2016/6/9, Thu.

 起きられないままに長々と眠り続けて、いよいよ正午を越えた。一二時半も近くなってからようやく布団を抜けて、瞑想も忘れて上階に行った。意図してではないとはいえ、前夜は一時よりも前の時点で半ば眠りに入っていたはずなのに、どうしてこれほど眠ってしまったのかわからなかった。連日夜更かしをしながらも、時間としては六時間や七時間で起床する日が続いていたので、そのせいかもしれない、と考えながら洗面所で顔を洗い、天ぷらの残りを電子レンジに突っこんだ。米と、ワカメの味噌汁も用意して卓に就き、食事を取っているあいだに母親が言うことには、立川の叔母から連絡があって、その時図書カードの件も触れられたと言うのだが、叔母宅に家庭教師として週に何日か通っていることにして、書類を審査に出してみたら、と話していたらしい。図書館に出向いた時に職員に話を聞いてきたと言い――しかしどんな風に話を持ちかけて、どんな話を聞いてきたのかは判然としない――、既に書類も用意してあるということだが、そんなもの通るはずがないし、第一当然だが家庭教師などやっていないし、そんなにしてまで立川図書館に通いたいわけでもない。自室の本も相当溜まっているし、それを消化する日々を続けて、家を出る機が熟したら立川に住めばいい。そういうわけで気乗りしないような答えを母親に返して、飯を食い、風呂を洗ってから蕎麦茶とともに自室に帰ると、一服しながら三〇分ほどだらけた。そうして二時から、前日の新聞の記事をいくつか写し、二時半になるとこの日の新聞も取ってきて、ベッドに寝転がって読んだ。すると三時である。歯ブラシをくわえてきて、念入りに磨きながら『ローベルト・ヴァルザー作品集5』をひらいて、ミクログラムのなかの一篇、「緑蜘蛛」という頓狂なようなやつを読み終えると、自分が以前にヴァルザーを模倣して書いた、電車のなかで一人きりになった瞬間を題材にした小品を思いだして、また読んでみようという気になった。それで歯ブラシを持った手を動かし続けながらコンピューター前に立って、Evernoteの記事をひらいて読むと、随分とよく書けているという自画自賛の情が湧いた。文章がまったく澱みなく、とてもよく流れているという感じがしたのだ。これは二〇一五年一月二六日の深夜一時過ぎから二時半前に掛けて綴った、三〇〇〇字程度の小さなものだが、日々の文章は未だお粗末極まりない書きぶりを脱していないこの時期に、既に自分はこの程度の力は持っていたのかという驚きがあった。長篇、もしくはある程度の長さを持ったものに取り組むだけの環境と欲望が整うまでのあいだは、ミクログラム時代のヴァルザーのように、他愛もないような小文をひたすら拵え続ける、そういうことも魅力的ではないかと考えながら、口をゆすいできて服を着替え、荷物をまとめた。靴下を履いてきてから室に戻って、母親が下階をうろついていらない紙をシュレッダーに掛けたりしているから、駄目だろうなと思いながら一応瞑想のために枕に座ったが、やはり五分くらいで、もう行ったの、と声が掛かったので、まだ、と受けながら目をひらいた。それで部屋を出て、台所で財布から、残り四つしかない薬のうちの一つを出して飲み、そうして家を発った。雨が降ってはいないが、湿気の多く雲が敷かれた曇天だった。街道に出て渡る機会を窺いながら歩いていると、前から婦人に連れられてきた子犬に足もとから吠えられてびっくりした。その直後に、頭上から何か小さなものが落ちてきて背後に転がったので、振りかえると、何か妙な物体が路上でうごめいている。剝き出しの内臓めいて少しグロテスクなピンク色のそれを見て、一瞬宇宙人のようだなという印象を持ってから、まだ生まれたばかりの鳥の赤ん坊らしいと気づいて、しゃがんで目を寄せた。体は丸いゴムが二つ繋がったような感じで、閉じた目の周辺だけ黒く、嘴に成りきっていない口は黄色で、出来損ないの手のようによれた翼らしきものが両側に突きでて、かぼそい脚とそれを動かしていた。しばらく見てから、小指ほどの体長しかないのを、おそるおそる左手の指でつまんで、とりあえず脇の、草がちらほら生えている石段の上に乗せた。仰向けになっていたのを横に寝かせてしまったのが悪かったのか、鳥の動きはゆっくりになって、いまにも死ぬのではないかと思われたが、それ以上どうしようもない。頭上を見ると塀の内側に木が伸びているが、巣など見えないし、届くものでもない。見捨てて歩きだし、キリンジ『3』を聞きだしてから通りを渡って、裏に入った。湿り気が髪の内に籠るようで煩わしいなかを歩いていき、駅に着くと電車の時間を確認して、まだ余裕があったので一度出て公衆便所に行った。放尿してから戻る途中に前から同僚がやってきたので、お疲れさまですと頭を下げてすれ違い、駅に入って電車の先頭車両に乗った。『ローベルト・ヴァルザー作品集5』を取りだして読みはじめると、口内に空腹の臭気が漂って、目も少し霞むようだったが、そのうちに慣れた。