七時に鳴った目覚ましをとめて二度寝した。八時に携帯がアラームを鳴らして、ベッドから抜けでてとめたままその場にあったイスに座りこんでぼけっとした。それから上へあがった。顔を洗って目のひらきをはっきりさせてから、冷蔵庫をのぞくとハムとシシトウを炒めたものと、みそ汁があった。レンジとガス台でそれぞれあたためて、米をよそって食べた。食べながら西きょうじの英文解釈の本をめくった。明るい日だった。
部屋へおりて日記を書いてから、金本位制やその周辺の日本史についてすこし調べた。それから読書をはじめて、プルーストとミシェル・レリス『幻のアフリカ』を読んだ。どうせ誰にも見られないからと下半身を丸出しにしてベッドに横たわった。カーテンの隙間をすこしあけただけでひどく明るくて、深緑色のネットにからみついて覆いはじめたゴーヤの葉のむこうに、なめらかな水色一色の空が見えた。空気はさわやかで湿気もなく、扇風機だけでも過ごしやすくてたいした汗もかかなかった。Johnny Griffinがカフェ・モンマルトルでやったライブ盤を流していた。
日記を下書きしたあとは『古井由吉自撰作品一』から「杳子」を読んだ。蝉の声が遠くからうすく響いてきた。十二時半を過ぎて上へあがって、風呂を洗った。昼食はパンを食べようと思っていたけれど、冷蔵庫をのぞくと納豆があったから米にした。ほんのすこし残っていたみそ汁もあたためて飲みきった。下の自室とちがってリビングは明確に空気がぬるくて、二、三度は差がある気がした。風はゆるやかにカーテンを押しひろげてもそれ以上室内の空気を揺らさなかった。汗の感覚がにじんでくると食べた胃のあたりが重くわだかまってそこから熱が伝ってまた汗になった。そんなにお腹も空いていないのに食パンも二枚焼いた。
部屋でまた読書をしたあとに上にあがって洗濯物を入れた。タオルをたたんで風呂に入った。四十二度の湯は熱いから最初はゆっくり入ってからだを半分しかつけられない。それでも熱さで目が内側から圧迫されるようで、視界がうすれていくような予感がして思わず目をつぶった。予感は予感に過ぎないけれど、血管がどくどくいうのが苦しくて湯船を出てマットの上に座って息をついた。そのまま頭を洗った。出て下へおりて、歯をみがくあいだだけインターネットをさまよった。出勤まですこし残った時間で日記を下書きした。ベッドの上にとどまっていると、湯を浴びたばかりのからだが熱を帯びているのがよくわかった。母が帰ってくる音がした。
雲はすこし出ていたけれど日向は隠れず、わずかな家の影をつたって歩いた。坂をあがるあいだ、小学生とすれちがった。最初の男の子は帽子を深くかぶって顔を見せずに走っていって、次は女の子ひとり、最後に四、五人並んだ男子たちが通り過ぎていった。坂の終わりで木蔭が途切れて横断歩道を渡るまで陽を遮るものはなにもない。まだ落ちはじめたばかりで色のうすい陽ざしがぎらぎらと照らして、一瞬で汗を吹いた。渡れば駅の正面はモミジの木が日蔭をつくっている。ホームではTさんが座ってもうひとりのおばさんと話をしていたから、果物をもらった礼をいった。Miles Davis『Four & More』を聞いて電車に乗った。目の前を流れていく家や空を見ていると、同じ一日をずっとくりかえしている気がしてくる。一日一日と過ぎていく時間のすべてが違う日であることは疑いないけれど、それらの帯びる起伏がならされていつも時間の同じ場所にとどまっているような感覚をおぼえる。あるいは起伏を見分ける視力が衰えているということなのか、平常から浮遊する瞬間を体験することも少なくなってきた。たまにあってもそれすらも既知の感触のなかにからめとられてしまう。リビングのソファに座ってぼけっと空などを眺めていると、晩年を迎えた老人の心持ちを思うことがある。
六時間ほど働いた。
暗い裏道はすれ違う人の顔も明らかでないけれど、それにしても暗く思えて見回せば、東の端の低い位置に赤みがかった月が丸々と出ていた。月が空の果てにあるから頭上のあたりは暗く、くもりひとつなく磨かれたようではあっても色は沈んで星の光もほとんど消えかかっていた。昼間は暑くて歩く気にはならないけれど、仕事を終えてあとは帰るだけになれば気ままな開放感をともなって悠々と足を運ぶ。ぬるい空気のなかにときおり涼しさが通る。表に出てゆるやかな傾斜をのぼって、おりて脇道に入ればもう家も近い。その手前で道路の先を見ると向かい側の歩道を自転車がゆっくり走ってきた。女性の低い背をさらに前かがみに傾け小さくなって、それとの対比でか街灯の光が妙に高いところから降るように見えて、光の薄膜を透かして並ぶ古家とカーブの先の黒々とした闇を見ていると、どこか知らない街の入り口にでも立っているような気分になった。