2016/6/10, Fri.

 最初に覚めたのは八時頃だったような記憶がある。瞑想のおかげなのか、驚くほどに瞼は軽いのだが、四時間か、と睡眠を計算して、身体も重いようだしさすがに、とふたたび寝入った。久しぶりの晴れの日で、眩しさが窓から落ちて、布団も二枚掛けていては暑かった。それを乱しながら眠って、身体を曲げて窓の傍に溜まっている白い光を顔に浴びてから、一〇時前に自ずから起きあがった。夜更かしはいい加減にいただけないが、睡眠時間としては六時間なので、悪くはない起床である。洗面所に行って顔を洗ってから、枕の上に戻って瞑想をした。ひらいた窓の外が何やら賑やかだと聞こえるのは、前夜の雨で川が増水してその音が厚くなっているためらしい。目を開けると思ったよりも経っていなくて八分で終わったが、時間をノートに記録してから上階に行った。風呂を洗ってしまってから、前夜の煮鯖を温めておかずにし、米と酸っぱい玉ねぎのサラダと、同じく玉ねぎの味噌汁とともに食った。夏めいた暑い日で、居間の気温計はほぼ三〇度になりかけていた。それから蕎麦茶を持って自室に帰り、コンピューターを点けて、前日の新聞から記事を写した。中国軍機が東シナ海で米軍機に異常接近したというものと、つい一日前にもイスタンブールでテロがあったトルコでの、再度の爆発事件の報である。それからこの日の新聞をひらき、茶を飲みながら読んで、腹がこなれるとベッドに転がって続け、正午を迎えた。『悲しき熱帯Ⅰ』を片手に持ちながら歯を磨いてから服を仕事着に着替えたが、さすがにベストなど着けてはいられない陽気である。ワイシャツにスラックスの姿になってネクタイもきちんと締めると、一二時一六分から二五分まで、再度瞑想をした。そうして上階に行き、マスクと葉書をポケットに入れて出発した。道を行きながら携帯電話で近くの美容院に連絡し、翌日の一時半に予約を入れた。坂の途中で、そういえば薬を飲んでいないと思いだして財布から一粒取って、ペットボトルの水で流しこんだ。木々の遮蔽のない陽の下に抜けると、さすがに暑く、熱に取り囲まれて体温が上がるような感じがする。とはいえ空気はさらさらとしており、終始流れる風の通りも良く、それほど激しく汗が湧くわけでもなかった。街道に出るとMuddy Waters『At Newport 1960』を聞きはじめた。空の色は濃く、夏めいて丸々と太った雲もあって、じきに陽射しを薄くしてくれた。ポストに葉書を投函してから裏通りに入って、背すじを伸ばして胸を張った固いような姿勢でしゃきしゃきと歩いていった。駅に着くとちょうど来た電車に乗ってしばらく、降りると久しぶりに図書館に行った。CDの新着を見たが、変わりはない。上がって本のほうは、ウィトゲンシュタインの『ラストライティングス』というやつや、石牟礼道子全集が何冊か入っていた。窓際の席にリュックサックを置いて、便所に行ってきてから椅子に座ってコンピューターを出した。それで他人のブログを読んでから、音楽はLou Rawls『Portrait of Blues』を流して、日々の書き物を始めた。一時四〇分頃だった。職場からのメールに返信しつつ進めて、二時半過ぎには前日も仕上げて現在時刻にまで追いついた。前日の思いつきを真っ向から否定して、作品だとか公開だとか非公開だとか正確に書くだとかどうでもいい、覚えていることをただ書けばいいのだと原点に回帰したので、非常に楽だった。日課のように毎日繰り返し書く類の文章にこだわりはじめると、やはり精神衛生に悪いのだ。文章を終えると、医者へ行くことにして早々と席を立った。歩廊に出ると、空には雲が乱雑に混ざって、先ほどよりも陽が薄くなっていた。通路を渡って駅の反対側に行き、行きつけのハンバーガーショップの前も過ぎて、家々のあいだに入って医者へと歩いた。