2016/6/7, Tue.

 目覚ましは一〇時前に鳴るようにしてあった。この日もそれよりも一時間ほど早く、自ずと覚めて、乱暴にアイマスクを外したが、起床に至らずふたたび眠っていると、アラームが鳴って寝床から引きずりだされた。スイッチを切ると堪えが利かずにベッド上に戻って、しかしさらに眠るほどの重みはなかったから、しばらくしてから容易に起きて、洗面所に顔を洗いに行った。戻ってくると一〇分ほど瞑想して、それから階上に移り、ハムと卵を焼いて、ほかにジャガイモやキャベツの残り物で、母親が仕事で不在なので静かななかで食事を取った。携帯電話を弄んで一一時を迎え、室に帰ってからも前夜の怠惰の虫が続いていてだらだらとし、一一時半過ぎになってからようやく、前日の新聞をコンピューターの横に広げて、Bill Evans『Interplay』を掛けた。川崎のヘイトスピーチデモが市民らの反対行動で中止されたという記事や、熊本関連の記事を写すと、寝床に転がって、今度はこの日の新聞を読んだ。わりと仔細に、特に一面と国際面はすべての文字を追っていると閉じる頃には一二時半過ぎ、次は英語に移って、William Egginton, "Letter From Austria: Is Europe’s ‘Tolerant Society’ Backfiring?" を読了した。一時過ぎである。四時くらいまでは自宅に一人でいられるはずなので、出かけずにこのまま家で書き物をすることに決めた。それであとはひたすら読書というわけで、歯磨きをしてからコンピューターを持って上に行くと、まず座布団を床に敷いて腕立て伏せをし、それから風呂を洗った。椅子に就くと携帯を持って、職場にメールを送った。この日の労働は元々二時限だったのが、中学生はここで修学旅行とかで生徒が減って、そのうち先の一時限は事務勤務となっていたのを、大して金も稼げないしそれなら読書なり書き抜きなりしたほうが良かろうと思って、後の一時限のみの勤務にしてもらえないか、と頼んだのだ。すぐに了承の返事が来たので礼を返して、Bill Evans Trio『The Paris Concert』をBGMにして、日々の記事を綴った。一時半過ぎから始めて、二時を回って前日の分は済んで、この日の分も書くことが全然なくて、二時半前には切りを付けた。雨は降っていないが、窓の外は色がなく、山は霧の幕の後ろに隠れて霞んでいた。ちょうど流れていた "Nardis" を最後まで聞いてから、食事にすることにした。おかずを作るのは面倒だが、味噌汁くらいは作ることに決めて、何だったら余りを夕食の一品にもすればいいと台所に立って、鍋に水を汲んで火に掛ける一方、玉ねぎを切った。それを湯のなかに投入して、白い泡となって浮く灰汁を取りつつ煮えるのを待ってから、お玉を使って味噌を溶き入れた。主食にはおにぎりを一つ、塩を振っただけのものを作って、それで席に戻ってものを腹に入れた。携帯電話を弄んでだらだらとしたのち、三時半頃になると、蕎麦茶を持って自室に帰った。そうして『ローベルト・ヴァルザー作品集5』、「盗賊」の読書である。茶を飲んでからしばらく経ち、腹がこなれたあたりで寝床に移って横になりながら進めていると、四時半頃に母親が帰ってきた音が聞こえた。顔を見せに上階に行き、今日は七時から出ると告げておいてから戻り、ふたたび寝床に乗っていると、何となく空気が肌寒い。それで布団を浅めに身体に掛けて安穏としていると、当然のことだが眠気が湧いて、書見が妨害された。うとうととする時間を挟みながらそれでも、六時一五分あたりまで読み進めたところで、「盗賊」は読了した。歯ブラシを持ってきて、歯を掃除しながら続く「フェリクス場面集」もちょっと読んで、それから服を着替えた。上がっていくと財布から薬を一つ取りだして流し台の前で飲み、便所にしばらく籠って排便した。そうして出発したのは七時五分前である。家を出た時に南の方角にひらいた空を見やった時には、雲の白さが残っていたが、それからわずか数分して街道に出てから見上げてみると既に空は青さに浸っていて、周囲の空気も沈み始めた。Robert Glasper Experiment『Black Radio』を聞きながら裏通りに入り、女子高生たちが広がって歩いている横をおずおずと抜けながら、黄昏の進む道を進んだ。そうして職場に行って、わずか一時限の楽な仕事を済ませると、九時半を過ぎてから退勤した。夜道を帰りながら、妙に落ち着きがあるなと、胸や腹のあたりの感触だったり、ゆったりと勿体ぶったような足の送りだしだったりを感じて、思った。涼しく緩い風が肌に馴染んで、恍惚の芽が胸の内でわずかに顔を出したようだったが、それ以上高まることはなく、道路に引かれた白線の上をまっすぐ歩いていった。街道に出ると、車が途切れた際の静寂のなかで自分の足音が気になって、鈍く籠って響くそれに耳をやりながら進むと、民家の内から例の、やや凶暴そうな鳥の鳴き声がまたしていて、高速でうがいをしているような音だと聞いた。家に続く裏道に入って相変わらず足音を聞いているとそのうちに、脳内に湧く言語による思考とまったく切り離されたところで、何の意志的な命令も発していないのに自分の足が一定の動きをひたすら続けているのが無性に不思議になって、自分がそれを動かしているわけではなく、機械のように自動的に動いているような感じがした。そうして帰宅し、手を洗うと自室へ、服を脱いで下着姿になって瞑想をした。一〇時一九分から始めて二九分までで済ませて、上階に行くと、味噌汁は飲んでしまったらしく、かわりにワカメとキノコの入ったスープが作られていた。ほかに麻婆モヤシがあったので、それを丼の米に掛け、席に就くと食べはじめた。スープは色がなく、味も薄いが生姜の風味がよく利いている。味付けは何かと訊くと、だし塩というものを入れたと言った。そうして食事を済ませ、皿を洗い、洗面所で服を脱いで入浴をするあいだも帰路での落ち着きが続いていて、動作のいちいちがゆったりと、丁重なような物腰になって、そしてその動きのそれぞれを常に把握して眺めているような意識があった。これだけ落ち着いていたのは、薬のせいかもしれない。薬は二種類あって、一応どちらも精神に作用するものである以上、精神安定剤と言っていいのだろうが、名前もきちんと覚えていないような二つのうち、緑のパッケージのものはどちらかと言えば気分を持ちあげるほうに作用し、そして青のパッケージのほうはまさしく精神安定、気分を落ち着け不安を取り除く作用があるものだったはずである。ここ最近続いていたのは緑のほうで、この日は久しぶりに青いものを飲んだから、そのせいでこれほど落ち着き払っているのだろうかと湯に浸かりながら考えたが、真偽は定かでない。そうして上がり、バナナを一本食い、蕎麦茶を持って室に帰ると一一時半、早々に『ローベルト・ヴァルザー作品集5』を読みはじめた。寝転がりながら一時四〇分頃まで読んだところで、一旦満足したようになって、そこで眠ればいいのだが意識がはっきりと冴えていたので、コンピューターの前に行ってインターネットを回った。それでひたすら時間を潰して三時を過ぎ、ようやくそろそろ眠ろうと寝床に戻って、また本を少し読んだのち、瞑想を一〇分ほどして明かりを消した。既に四時が近かった。