2014/6/6, Fri.

 堀江敏幸『おぱらばん』を読んで寝るのが一時半だったから、アラームは九時だった。詳しくおぼえていないけれど、高校の後輩に馬鹿にされる夢を見た。教室の前のほうに立っていて、みんなの前で罵倒された。階段をあがっていちばん上まで行くと広めの踊り場があった。大きな窓から射しこむ白い光のなかに、名前の忘れた英語の先生がいた。生徒用の学習机についていて、最初はホログラムみたいだったけれど見ていると実体化した。そのそばの床の上で、職場の同僚が習字みたいなことをしていた。こっちになんとなく冷たい目を送っていた。
 ビーフシチューがちょうど一杯残っていた。あとは米と納豆と豆腐を食べた。お茶を飲みながら読書をして九時半になると部屋にもどった。パソコンをスリープから解除して、アカウントを消したからTwitterを見なくてもいいと気づいた。日記を書きはじめて十一時過ぎまでかかった。Pat MethenyOrnette Colemanの『Song X』の二十周年盤を二回続けて流していた。日記を終えると腕立て伏せをして、そのままベッドにうつぶせに倒れて音楽を聞いた。アグレッシブなフリージャズで、ギターのバッキングがなめらかに移行していった。次の曲はすこしだけMonkっぽいテーマで、4ビートのリズムがあってコード進行もありそうだったけれど、どこでコーラスが区切られるのかわからなかった。雨はあいかわらず降っていた。昨日からずっと降っているから、きっと梅雨に入った。
 米をといでおいてとメモにあって、後まわしにすると面倒そうだったからさっさとといだ。釜に入れて水も入れて、バイトに行くときにスイッチを入れていくことにした。
 一時くらいまでだらだらしてからBBCを読んだ。今日は"D-Day"だった。ノルマンディー上陸作戦から七十年で、記念式典をやっていると言った。二次大戦や現代史についても知らなくてはならないけれど、小説のまわりだけで手一杯だった。小説がおもしろすぎるのが悪い。
 J-POPを適当にいくつか流して、くるり『アンテナ』にたどりついた。最初の"グッドモーニング"がすごくいい曲だと気づいた。夜行バスで新宿へ行ったことはないけれど、夜通し街にいたあとの早朝の気だるさと、うす青く透きとおって冷たい空気を思いだした。新宿ではなくて立川の記憶だった。この曲はアコギで弾き語れるようになると決めた。そのあとの曲もよくて、いままでこのアルバムを聞いたなかでいちばんよく感じた。"ロックンロール"をくりかえし流してうたっていたら二時になった。
 風呂のなかでお腹が鳴ったけれど出たらおさまった。出てからも"ロックンロール"をリピートした。歯をみがいて、ワイシャツを取りに行ったらインターフォンが鳴ったから、あわてて短パンをはいた。郵便局の人で、白くて細長い箱を持ってきた。父が頼んだ酒だった。たぶん焼酎だった。印鑑を押すと、配達の人はせわいなく階段を降りていった。部屋にもどって、出かける前にBBCのD-Dayの記事を読んだ。"Red Arrows"という航空隊のパフォーマンスの写真があった。白い逆光のなかで九機の飛行機が整然と並んで、尾から噴き出された煙がアーチ型に軌跡を描いて、光を受けて燃えるようなオレンジ色に染まっていた。軌跡の太陽と重なった部分は燃え尽きたように消えて、そこから真下へ、重なった煙が滝のように流れていた。
 四時間くらい働いた。つかれた。
 雨は降りつづけて強くなっていた。台風が来ているみたいだった。駅のホームでかたい木のベンチに座った。みんな待合室に入って、外にいる人はすくなかった。音楽を聞こうと思ってイヤフォンをつけたけれど、もったいない気がして外した。川の流れのような雨の音を聞いた。風が吹くとうすくて高い音が混じって、リズムが乱れた。椅子に座っていても顔まで雨粒が飛んできた。線路のレールのあいだに水がたまって、ひっきりなしに水面がゆがんでいた。雨が屋根を打つ音があたりを包みこんで、さびしい気もしたけれど、なんとなくわくわくする感じもあった。すぐ左の待合室の前で女子高生が退屈そうにうろうろしていた。うしろの人は間の抜けた口笛を吹いていた。
 夕食のあとに『おぱらばん』を読みつづけて最後まで読んだ。十一時になっていた。十一時にHさんと話す予定だったからSkypeにログインした。しばらく待ってもHさんが来ないからメールを送ったらその途端に来た。通話しはじめると、いま帰ってきたところだと言うので悪かった。いつもどおり小説の話をした。Hさんの小説の話もした。仕事の話もした。Hさんはとにかく忙しすぎた。フリーターやってたころも一日あっという間に過ぎるなって絶望してましたけど、いまだと絶望する暇もないですからね、と言っていてすこしおもしろかった。日記の話もした。奇妙だと言われた。どういう気持ちでFさんが日記を書いているのかわからなくなることがたまにある、と言った。Mさんのブログを読んでこういうことをやりたいとはじまって、一年と数か月やって、ただまわりのものを書くのがおもしろいだけだった。書いているうちの大半はマンネリだけれど、もっといろいろなものをいろいろなふうに書ければそれでよかった。