2014/6/3, Tue.

 いつの間にか正体もなく眠っていた。正午を迎える前の、読書のさなかのことである。昨日よりも熱を減じ、居間の温度計は二十八度だった。四度落ちれば相当に過ごしやすくはなるが、風のゆるく湿り気を帯びた空気が気怠い睡気を誘ったと見える。暑気が度を超すようでは午睡もままならない。眠りと言って、夢と現のあいだに幻影のもとを彷徨っていたようでもある。その影のいくらか残り、汗のにじんで重たるい頭を起こした。
 起き抜けの頭は夾雑を眠りに落としてかえって感じやすくなるものか、気を失う前よりも書に惹きこまれた。碌に息もつかずに読んでいたらしい。終えて、直に八十にもなろうという老作家の、さすがに巧む筆に打たれた。夢と現、過去と現在のあいだを自在に往還し、老いの記憶を書くなかに圧するような烈しさが隠れていたと見えた。幾十年書き継いで、年の功の果てに至った芸の境地であろう。なまなかなことではない。
 曇りがちの水っぽさは梅雨の兆しか。風呂から出て居間の窓を透かせば、日向と日蔭の境も定かにならず、それでいて山は光を帯びたように薄白さをまとい、遠くにあってかすむでもなく、くっきりと物静かに佇んでいる。眼下に目を転じれば、柘榴の木が葉のなかに花を増やして、髪飾りのように朱色を装いはじめた。色の濃いその緑葉を艶めかせるほどの陽の照りもいまはない。
 鏡のなかの背広を着たおのれの姿に不調和を感じたのは、これも勤労を厭う心か、と内心で苦笑しながら家を出た。服に着られるなどと言うが、着ると着られるとは一体のものではないか、とふと思った。着ながらにして同時に、服のほうでもこちらを着ている。こちらに着る気持ちがなければ、あちらのほうでも着るのを願い下げても仕方はない。その結果の不調和だったか。
 家から西に数分歩き、十字路を右に折れ、林中の路をあがれば駅前に出る。坂をのぼっていれば、陽ざしはなくとも内から汗がにじむ。風も停まりがちであり、ホームに立って時折の涼しさを受けても、水っぽい冷たさがシャツのなかに貼りつくのみで、いっそ晴れ晴れと陽が射して青さが見え、乾いた風も吹けば好いものを、空は白く閉ざされており、清涼感のいかにも希薄な昼下がりだった。追い打つように西陽が白さの裏から放つ蒸した熱を、肩に乗せながら職場の扉をくぐった。
 夜まで室の内にこもって夕暮れを見る暇もない。帰りのホームに立てば、線路を見下ろす白色灯の裏に、黒々と沈む闇の濃さが目につく。騒いでいるのは中学生ばかりで、ほかは一様に押し黙っている。知らぬうちに背すじを伸ばして胸を張っていたのは、疲れに押し負けまいとしたか、それとも押し返そうとしたのは何か別のものか。席についても頭をすっと持ちあげているのは自分くらいのもので、背広姿はみなもたれるように椅子に坐り、視線は下を向いている。背が丸み、肩が落ちている。降りては手提げ鞄の重さによたよたと、それでいて忙しなく足早に階段をのぼっていく。そんななかに自分の影の肩の張っているのが不遜と見えても仕方がないが、背くらいは伸ばしたいものだ。朝からの疲れと家の重みがこごった身体ではそうも言ってはいられないか。
 労働を終えて帰った耳にテレビの音はいかにも邪魔くさい。消してしまおうか、と母も言いながら一向にリモコンに手を伸ばさず、見るともなしにぼんやりと眺めている。おもしろくもなさそうだが、なければないで余計つまらない。手持ち無沙汰を埋めている。押し黙っていた背広たちも家に帰ればやはり眺めて気を紛らすか。疲れた身体にあの軽薄さは障りそうだが、父などは休みの前の晩にはいつまでも居間にいる。ひとりで酒を飲み、何がおもしろいのか夜中に馬鹿笑いが聞こえる。
 玄関で偶然迎えた息子を見る父の、薄い髪の灰色が息子の目にはついた。風呂を出た母の目元にも暗さがわだかまっている。ふた親の老けるさまが目立つ歳になった。深夜の飲酒と哄笑も母の不安を呼んでいるようである。老いを知らぬがゆえの騒ぎか、それとも知っているからいまとばかりに騒ぐのか。常は寡黙な男の度を忘れたような上機嫌は薄気味が悪くもあり、境を越えて一時に良からぬものに転じないとも限らない。慌てる歳ではなくとも、十年経てばどうなっているか、そうと言って、おのれこそいまだ定まりのつかぬ身である。
 いずれ一日を重ね、ひと息を継いでいくよりほかはない、と仕事に取りかかった。読書は愉楽として、書き抜くのは仕事と取っているようである。てんで進まぬ翻訳も同じく、小説を書きはじめれば執筆もそうなるのだろう。日記とてはじめて一年と幾月も過ごせば、書きながら目出度くはしゃげるようなものでは疾うにない。晴れるのも稀な倦怠の霧に捕らわれて久しいが、それでも続けている。あるいは書くことも呼吸を継ぐことか。一語一文をひと息としながら継いだ先に一日を書きつないでいる。書くことがそうならば読むことも同じだろう。他人の吐いた息を受けて、自分の息を継いでいく、そうして呼吸が完成する。そんなふうに思いなして人の言葉を写し、日をまたいだ寝床で書をめくって、明かりを消した。