2014/6/17, Tue.

 八時のアラームでめざめると今日もわりとはっきりした寝起きだったけれど、布団のなかで二十分ほどすごしてしまった。職場のTさんと話したり、いっしょになにかをしている夢を見た。上へあがると昨日のみそ汁がちょうど一杯分残っていた。じゃがいもと玉ねぎが入っていた。米に納豆をかけていつもながらの食事をすませるとさっさと下におりて、日記を書いて九時半になった。それからプルーストを三十ページ読んで、続けてミシェル・レリス『幻のアフリカ』も十ページ読んだ。読んでいる途中、幼稚園児か小学校低学年くらいの子どもたちの声が近くの道から響いてきた。部屋のなかにいると方向がわからないから窓から顔を出してみたけれど、姿は見えなかった。外は晴れかくもりかあいまいな天気で、空は白いけれど陽は少し射していた。生ごみのようなにおいが風に乗ってきてしばらくただよっていた。
 『幻のアフリカ』は前に読んでいたときよりずっとおもしろい。細部の厚みもなく描写もあまりせず、いかにも日記というか日誌らしい。いわゆる散文的な文章を読めるようになったのは柴崎友香なんかのおかげもたぶんあって、以前は詩的な描写ばかりに興味があった。ある種そっけないというか装いの少ない文章のほうがおそらく日記にはあっていて、日記には物語もエピソードもなくてよくて、あるべきなのは細かな事実の集積で、いわゆる文学的な文章のなかには組みこめないようなささいな事物をうすい言葉でかき集めるところに日記が達成できる強度とでもいうようなものがあらわれるような気がしてきた。もう一方ではやっぱり修辞的なこともやりたいけれど、本来はそれは小説でやることなのかもしれない。
 読書を終えて日記を下書きすると十一時半になった。それからパソコンの前でだらだらしつつギターをいじっていたらあっという間に一時になった。上へあがって、まず風呂を洗ってスイッチをつけた。それから食パンを一枚焼いて食べると、食パンはなくなった。洗濯物を入れた。だんだん雨が降りそうな白さになってきていた。部屋にもどって、柄谷行人『批評とポスト・モダン』を読みはじめた。くすんだ白の表紙の左側にタイトルと著者名が並んだそっけない装丁は菊地信義のものだった。八五年の本で、ハードカバーだけれど裏面に記された定価は一三四〇円で安かった。読みはじめてすぐにメールが入って、もうメールはほとんど母か職場からしか来ないから今回も母で、鍵をあけてくれといったので上にあがると、ポストをひらく音がして、階段をあがって玄関をがちゃがちゃやったのであけた。とにかく暑い、といった。食パンを買ってきていた。同じく買ってきたポテトチップスを、そろそろ二時で労働まで二時間しかないからあまりよくないと思いつつ食べながらソファに座って柄谷行人を読んだ。二時になって風呂に入ってひげをそった。
 完全に曇り空で、雨は降りそうで降らないから歩いていった。坂道をのぼりはじめるとすぐに道の脇に黒いかたまりが見えて、近づいたらカエルの死体だった。十センチに届かないくらいのそこそこ大きなカエルで、車にひかれてうつぶせでつぶれていて、尻にあたる部分が割れていた。まわりをハエがぶんぶん飛びまわっていた。今年はじめてスーツの上着を着ないで出勤した。ワイシャツだけだとなんとなく様にならない感じもした。長袖のボタンを外してまくって、ネクタイはぶらぶらするとわずらわしいからI.Yさんに昔もらったピンでとめたけれど、ネクタイピンを使う人はいまあまりいないと父が以前言っていた。なにか考えごとをしていたからあまりまわりを見なかった。駅近くで小学生の集団とすれ違って、低学年だと歩きかたがかなり無秩序で、高学年や中学生になるともう安定していて、自分はというとやっぱりスーツにはスーツの歩きかたや身ぶりというものがある。フォーマルな服装で革靴を履いていると自然とつま先がまっすぐ前を向くし、それほどきびきびしているわけではないけれど背中を曲げてだらりと歩いたりはしない。だから服に着られている、あるいは服装が含むイメージに合わせた身ぶりを無意識に演じている。
 四時間くらい働いた。つかれた。
 労働の後半から頭痛がはじまって、電車に乗るとひどく眠かった。Bob Marley『Live!』を聞いて、目をつぶっていたけれど眠ってしまわないように座席の端にはもたれなかった。目をあけて右のほうを向くと元生徒がふたりと知らない子たちがいて、元生徒はこっちにやってきた。部活やめたいんです、とひとりがいった。弓道部だった。先生が理不尽だといった。やめてもいいんじゃない、と無責任にいったけれど、そう簡単にやめられないから困っているらしい。弓道自体は楽しいのかと聞いたら、このあいだ弓をはじめて引いたけれどすごく楽しかったというので、楽しければ続けられますよ、と適当なことをいって降りた。コーラを買って帰った。缶ではなくて小さいペットボトルのある自販機のほうへ歩いたら行きにあがった坂をくだることになって、カエルの死体をまた見た。暗くてよく見えなかったけれど変わらずそこにあった。ハエが少なくなって一、二匹だけたかっているのが、小さな羽に街灯の光があたって見えた。
 帰ってからも頭痛は続いていたから夕食があまりおいしくなかったけれど、風呂に入ったらなおった。英語を読んでいなかったから、Jonathan Culler, "Literary Theory"をめくって、寝る前までに一章はなんとか読み終えた。最近は出勤に電車を使っていたせいで、寝入りから左足が筋肉痛っぽくなっていて、いかに運動不足か思い知った。