2014/3/29, Sat.

 十時まで長く寝てしまい、引っ張りつづけたゴムをはなしたときのようなだらりとした倦怠があった。リビングに上がると寝間着姿の父がインスタントの味噌汁に湯をつぎ、おにぎりを食べようとしていた。色にむらのある焼きそばをレンジであたためて父と向かいあって座った。久々に顔を合わせはしたものの特に話すこともなく、今日はバイトないのか、と聞かれ、うん、と答えたあとは二人黙ってただものを食べた。窓外の山は光の膜に覆われて不自然なほど白く見えたが、食べ終わるころには雲が増えて光が弱まり、木々が輪郭を取りもどしたようだった。父は先に食べ終わってジャージに着替え、仏壇に線香をあげてからちょっと出かけてくる、と出ていった。どこに行くのかも言わないし、聞きもしないが、持った灰色の袋からクリーニング店に行くことはわかった。食べながら昨年の四月の日記を読みかえし、皿を洗ってから部屋にもどって読んだところまで削除した。
 茶をおかわりしにリビングへ行くと母が帰ってきていた。薄めの群青色のシャツの上にエプロンをつけていた。茶を用意していると鏡に映った頭、後頭部の髪がとさかのように爆発しているのに気づいて洗面所へ入った。櫛つきのドライヤーで髪をとかしながらわずらわしさを感じて、散髪への欲求が出た。目を落とすと流し台には菊の花束が白い紙に包まれてあったが、花はまだ控えめに身を縮めていた。茶をつぎながらYさんとKが午後来ると知らされた。それでは着替えなければとジャージをとりに窓際へ寄ると、眼下の斜面にある梅の木が目に入った。花はなかば以上落ちていて、そのあとに実なのか、赤みがかった褐色の粒が生まれて白のなかに鮮やかさを添えていた。
 Twitterを「磯﨑憲一郎」で検索して偶然見つけた楠木なんとかいう大学教授との対談を読むと、Fritz Reiner & Chicago Symphony Orchestraのドヴォルザーク交響曲第九番を流していたけれどLed Zeppelinが聞きたくなった。昨日の日記を書き終わると同時に音楽が終わったのでZeppelinのセカンドアルバムを久々に流しはじめ、フルトヴェングラー『音楽ノート』から二節英訳した。七曲目にさしかかったところでギターをとって弾きはじめ、スピーカーが沈黙してからも手すさびつづけた。
 風呂を洗おうと階を上がると母にYさんから連絡が来たら墓に行くかと聞かれ、天気もいいので出かけることに同意した。仕事をすませて部屋に戻り、ベッドの上でプルーストを読みはじめた。窓の外から機械の駆動音が絶えず響いていた。それは父があやつる耕運機の音で、首を伸ばしてみれば、斜面の下の畑に青いつなぎ姿の父が見えた。がたがたと揺れる機械をしっかりおさえてゆっくりと入念に地面を掘り起こしては少し移動して同じことを繰りかえす、そうして土はほどけていって、父のまわりには畝になる前の原型めいた不規則な土の盛り上がりが生まれていた。読書をつづけていると上階に人の気配が感じられなくなったので、一人で行ってしまったのだろうかと様子を見にいってみると母はソファに寝転がっていた。仏間に出ている提灯をしまってほしいというので解体しようとしたら木組みを壊してしまった。三脚のあいだに挟まって支える手裏剣のような部品があったけれど、提灯を三脚から抜くときにその接合部が欠けてしまった。木工用ボンドで応急措置をしつつも元々がわりとちゃちな素材なので無駄だろうと思いながら箱にしまい、そうこうしているうちに連絡が入ったので墓場に向かった。
 Kがちょうど花を供えているところだった。彼女は母と同じような青いシャツを来て脚を黒タイツで包み、めずらしく(と思うのは彼女の顔を見るのが先方を訪れるときばかりで、自宅にいるときの彼女はあまり身なりに気をつかわないからだが)化粧をばっちりきめていて、色気めいた話がないことを時折りYさんが嘆くけれど、その気になりさえすればいい男の何人でもつかまえられるだろうと思われた。供えた線香がもくもくと煙を放ち、見上げれば青空にも同じような不定形の薄い雲が吹き流れていた。墓場の入り口に大きな花びらを持った木があって、カメラを構えた中年男性がああでもないこうでもないと熱心に構図を探っていた。車に入りながらあれはなんという花かと尋ねれば、モクレンだと答えがあった。清らかな白の花弁のもとがほんのり淡く黄緑に染まっていた。
 休日の町は出歩く人が多く、何もないところなのに観光客らしい姿も散見された。雲は多いが厚みはない日で、白い光がアスファルトにそそいで薄く広くのび、視界のずっと先までぼんやりと光った。リビングで買ってきたばかりのジンジャーエールや茶をついで団欒した。Kは一か月フランスに留学して帰ったばかりで、向こうでの話を聞いた。スーパーで買い物をしていたら中年の男にナンパされたと言って照れくさそうに笑った。
 二人が帰路についたあとふたたび仏間を片づけ、隣の祖父母の寝室からタンスを引っ張ってきた。いらないようなものばかりつまっていたが、これは絶対に金があるだろうと探してみれば案の定で、一万円わけてもらった。他にも兄の中学の卒業式の写真があって、あどけなさを残した兄とAくんがいた。
