わりと寝坊した。起きたのはたしか十時過ぎか十一時ごろだったかもしれない。日記を書く気にならないのでエンリーケ・ビラ=マタス『バートルビーと仲間たち』の書きぬきを先にやったけれど、たいして進まなかった。日記を書きはじめたのは午後になってから、一時か二時かそのあたりで、昨日おざなりにつけたメモノートの最初に「悪夢めいた不安な感触」とあったからそのとおり書きだしたら妙に息が長く続きそうだったので、続くところまで続けてみようとやっているうちに一段落一文という条件を思いついたからそれに従った。読点は面倒だからつけなかった。計四段落つくってみると不思議なことに回を追うごとに息が長くなった。書くことにうんざりしつつあるなどと書きつけながらそれなりに言葉にこだわって文をつくっている矛盾で、しかしこんなものは単なる悪ふざけだ。文章などというものはたちの悪い戯れ以上のものではない。
ミシェル・レリス『オランピアの頸のリボン』を読みながら例によってまどろんでいたのはおぼえているがそれが何時のことだったのかは判然としない。日記を書き終わってからはなにをしていたのか。一日ずっと雨降りの日だった。外の空気を吸ったのは帰ってきた母に呼ばれて家の前にとまった車から荷物を運び入れたときのみで、それは日記を書き終わるすこし前だった。雨はそれほど強くもなくかといって弱くもなく風もなくほぼ垂直にまっすぐ落ちて、傘をさすのも面倒だったから重みのないそれが肌を濡らすのにまかせた。部屋にもどって日記を書き終えてからのこまかい記憶はない。夕方からまどろみつつ本を読んで、七時半をまわって八時に近くなってから上にあがった。父は自治会の会合に出かけていなかった。七時を過ぎても青く暗い部屋のなかで電気もつけずに読んでいたから、瞳の機能がいくらか変質していたのか廊下や階段の片隅にわだかまる暗闇がそれ自体実在を持っているように妙に目について、あがったリビングもいくらか薄暗くさびしく感じられたのは母がひとりでぽつんとテーブルについて食事をとっていたこともあるが、雨のためカーテンと窓が閉められたことによる密閉感に加えて、もしかしたらテレビもついていなかったのかもしれない。先に風呂に入ることにした。出て洗面所で体をふいているときに突然左顎の端の骨がばきっと歪んだのだけれどその後の食事に支障があった記憶はない。むしろ食事を終えてからだんだん痛みを感じるようになった。食事中になにか音が聞こえる、と言った母が立ちあがって父が帰ってきたのかと玄関のほうを見にいったり勝手口にいったりしていたが、花火をやってるみたいと言いだした。耳をすませてみると、たしかに低くくぐもった破裂音が閉まった窓を抜けて断続的に聞こえてきた。
食後に茶を飲もうと思って茶壺をあけるともうなくなっていたから、先日I.Yさんが送ってくれた茶をあけようと探したのだけれどどうにも見当たらない。椅子についたままうたた寝している母に尋ねてみても、たしかに自分がどこかに置いたはずなのだがその記憶が判然としないという。呆けの前兆なのではないかと以前から折にふれて抱くなかば確信じみた危惧をまた重ねながら仏間や玄関の戸棚など探してみるのだがどうしても見つからないので、しかたなくどこかの葬式でもらってきた茶で我慢することにした。味が薄い。
だらだらと怠惰きわまりない時間を過ごして、具体的に何をしていたかというとyoutubeで珍しくお笑いの動画などを見ていたのだが、そうして十一時を過ぎて十二時も近くなってから、ベッドに寝そべってミシェル・レリス『オランピアの頸のリボン』を読みつづけていくらか夜を更かした。