2014/6/7, Sat.

 何度も起きて眠ったら十二時だった。出かけるまで一時間しかなかった。失敗してからだが重かった。あまりお腹にものを入れたくなかった。わかめと卵のスープがあったから、それと米に納豆だけ食べた。茶もカフェインがあるから飲まないほうがいいと思ったけれど飲んで、古井由吉『半自叙伝』を読んだ。雨は今日も降っていた。三日間降りつづけていた。茶を飲み終わってすぐに歯をみがいて、四十分くらいまで『半自叙伝』を読んだ。それからくるり"ロックンロール"を聞きながら着替えた。暑くなかったからボトムスはロールアップしないやつにした。上は空色のシャツを着て、それだけだとすこし寒いかもしれないからカーディガンをはおった。行く前になって財布を見たら二千円しかなかった。家のなかに金がないか探して、仏壇に小袋があって三万円入っていたから一万円取った。
 眠りすぎたからまだ眠いような気がした。紫の線で縁取った黒い傘をさした。金がなかったから借りたけれどあとで返す、と母にメールを送った。美容院はすこし待って、そのあいだに誕生日占いの本をめくった。自分の誕生日を見ると、自信がありそうですが実は臆病、と書いてあった。理性的ともあった。芸術や美術で創造力を発揮する、とあった。恋愛の欄で非常に社交性があります、とあって、それはちがった。頭を洗うための椅子に寝そべった。首のうしろが圧迫されてすこし苦しくて、深呼吸をした。頭がうしろに突き出ているから、そのままふわっと浮かびそうな気がした。鏡の前に移って切られているとだんだん落ちついて楽になった。まわりをバリカンで短くして、頭頂部は鋏で切ってまわりよりも残した。鏡のなかは、目がひらききっていないみたいで、はっきりしない顔だった。仕事の話やどうでもいいような話をした。切り終わって立ちあがると、Fくんは厚みがないねえ、と言われた。金を払いながら、いやぼくだってもうすこし厚みがほしいですよ、と笑って言ったらすこし気まずいような変な顔をされた。あとで、おばさんとは言え女性の前でああいうことは言わないものなのかもしれないと気づいた。だけどどうでもよかった。
 駅へ歩いた。マンションの前の植えこみにツツジの花がびっしり咲いていて、どぎついくらいのピンク一色になっていた。前から咲いていたはずだけれどはじめて気づいた。駅ではBill Evans TrioのMontreuxでのライブ盤を聞いた。Eddie Gomezのベースがばちばち言っていた。電車に乗った。空は白一色で、厚みもかたちもない雲で埋められていた。山が霧に包まれて輪郭線が見えなくなって、空が地上を侵食しているみたいだった。
 コンビニに寄って一万五千円おろした。図書館で『おぱらばん』を返した。文芸誌を見ると「文學界」の七月号があって、蓮實重彦と菅谷なんとかいう人と工藤なんとかいう人が『「ボヴァリー夫人」論』について対談していたから、席に座って読んだ。おもしろそうだった。蓮實の本を読むかどうかはともかく、『ボヴァリー夫人』はやっぱり読まなくてはならなかった。千葉雅也との対談の写真を見たときは、蓮實重彦ももうずいぶん年をとっていると思ったけれど、今回の写真では階段の途中にすらりと立って穏やかな笑みを浮かべてまだ元気そうだった。意外と背が高かった。菅谷なんとかいう人は笑いなれていないような笑い方だった。青木淳悟荻世いをらとあとひとり知らない人が『「ボヴァリー夫人」論』の感想を書いていて、青木淳悟のやつだけ流し読みした。青木淳悟が書いているのは意外だったけれど、やっぱり『ボヴァリー夫人』は読んだことがなかったらしい。青木淳悟は四十日メルヘンなんとかいうやつだけ読んだことがあって、あれも変な小説で、まだ全然よくわかっていないころだったから、もう一度読んだらきっと前よりおもしろい。読んでいる途中で、"hey, come on!"という声が聞こえて左を見たら、小さい外国人の女の子がいた。すこしうねうねした茶髪で、Papa, come on, と言って父親の袖をつかんで引っぱっていて、父親は日本人だったからたぶんハーフだった。赤い長靴をはいて足をどたどたさせて、すごくかわいかった。子どもはたいていどたどた歩いて、近くを通った子どももみんなどたどた歩いて響きが伝わってきた。子どもには子どもの歩きかたがあるから、子どもの足音もあった。
