飲みこまれ、あとは押し黙ったように灰色の膜がつづいていた。踊り場に立ち止まってその光景をしばらく眺めてから帰った。
 Charles Mingus『Let My Children Hear Music』を流しながらプルーストを読むけれど眠気が出て、膝の上に本を乗せてページを指でつまんだままいつの間にか目を閉じており、本から得たイメージ、たとえば挿絵にもなっている娼家の想像上の情景などが意識のなかでぐらぐらと揺れたあげく、頭をふらりと前に揺らして思わず覚めてから目を閉じていたことに気づく、そんなことをくりかえしたので八時を機に風呂に入ることにした。湯につかると水のなかで外の音を聞くようなくぐもった響きがしていて、窓外の空を飛行機が飛んでいるのだと思っていたが、音がやむと同時に壁の向こうかあるいは床の下か、我が家の給湯機構の立てる音だったと気づいた。静かになった浴室には時計の緑の針が刻むかちかちという音が響き、オレンジ色の光が薄靄と同化してぼんやりと広がった。浴槽は縁にもたれて足を伸ばせるほどの広さはなく、膝を立てるほどせまくもない。目を閉じて呼吸をくりかえしてから冷水を浴びると少しは頭が冴えた。
 冴えたと思っていた頭もそれほど冴えたわけでもなく、プルーストを読みながら眠気と疲れが体をとりかこんでいたのでさっさと床につくことにした。いつまでたっても眠気が訪れないのにしかたなく寝る夜とちがって、自然な眠気があり、同じ明日のために寝るのでもいわば肯定的な就寝なので夜寝につきもののつまらなさがやわらぎ、気持ちよく眠れそうな予感がした。