 部屋にもどってライブラリから空気公団の曲をすべて選択して再生し、プルーストを読みはじめた。五時も近づいて外は暮れ方、空は薄白く、入り陽の鮮やかな朱色こそないけれど、それでも山はほの明るく色を帯び、自室にいるのに郷愁めいたなつかしさを感じるようで、浮遊感ただよう和音の響き、切なげな旋律、気だるげな歌唱が助長したそれは"旅をしませんか"で頂点に達した。叙情にひたりながら読書をしていると職場からメールが入って、勘違いで仕事ではないがやらなくてはならないタスクをやっていないことに気づいたので慌てて自転車を駆りだした。
 一時間かけてタスクをなんとかこなした。宵に入った空にはかろうじて数個の星が見えるのみで、暗がりはますます暗く、濃密な闇に同化した猫がうごめき、視線を送ってくるなかを駆けぬけた。自転車は久々に乗ったというのに行きも帰りも以前より楽々と坂をのぼった気がした。風呂に入って食事をとりながら日記を読みかえしたが、再読するほどの価値もないようだったのでひとまず八月分まですべて削除することにした。テレビでは腰痛など身体の痛みに関する番組がやっていて、一日たりとも引くことのない痛みを訴える患者を見て、このまま一生治らないのではないかと震えた不安障害時代の夜を思い出したりもした。酒に酔った父はひとりでテレビに相槌をうち、母はその横で顔を伏せてまどろんでいた。
 部屋にもどって日記の下書きをつづってから中島みゆき『Love or Nothing』を流した。茶を飲み終わるといつもとはちがってベッドにも椅子にも座らず、立ったまま本を持ちながら、あるいは机の上に置いて読み、読みながら音楽に合わせて狭苦しい部屋のなかを歩いたり体を揺らしたりしていると、精神がはずみ、酒を飲んでもいないのにひとりで楽しくなってしまうのだった。茶をおかわりしに階を上がるとソファに腰掛けて脚を伸ばした父は歯を磨きながらサッカー中継を眺めており、風呂から出たばかりで頭をタオルでくるんだ母がリモコンを手に取ると音量を下げ、父は口を閉じたまま抗議のうめきをもらすのだが母はそれを一顧だにせず洗面所に戻ってしまった。どこの家庭とも同じようにこの夫婦はこうした益体もない小競り合いを日々繰りかえしてきて、これからもつづけていくにちがいなかった。
 十時半にもなろうとしていたのでヘッドフォンをつけて椎名林檎『唄ひ手冥利』を流し、頭を揺らしながら読書を再会し、そうこうしているうちに『失われた時を求めて』第三巻は読み終わった。ヘッドフォンを外すとPCが苦しげに動く音だけが響いて、夢から覚めたような静けさだった。明日は図書館に行くのだから、すでに十一時を越えていたけれど書きぬきを終えるまでは眠らないと決意をかため、英気を養うために茶をつぎに行くと、ソファの上で母が眠りかけていた。隣に腰掛けると、明日おばあちゃんの誕生日だ、とつぶやいた。八十五になるところだった。
 茶を飲んで一息ついていると音楽が終わり、大西順子『Musical Moments』を次に流すことにした。右手のスピーカーの上に積まれた本のさらにその上にプルーストをひらいて、ヘミングウェイにならって立ったまま作業をしたが、キーボードを打ちこむにつれて左手首に発する違和感が腕の上を走っていき、やがてぴりぴりとした痛みを覚えるにいたって手首の角度が不健康なものになっているらしいと気づき、従来通り座ることにした。立っていれば腕に障るし、座っていれば腰が痛む。背すじを伸ばしているつもりでもすぐ知らぬうちに曲がりはじめて、前かがみにモニターを見つめる目も乾いてくるころ、"So Long Eric"が流れはじめた。Village Vanguardでのライブ盤でもやっているこの曲はここではそれをさらに拡大したような長尺で、あれよあれよという間に演奏が展開していき、倍速で走りだしてからは意識を音楽に奪われ、目は文の意味を読みとらずただ外形をなぞり、指は与えられた情報を写すだけの機構と化していたのだったが、テーマに戻ってからも演奏は終わらず、メドレー形式で気だるげなブルースを経由してふたたびテンポアップしていき、最後の盛りあがりを駆けあがってひどい急速調に到達した直後に終わりを告げるその十六分間は圧巻と言うほかなかった。一時になろうとしていた。
 一休み入れるために歯を磨いたがまだ眠るわけにはいかなかった。しかし書きぬき箇所はまだいくつか残っていて、今日中には終わらないだろうと思われた。ライブラリを上下しながら次のBGMを探すが、さすがにそろそろ穏やかなものが聞きたくなって、かといってバラードの甘さも重さに変わりそうな気がして迷ったあげくに、ボサノヴァの軽さがいいだろうとMarcos Valle『Samba '68』を選んだがこれが正解で、とはいえ疲労は確実に蓄積していて緑色の風めいた爽やかさも目の奥にあらわれはじめた頭痛の種を吹き飛ばせはしなかった。その上このアルバムは短く、十一曲で三十分もかからず、Antonio Carlos Jobimをそのあとにつなげてブラジルの涼しげな風が絶えないようにしなければならなかったが、まもなく二時をむかえたのでここを区切りに床につくことにした。