2014/6/1, Sun.

 起きたら九時過ぎで、六月だった。窓を閉めて寝ていたけれど、そこまで暑くなかった。だけどリビングの温度計は三十度を超えていた。空気がまとわりつかなかったから、湿気がすくなかったのかもしれない。蕎麦がゆでてあって汁もあったから煮こんで食べた。茶を飲みながら三月十一日まで日記を読んだら十時半だった。消さなくてもよさそうだった。
 Marcos Valle『Samba '68』を聞いたり、youtubeSteve Vaiの『Fire Garden』を流したり、そのあとFrank Minionをかけながらだらだら日記を書いていると一時までかかった。十二時過ぎに一度あがって、畑の父に水と帽子を持っていった。外に出た瞬間に熱気に包まれて、肌がぴりぴりした。斜面につやつやした葉っぱの木があって、鮮やかな朱色のつぼみがついて、花になっているものもあった。入ってあれは何かと母に聞いたら見もしないでサルスベリじゃないかと言ったけれどたぶんちがうと思ったし、画像を検索したらちがった。
 蕎麦の残りを食べた。それでも胃に隙間があったから食パンを焼いて食べた。母は暑くてやる気が出ない、と扇風機とテレビのあいだに寝転んでいた。新婚夫婦を招く番組がやっていた。消してもいいか、と言うと、聞いてるから、とおじさんみたいなことを言った。朝はそこまでではないと思ったけれど、昼になるとやっぱり暑かった。ぬるい空気がじっと動かずに部屋に座りこんでいた。
 Hさんの小説を読んだ。パソコンの前に立ちながら読むと、からだが熱を帯びて、胸にさわると熱かった。汗もかいていて、熱が出ているみたいだったけれど額は熱くなかった。Hさんの小説のあとは、古井由吉『蜩の声』を寝転んで読んだ。布団を干してベッドはシーツだけだった。読みながら文字が揺れて分裂して読めなくなったから、三時にアラームをセットして寝た。おぼれるようなしびれを感じて苦しくなった瞬間にアラームが鳴った。ぼやけ気味の頭で読書を再開して、ふたつ目の「明後日になれば」まで読んだら三時半になった。
 暑くてやる気が出なかったけれど米をといだ。南の窓はカーテンが全開だった。ソファから見える空があまりにも透きとおっていて驚いた。雲は見えるところにはかけらもなかった。視線がどこまでも突きぬけるような青空で、光をまとった低い山の縁は淡い白紫が帯になっていた。午後四時のうすいオレンジが家屋根に落ちて、その上を鳥の影がふたつ滑った。窓ぎわであの木はなに、とまた聞いたら、母は今度は思いだしてザクロか、と言って、こっちもそういえばそうだった、と思いだした。去年の秋には紅色の実が光を反射しているのを見たのを忘れていた。
 汗を吹きだしながらベースを弾いた。カブトムシのバンドの"Oh! Darling"をくりかえして三十分たって、そのあとはだらだらした。パソコンが吐きだした熱が部屋にもからだにもこもった。あがって水を飲んで、もどってからは古井由吉『蜩の声』を読んだ。南だけでなくベランダに面した西の窓もあけた。読んでいるうちに外は沈んで本の上にも陰がたまって文字がくもって、七時になるころには壁の時計の針も見えなくなって、空だけが青く白くさめきっていた。
 夕食をとったあとはまただらだらして、帰ってきた父のあとに風呂に入ったけれど、風呂場の時計が09:17なのを見て、まだ意外と時間があると感じた。十時過ぎからVirginia Woolf "Kew Gardens"を訳しはじめた。いちばん意味の取れない難所を一応は突破して、その勢いのまま進んで、たぶん今まででいちばんはかどって、残りはあと一段落だけになった。一時にはやめて、歯をみがいて、寝床で柄谷行人『意味という病』をすこし読んでから電気を消した。