 雑誌を棚に置いてからCDを見た。新着にBob Dylan『Blonde on Blonde』があったから取った。ジャケットのDylanがやたらと格好よかった。うねうねしたパーマがこの世でいちばん似合うのはたぶんBob Dylanだった。それから期待しないでジャズの棚を見に行ったら、55Recordsから出ているシリーズで、Miles Davisクインテットが一九六〇年にアムステルダムでやったライブ盤があったから、迷わず取った。Sonny Stittが吹いているMilesの音源は聞いたことがなかった。最近は映画にもなんとなく気が向いているけれど、まだ借りなかった。上にあがって新着図書を見たら、『連邦区マドリード』があった。本当は読書会で読む本を借りようと思っていたけれど、これはAさんがすごいと言っていたやつだから借りないわけにはいかなかった。貸出機でCDと合わせて三つ借りて出た。
 隣のローカルなデパートに行った。古井由吉『辻』の文庫が出たと聞いたからほしかったし、『ボヴァリー夫人』もほしくなった。スーパーのある二階から上はだいぶ行っていなくて、そのあいだに変わっていて、女の子向けのカジュアルな服屋が出来ていたし、本屋も拡張して前は子どもたちが遊ぶ場所だったのが百円ショップになっていた。前は岩波文庫すらなくて話にならない本屋だったけれど、棚が高くなって品が増えても河出文庫フローベールはないし、ついでに言えばドゥルーズなんかもないし、『辻』もないし、新書の棚の端に岩波文庫ちくま文庫ちくま学芸文庫講談社文芸文庫講談社学術文庫が申し訳程度に置かれていたから、いまも話にならない本屋だった。さっさと帰ることにした。
 地元の駅で降りようと立ったら、メガネの小学生がこっちにリポビタンDを差しだしていた。灰色のパーカーのフードをかぶっていた。戸惑ってイヤフォンを外したら、これは嫌いですか、と聞かれた。え、くれるの?と言ったら、座っていた席を指したから、そこにあったらしかった。気づかなかった。いやぼくのじゃないよ、と言って、発車しそうだったから急いで降りた。
 林に入る細道の途中に、ガクアジサイが咲きはじめていた。古井由吉の小説に出てきて、普通のアジサイガクアジサイがあることを知った。ガクアジサイはまんなかのつぶつぶした花のまわりを普通の花が取り囲んで、蝶がむらがっているみたいだった。
 帰ると五時くらいで、お腹が空いていたから、ハムエッグを焼いて米にのせて、インスタントのみそ汁と食べた。茶を飲みながら古井由吉『半自叙伝』を読んでから、部屋でやっと昨日の日記を書きはじめた。途中で母親からメールがあってカレーをつくっておいてと言ったけれど、こっちにもやることがあった。書き終わるすこし前にばたばた帰ってきた。終わってあがって、文句を言われるかと思ったらなにも言われなかった。買ってきたパンを半分食べて、部屋でまた茶を飲みながら今日の日記も書きはじめた。インターネットをのぞいたり、腕立て伏せをしたり、音楽を聞いたりしながらだらだら書いて、九時前になった。音楽はくるりの"ロックンロール"をまた流して、それから『TEAM ROCK』を流して、次にTony Malaby『Adobe』を流して、『The Freewheelin' Bob Dylan』を流した。Tony Malabyのドラムは誰だか忘れていたけれど、聞いているとPaul Motianだとわかった。
 英和辞書がほしくなった。そのうち洋書を読むとして、いちいちパソコンの前に座ってインターネットの辞典で調べるのはめんどうだった。ポケット英和辞典という小さいやつを高校のころに使っていたけれど探してもなかった。大学に入って使った電子辞書はつかなかった。たぶん電池が切れていて、それにボタンが茶色く汚れていたから嫌だった。紙の辞書のほうがひかれるものがあった。たぶん自分はアナログなほうの人間だった。インターネットとかは性に合わない。電子書籍にも興味が無い。どんどん時代に取り残されていきたいですね、とH.Mさんと話したときに言った。
 兄の部屋を探しても、露和辞典や露英辞典しかなかった。ほかにスペイン語の参考書があった。仕事で一時期南米を担当していた。英語以外にもせめてもうひとつ、できればいくつでも外国語が読めるようになりたい。英語の文法の問題集と政治経済の参考書をなんとなく部屋に持ってきて読んだ。一時くらいになって電気を消した。窓を閉めていると雨の音は、古い音源をヘッドフォンで聞いたときのヒスノイズみたいだった。