文字を追っていると、書いてあることには関係がないのだが、日々の文章を非公開にしたほうがより「作品」に近づくのではないか、という考えが突然頭に浮かんだ。立川で降りてからも、それについて考えながら歩廊を図書館に向かったのだが、公開をやめて自意識の枷を離れたほうが、いまよりもさらに詳細な隅々まで、広く記すようになって、猥雑さを増して厚みを持ったそれは結果として単なる日記を離れるのではないか、という意らしい。要するに、日記をそのまま作品にしたいというかつての幻想的な欲望にいまだ囚われているわけだが、ともかく考えを続けながら図書館に行き、なかに入るのは面倒なのでブックポストに本を返却して、道を引き返して喫茶店に向かった。店はひどく空いていた。室の角で壁に接した席に荷物を置き、グレープフルーツジュースを買ってくると、啜ってからコンピューターを取りだしたが、すぐには書きはじめる気にならず、思念を回しながら他人のブログを読んだ。携帯電話を覗きこんでいると、頭上から聞き覚えのあるコード進行が落ちてきて追っているうちに、ららららんらんらんらんらら、と脳内でメロディが勝手に流れて "Wild World" だなと思っていると、こちらの知っているMr. Bigのバージョンではないが、やはり覚えのある歌詞が始まった。それでBGMにMr. Big『Bump Ahead』を掛けて、五時半頃から記事を書きはじめながら、先ほどの考えをまた回して、一時はよし明日からもう非公開にしようという気になったのだが、実際書き進めていると、公開だろうが非公開だろうが書きぶりなど大して変わらないだろうという気もしてくるのだった。ともかく、BGMはThe Police『Synchronicity』、Stevie Wonder『Songs In The Key of Life』と移行して、最後のほうには止まって考え事をしていた時間も多いが、切りを付けると七時一〇分過ぎだった。帰宅するかまだ店に残るか、それともラーメンでも食べに行くか迷いながらも、いくらかは書き抜きをすることにして、『ローベルト・ヴァルザー作品集5』を取りだした。それで『盗賊』の冒頭から四か所を写して八時前になったところで、金も使いすぎているし飯は食わずに帰宅するか、と決まった。店員にトレイを渡して礼を言って退店し、広場を通って駅舎に入ると、通路をわさわさと行き来する人々の群れと籠ったざわめきが、目に染みるようだった。改札を抜けてホームに下りると、キリンジのベスト盤を聞きだし、すぐに来た電車に乗ると『ローベルト・ヴァルザー作品集5』を読みはじめた。座席に就いてページにじっと目を落としたまま数十分を過ごして到着を迎えると、乗り換えまで多少時間があった。ベンチは埋まっていたので待合室に入り、偉そうに組んだ脚の上に本を乗せて読み続けた。そのうちに入線してきた電車に乗りこんでしばらく過ごし、最寄りに着いて降りると雨が落ちていて、正面から顔に向けて斜めに粒が降りかかってきた。坂を下りてから、通りを行っているあいだににわかに雨が強まって、イヤフォンを外すと家屋根や林を打つ音が空間に広がっているのが聞こえた。空色のシャツには水玉模様ができて、それもすぐに潰れて一繋がりになっていき、電信柱の側面にも飛沫の跡が付いていた。家に入ると風呂に入ればという母親の言を断って自室に下り、服を脱いで瞑想をした。九時一〇分から二〇分までである。そうして居間に行き、煮鯖をおかずにして米を食べ、具がワカメだけの味噌汁も飲んで、皿を洗ってから、父親が帰ってくる前にと風呂に入った。雨は続いていた。たわしで身体を擦って冷水も一度浴びてから出て、飯を食っている父親に挨拶して、下着一枚で立ったままテレビをちょっと眺めた。バラエティ番組に、小澤征悦が出ていた。もう何年昔か分からないが、大河ドラマ篤姫』を、まだ生きていた祖母と一緒に夕食を取りながら見ていた時に、西郷隆盛役で出演していたのを覚えていたが、名前はここで初めて知った。小澤征爾の息子だと言う。両親はそれを知ってひどく驚いていた。そのうちに蕎麦茶を注いで自室に帰り、Robert Walserで動画を検索して、el paseo de Robert Walserとかいう、よくわからないが、ヴァルザーに扮した役者が街中を練り歩いているらしい映像を眺めたり、ついでにロラン・バルトの喋っている動画もちょっと見たりした。それから『ローベルト・ヴァルザー作品集5』を最後まで読み終わったあとは、怠惰の虫が激しく疼いて、レヴィ=ストロース川田順造訳『悲しき熱帯Ⅰ』を読みはじめたりもしながらも、インターネットを徘徊したり、長く伸びてきた陰毛を短く処理したりして時間を過ごした。そのうちにベッドに転がってからも怠け心が続いて携帯電話を弄り、恐るべきことに四時前である。瞑想だけはしようと一三分ほど座っているあいだに、新聞屋のバイクの音が窓外に聞こえて、眠ろうと明かりを消してもカーテンが既に青みをはらみはじめていた。疲れだけがあって眠気が薄かったが、仰向けに身体を和らげて、呼吸に集中しているうちに寝付いた。