2014/5/27, Tue.

 眠りすぎなくてもからだが痛かった。ベッドから見える空を煙みたいな雲が次々に流れていって、青がのぞいたり隠れたりした。起きるまで時間がかかった。米に納豆をかけて、焼き豚と菜っ葉を炒めたものと食べた。
 The Beatles『Past Masters』を流して日記を書いた。ビートルズをはじめて聞いたのは中学二年のときだった。同じクラスのIにベスト盤を貸してもらった。もうVan Halenとかも聞いていた。ブックオフで黒いジャケットのベスト盤を買った。それをIの家で聞かせたら、声がごついから好きではないと言われた。
 BBCを読んで、Emerson String Quartetを流しながらいつもどおりプルーストを読んで、いつもどおり眠くなった。十一時半にアラームをセットして、三十分まどろんだ。金縛りにしびれながら浅く眠って、アラームが鳴った瞬間によし、と言って起きた。それからまたプルーストを読んだ。雲は朝とはちがってほとんど動きを止めていた。起きたときから首のうしろと肩にわだかまりがあって、腕立てをしなくてはと思いながらできなかった。
 十二時過ぎに母が帰ってきた。パンとチキンを買ってきたからいただいた。目の前の母の顔は目をふせるとうすく色が塗ってあっても老けて見えて、祖母に似ていた。年をとってどんどん似てくるみたいだった。めずらしくテレビはつけていなかった。今日もお客さんにお茶を二本もらったと言った。なぜか母はよく行った先の人からいろんなものをもらってくる。
 Istvan Kertesz指揮のドヴォルザーク交響曲を流しながら、三宅誰男『亜人』を読んだ。茶を飲んだ急須と湯のみを片づけに行くと、ソファで母がいびきをかいていた。口を大きくひらいて魂を吐きだすような息の音が階段をあがっているときから聞こえていた。急須と湯のみを机に置いた音で目を覚まして、仕事を忘れていた、と言った。
 古井由吉『鐘の渡り』を読んだ。からだに布団をかけて、ひんやりとした布にすぐに熱が移った。移った熱がまた送りかえされて、はいだあとも服のなかにほてりがこもった。動かなくても汗がにじんで窓をあけた。一定のリズムで鳴く鳥の声の合間に、遠くから高く乾いた別の泣き声が口笛みたいに渡ってきた。とんびの声が浮かぶ空に光はなくて、白をまとったなかにうっすらと青がまざった。
 くもっているから蒸し暑かった。空は白と灰色で、太陽は空白みたいな影になって、そのまわりだけ雲の色が青かった。道のずっと先を見た。ゆるいカーブを曲がってあらわれた模型みたいな車がどんどん大きくなって横を通りすぎていった。自転車や人は何色かもよく見えない点だった。遠くを見るのは好きだった。山は町よりも遠くにあって、空はいちばん遠くにあった。裏通りに並ぶ家の外側に線路があって、その向こうにはもう森があった。森のふちにある木は若々しくて、高く深い場所にいくほど色が沈んでいるみたいだった。うぐいすの声はほかの鳥と響きの厚さがちがった。まるく立ちあがってふくらんで、余韻を残して森に染みこんでいった。
 四時間くらい働いた。つかれた。
 駅の正面から降りる坂は林のなかで暗かった。木がまわりを取り囲んで、頭の上も葉っぱで覆われて、ところどころにある電灯も隅まで届かなかった。街灯がない場所はほとんど完全な暗闇で、目をつぶればそのまま眠れそうだった。降りたところの自販機を見たけれど買いたくならなかった。汚れた自販機の表面に大きな蛾やカマキリみたいな虫が集まっていて、どうやって入ったのかウィンドウのなかにもいた。もやがかかったように白っぽい夜空に星はなかった。
 十時ごろ帰るといつも母は風呂にいるから、勝手口の鍵をあけて家に入った。リビングはテーブルの上のオレンジの明かりだけついていてさびしげだったけれど、そのほうが夜らしかった。だから大きな白い明かりはつけないで食事をした。フライパンで焼いたマグロのソテーを食べた。三枚あって、二枚食べてもよかったけれど、素麺をたくさん食べたからやめておいた。
 部屋にもどって、ウルフの"Kew Gardens"を訳しはじめて、すぐに天井が鳴ったから上にいった。ソファの母の隣に座った。右半身が上から下まで痛い、と母は言った。整体に行っているけれどあまりよくはならないみたいだった。なにかの病気かもしれない、と言いながら自分ではそう信じていないような口調だった。
 風呂に入ってからまた"Kew Gardens"を訳した。訳しながら前の部分が気になって直していると全然進まなかった。小説を書きはじめる前にこの仕事を終わらせたいけれどまだまだかかりそうだった。