2014/6/23, Mon.

 八時半に起きた。つまりベッドから抜けだした。目ざめたのは八時だった。カーテンが光を含んでいて、あけると外にも光が満ちていた。空は晴れだけれど真っ青ではなくて、それで余計に地上が明るく見えた。上へあがって冷蔵庫をのぞくと納豆があったから取りだした。卵をふたつ目玉焼きにしておかずにした。食べ終わってすぐ下へおりて日記を書いた。途中で中上健次ウィキペディア記事を見たり、そこから永山則夫にとんだり、他にもどういうきっかけでどうやっていたったのか小熊英二の『1968』という本について調べたり、賛否両論らしいその評価についての文章をいくつか読んだりして時間を使った。インターネットは情報がつながりすぎる。日記を書き終えたのは十時半すぎだった。
 そのあといったいなにをやっていたのか。たぶんギターを弾いた。ギターを弾くこととだらだらすることはおおむね同義だった。正午ごろになるとなんとなく空腹を感じたから、上にあがった。台所のシンクの下の収納からシーフードヌードルを取りだして食べた。それからは少し働いた、というのは、柄谷行人『批評とポスト・モダン』の書きぬきをした。Bill Frisell『Lookout for Hope』が終わって、Chris Potter『Traveling Mercies』を流しはじめたころからだったと思う。たいして進まないけれど何箇所か書きぬいてもう三時半になってしまった。上にあがって、リビングの隅の物干し竿にかけてあるシャツにアイロンをかけた。タオルはもうしまってあった。たしか日記を書いている途中だったか、終わってだらだらしている途中に母からメールが入ってベランダにあがった。ちょうど雨が降りはじめていた。それらをたたんで風呂に入った。ひげは面倒だからそらなかった。風呂場の窓はサッシに設置するストッパーみたいなもので一定以上ひらかないように固定されている。それを外して窓を少しひらいた。窓の外は格子が囲んでいて入れないし、向こうの道を通る人からは丸見えなので、自分が泥棒だったら夜でもここから侵入しようとはしない。だからストッパーはいらないと思うけれど、母は変なところで神経質だった。
 少しはやめに出た。勝手口から出たら雨がぽつぽつと降りはじめた。歩いていこうと思っていたけれど、強くなるとまずいから電車でいくことにした。傘は持ちたくなかった。東ではなく西へと歩くと、坂の下で工事の人たちが集まっていた。黄色いショベルカーにはO建設と書いてあった。Oさんはたぶん父の知りあいで、二月の大雪のときには重機を駆りだしてうちの前も掃除してくれた。ショベルカーの脇にふたりヘルメットをかぶったガードマンみたいな人がいて、なんとなく会釈するとこんにちはといったからこっちも小さくこんにちはとつぶやきかえした。空は青くくもっていて、木洩れ陽はなかった。駅につくと電車まで二十分あった。待つか歩くか迷っているこっちの横を散歩中の犬が通りすぎていった。いまさら歩く気にもならなかったから待つことにした。二十分なんてすぐだった。誰もいないホームで席に座って、日記を読みかえした。あたりは静かで、車の音が聞こえていたはずだけれど意識していなかった。ほとんどやんでいた雨がまたはじまって、屋根をこつこつとたたいた。雨粒は目に見えなかった。音は厚くならないで、そのうち消えてしまった。一面の青のなかにときどき白があって、西空ではうすい光の色がそこに混ざっていた。南のほうは大きい雲が青く沈んでいて、こういうときどこまでが雲でどこまでが空なのかわからないけれど、たぶん全部雲だった。しばらくするとおじさんがやってきて、暑い暑い、蒸し暑い、とひとりごとをつぶやいていた。あとからきた高齢の男女と知りあいで、にぎやかに談笑していた。音楽は聞かなかった。
 四時間くらい働いた。いつもより帰るのが遅くなってつかれた。
 電車で帰った。降りると、星も月も見えない空だった。雲のかたちもなにもない一面の灰色だった。母は風呂に入っていたからいつもどおり勝手口の鍵をあけて入った。かばんをリビングのソファの脇に置いて、靴を玄関にもどして、洗面所の扉をあけて手を洗っていると、風呂のなかの母がおかえりといった。車があったのに父の姿がなかったので聞くと、送別会だから今日は電車だといった。部屋におりて着替えて、夕食を食べた。鶏肉がソテーにしてあった。風呂から出た母が今日Mちゃんに会ったんだけど、と話した。おばさんどう、って聞いたんだけどあんまり聞かれたくないよねえ。聞かないほうがいいし、気持ちがないなら見舞いもいかないほうがいいといった。いってあげたいなっていう気持ちはあるけど、と母はいった。いって、おばあちゃんは、なんて聞かれたらどうしよう。まだ祖母が死んだことを話していないのか、と驚いた。もう四か月たった。ショックを受けると思ってじゃないの。死ぬまで隠しておくつもりだろうか、そんなことはできないだろうといった。食べ終わって茶を飲んでいると父が帰ってきて、KINOKUNIYAと書かれた袋をテーブルに置いた。母の言葉に答える声には力がなかった。
 風呂から出たあとは本を読む気も書きぬきする気もおきないで、それでいて夜更かしをしてしまった。たとえばこういうときにSNSというものが力を発揮して時間つぶしとして機能する。KくんのTwitterを眺めていたらnoteというものの存在を知って、ひとまず登録した。どこもかしこもSNSにあふれていると思いながら二〇日から日記を載せて、落書きとKew Gardensの私訳も投稿しておいた。文章を発表する場がひとつ増えたけれど、たいして意味があるとも思えなかった。