2014/3/31, Mon.

 遅く寝てしまってとんでもない寝坊をするのではないかと不安だったが十時には起きた。カレーがつくってあって、スープと魚のソテーと一緒に食べた。食事中電話がかかってきて出ると、めずらしくこちらの名前を告げられ、なにかと思えば年金機構で――正確には年金機構から業務を委託されているなんとかという組織だと電話の相手は馬鹿丁寧に自己紹介していたけれど――一月分の年金がまだおさめられていないので電話をしたということだった。食べながら日記を10月分まで読みかえし、食後読んだところまで削除した。皿を洗って風呂洗いをすませれば家を出るまであと一時間しか猶予がなかった。Anat Cohen『Place & Time』を流しながら日記を書いたが、一時間では書き終わらず、中断して出勤しなければならなかった。
 三月も過ぎて、道端の地面には枯れ草のあいだから新緑が顔を出し、冬を越えて色を深めた常緑樹の葉も陽射しを宿してつやめいて、そのあいだに白や紅色や薄紫の花々が彩りをそえていた。風は穏やかに、また時折り力強く涼しげに吹いて葉ずれを鳴らすけれど、それも空のほうまでは届かないようで、森の一番高くにある木々はさやとも動かず、濁りのない青空に静かに重なっていた。風がやめば空気がその場に立ち止まったような昼下がりで、擦り切れた革靴の立てる足音のみが響いた。先日名前を知ったばかりのモクレンが民家の脇に咲きほこっているのが、はるか手前から見ても視界のなかに浮かび上がって、その大きな花びらは大量の蝶が一斉に木に群がっているようにも見えた。
 往路にあれほど透きとおっていた空は、帰路にはどこからか運ばれてきた雲で薄白くなっていたが、さえぎられた西陽はそれでもなおまばゆい光を空に満たした。帰宅して勝手口から入ると、動きのない空気が妙に熱を持っていて、生ぬるさが袖から入って腕にまとわりついた。無人のリビングは、外出前に急いで洗濯物をソファに投げ出したときのままだったが、先にカレーを二杯食べて空腹を満たした。タオルやシャツをかたづけて部屋に戻り、『Art Pepper Meets The Rhythm Section』をおともに昨日の日記をつづった。途中で母が帰宅して階上に行くと、ひとり暮らしのご老人からもらったという伊勢丹の袋がテーブルにあった。なかにはチョコレートやアプリコット天皇杯受賞と書かれた茶葉があって、ずいぶんと気前のいい人もいるものだと感謝した。もどってTさんがTwitterでつぶやいていたSoundcloudの音源を流しながら今日の日記を書きすすめ、一段落つくといつの間にか八時になろうとしていたので驚いた。
 入浴後アイロンかけを済ませ、フルトヴェングラー『音楽ノート』からアフォリズムめいた一節を英訳して投稿した。Michael Hedges『Oracle』を流してしばらく無為に過ごしたあとは、『歌の翼、言葉の杖 武満徹対談集』を読んで最後まで読み通した。