2014/3/28, Fri.

 三時半に目覚めて四時間半の睡眠では心もとないともう一度寝たのがまちがいで、九時まで眠ってしまい、はやめに床についた甲斐がまったくなかった。『Mingus Ah Um』を流しながら昨日の日記を書いた。書き終わると十一時を過ぎていた。風呂を洗い、茶を入れて部屋に戻り、思念を書きつけ、フルトヴェングラー『音楽ノート』をわずかに読んだ。くるり「ばらの花」を流しながらベッドに上がってストレッチをして、あおむけになって歌った。スーツに着替えて、玄関の外に干してあった傘をたたんでとりこみ、扉を閉めて鍵をかけたところでここ何日か父と顔を合わせた記憶がないことに気づいた。
 すっかり春どころか初夏めいた暑さでスーツの上着はいらないくらい、半袖半ズボンで自転車を漕ぐ中学生がこちらを追いぬいていった。陽の光が恋しくて表通りを歩いていると、通りの向かいに自転車に乗った小学生三人があらわれた。そろって手を上げて同時に声も上げて道を渡りたいことを通行車にアピールした。車が止まると、一人目はごく普通の言い方でありがとうございます、と、二人目は運動部員めいてやや粗雑にありがとござまーす、と、三人目はアクセントをずらして芝居がかってありがとお、ございます、と、三者三様に礼を言いながら道を渡るのを見て、微笑ましく思いながらも、示し合わせたわけでもなくごく自然にそういうことをやってのけるのに少し驚いた。
 労働を終えて職場のドアをあけた瞬間にビルの屋上に近づいた太陽がまっすぐな光線を送ってきた。電車で帰った。梅と桜が出番を交代しはじめていることに気づいた。駅前の桜はまだほとんどつぼみだがところどころに白い花がひらきはじめていた。花の色よりもむしろ、つぼみの赤とも桃色ともいいがたい鮮やかな薄紅色に目を奪われて、木の下でしばし見上げていた。
 回鍋肉をつくるからキャベツをとりに行こうと母に誘われて畑に出た。葉が花弁のように重なってひらいているその根元を包丁で断ち切り、花びらめいた葉の衣は剥いて捨てた。菜っ葉をぶちぶちとちぎって袋に入れ、ついでにブロッコリーもとった。みずから回鍋肉をつくることにして、野菜や肉を切っているあいだ母は隣で煮物をつくり、かと思えば父がもらってきた信玄餅プリンを食べて、本当に信玄餅だ、と感想をもらしていた。ひとりで先にさっさと夕食にした。信玄餅プリンはたしかに信玄餅の味だったが、自動的に餅の食感が想起されるのに実際に口のなかにあるものは弾力もなにもないので違和感があった、つまりオリジナルの餅のほうを食べたくなった。
 アコギをいじりながらTwitterを眺めていたらウルフの命日だと知った。風呂に入って鬱陶しくなった陰毛を剃ろうとしたけれど、もうだいぶ伸びてしまっていて剃刀では太刀打ちできないので先に鋏で切らなくてはならないと断念した。『Mingus at Antibes』を流してプルーストを読んだが、正午過ぎから夕方までの労働というのは十時ごろにちょうど疲労がやってくるようで、あまり言葉の意味が頭に入ってこなかったので今日もはやめに寝ることにしたはずが、歯を磨いてから昨日の日記の一節を英訳していると時間がかかって結局日付を越えることになった。