2014/4/1, Tue.

 鍋には大根の味噌汁があった。フライパンのふたをとると洗った際に残ったのだろう水のひとかけらだけがあった。キッチンペーパーでふきとってから油をたらし、熱したりないうちにハムを四枚敷いてその上から卵をふたつ割り落とした。透明な膜がすっと広がって、ハムがぱちぱちと音を立てるにつれて白くかたまっていった。食べながら日記を読みかえそうとしたが、頭が小説のことを考えてばかりで読めなかった。薄く軽く淡いタッチで高校のころのことを書こうと決めた。そう考えると、思い出とも言えないほどの些細な日々の断片が次々によみがえってきて、あまりにもなんでもないようなことを覚えているのが不思議だった。
 部屋にもどってTwitterを眺めると『族長の秋』botが目について、作品の断片をいくつか音読してみるとどれもおもしろくてあらためて驚いた。botをつくっていたときにも感じていたが、どこを抜き出してきてもそれが独立しておもしろさを持ってしまう小説で、どうしてそんなことが実現しているのかわからなかった。宅配が来ると言われていたことを思い出してリビングにもどった。正午の空気は明るくなまあたたかく、こたつテーブルに南側の窓が白くぼんやりと映った。食器乾燥器がぱちりと音を立てて沈黙すると、ベランダの洗濯物が揺れる音や、外で誰かが草を踏む音が聞こえてきた。胸に抱えるほどのダンボール箱をふたつ受け取ってそのあたりに置いてから部屋にもどり、Thelonious MonkJohn ColtraneをともなってCarnegie Hallでやったライブ音源を流して『失われた時を求めて』第四巻を読みはじめた。
 午後二時に外出した。手本のような春の日だった。うららかな陽を浴びて前髪の裏に汗がにじんだ。今年の花粉症は記憶よりもひどくはないけれど、洗濯物をはたいたときは鼻になにかが入る感触があって鼻水もじわりとわいてくるようだった。(……)Suicaの残額が足りなかったが(……)で精算する手間を避けて切符を買った。駅前の桜はおとといにも増して花をふくらませ、階段の上から目を向けると、花叢のなかを小鳥が渡って枝を揺らすのが見えた。それに気をとられて、階段をおりるといつもの習慣で無意識のうちにSuicaをタッチしてしまい、その瞬間に切符代を無駄にしたことに気づいた。不必要になった切符をポケットのなかでもてあそびながらホームを先頭のほうへ歩き、電車を待った。やってきた電車のほうへ目を向けると、階段の屋根が陽が受けて一面まばゆく銀の発光体と化し、そこだけ四角く空間から切り取られてゆらゆらと揺れていた。
 持ってきた磯﨑憲一郎を読む気にもならず、座席の端にもたれてみても眠気はなく、目をつぶってはみるけれど電車が減速して駅に着こうとするたびにあけていた。Charles Lloyd『Rabo de Nube』が耳元で流れていたが集中して聞いていたわけではなく、文章についての散漫な思考を頭のなかでまわしていた。(……)駅の線路脇には自転車置き場があって、満開に花を咲かせた桜の木が立ち並んで屋根をつくっていた。天蓋を透かした陽が建物の壁にオレンジのまだら模様を描き、並木の下を通る人々の顔の上にも光と影が交互に宿り、流れていった。
 いつものように(……)図書館を訪れた。CD三枚を早々に、Viktoria Tolstoy『Letters to Herbie』、Dave Douglas『The Infinite』、John Lee Hooker『The Complete 50's Chess Recordings』に決めたあとは文学の棚を見にいってまずは蓮實重彦『絶対文藝時評宣言』を手にとった。それから外国文学の棚をじっくり眺めて気になるものはたくさんあったけれど借りる気にはならず、日本の小説のほうにも足を向けて結局柴崎友香寝ても覚めても』だけ借りた。棚に並んでいたはずのプルースト全集が姿を消していたのは残念だったが、あるいは閉架になったのではなく全集のほうに移ったのかもしれないと出てから思った。
 四時を過ぎていた。落ちはじめた陽の光がビル側面に反射し、歩廊の手すりに投げかけられていた。そのむかいにもたれて日記を下書きしていると、ひっきりなしに吹く風で足下が揺れた。歩道橋の上から公園の方角を見ると車道の上空はビルに挟まれながらぽっかりとあいていて、そこが太陽の通り道になっていた。光のかたまりから発するあたたかな色が空間全体を染めあげ、下を通る車の屋根にそそいで分身をつくった。橋を渡って正面にあるLOFTの三階に入り、フロアを抜けて階段を上がった。新しいメモノートを買いに来たのだった。メモ帳として区分されているもののなかではいまのものが一番よいが、いくらかポケットに入れにくかった。その裏側のノートの棚に持ち運び用の小さなものもいくつかあって、MDノートと測量野帳と迷ったが結局Zequenzというメーカーのものにした。千円もした。
 電車が走りはじめると傾いた陽の光が射しこんで開いた本の上にも橙色のすじをつくった。帰宅してさっさと夕食をとり、上原ひろみ『Voice』を流して、風呂をあいだに挟みながら蓮實重彦『絶対文藝時評宣言』を読みすすめた。それから三宅誰男『亜人』のボットをつくることにした。どこを切り取ってもどういうわけかそれ自体が魔術めいた魅力をともなって立ちあがる『族長の秋』にもいくらか似て、『亜人』の一文一文も打ちこむたびに磨きぬかれた銀色の刃のように鋭い輝きを放つのだった。こうして文章を写すのは書き方を学ぶことでもあり、その力がこちらのなかに入りこんで指に宿ってくれないかというなかば祈りにもにたおこないでもあった。Chick Corea『Chillin' In Chelan』をおともに作業を進め、BGMをChico Hamilton『The Original Ellington Suite』に移して一時過ぎまでつづけた。歯を磨きながらおのれのTwitterアカウントもボット化を進め、三月分の日記をざっと読みかえして悪くない箇所をツイート登録した。ほとんどすべてが光か空の描写だった。