混んでいるかと思いきや、階段を上がって室に入ると、角に一人、本を読んでいる中年の、精神科には似つかわしくないような、禿げ頭の剛気そうな男しか待っている者はいない。カウンターに保険証と診察券を出すと、職員が、先生が今日は昼に外出されたので、戻ってくるのが三時一五分になるか三時半になるか、ともかく三時ぴったりには始まりませんので、と言うので、了承して席に座った。それでレヴィ=ストロース川田順造訳『悲しき熱帯Ⅰ』を読みながら待っているあいだ、二、三人あとからやってきたが、それ以上混むこともないままに、三時一五分を迎えて医師が帰ってきた。剛気そうな男性が呼ばれて奥の室に入り、さして時間を掛けずに出てきたあと、しばらくしてこちらの名が呼ばれたので、立ちあがって扉を開け、失礼しますと言いながら入った。こんにちはと挨拶して革張りの黒い椅子に座って背すじを伸ばし、どうですかと問われるのに、言うことも特にないので笑って、変わらずですかと続くのに肯定した。前回ここを訪れたのは、三月だと言う。そうすると三か月あいているので、いい感じですかねと言うと、医師も肯定した。緊張感などはどうですかと問うのには、苦笑のようにしながら、結構緊張しやすい質なので、些細なことでも緊張することがありますね、コンビニで店員とやりとりする時とか、あとは生徒の相手をしている時なんかも、と答えた。コンビニでも緊張しますか、と相手は意外な風に返して、生徒にも、と加えるので、やりづらい生徒なんかは、と笑って返して、でもまあ、と置いた。その緊張が発作に繋がることはないな、というのが、もうわかってますから、と繋げて、日常生活を送る分には、問題はないですね、と結論を述べた。そのうちに、小説のほうはどうですかと訊いてきたので、ちょっと詰まってから、練習みたいなものばかり書いていますね、と受けた。毎日文章は書いていて、それがもう、生活になってしまったので、と自分でも何が言いたいのかわからないままにとりあえず口にして、なのでまあ焦りみたいなものはあまりないですね、それがいいのか悪いのかはわかりませんが、と笑って落とした。最近だと小説家も色んな経歴の人がいる、と医師は振ってきて、そうですかね、とこちらは受けつつ、又吉さんとか、と返すと、又吉さんはもう随分大物の作家みたいになってしまった、と相手は笑う。その次に、文学賞の受賞者を見ていると色々な人がいるとか、作家という人も色んなところで見かけるというようなことを医師は確か言ったと思うのだが、こちらは一時期テレビに引っ張りだこだったらしい羽田圭介なんかのことを思いながら、文学青年みたいなのはもう受けないんじゃないですかと応じて、先生は小説は読まれますか、と訊くと、今頃になって、司馬遼太郎とか藤沢周平とかを読んでいるかな、と笑いながら受けて、何か照れくさそうな感じでやたらとにこにこしながら、若い頃は、大江健三郎とか福永武彦とか、仏文出身の人たちのをわりと読んでましたね、と続けた。先生は学部は、と自分でも意図がわからないがとりあえず口に出して、すぐに当然の事実に思い当たって、普通に医学部ですよねと問うこちらの言の端に被せるように、肯定が返ったあと、ああそうすると、安部公房なんかがぼくらの先輩に当たるのかな、と顔を歪ませて笑みを続けながら相手は言って、それで話は打ち切りになって、じゃあまた同じように出しておきますので、三か月もたせてください、と終わったので、礼を言って室を出た。安部公房というのは、あとで電車内で携帯電話で調べてみたところでは、東京大学の医学部出身なのだ。大江健三郎が東大仏文科出身というのは、知識として聞いたことはあったので、仏文の語を聞いた時点で思い当たっても良かったはずだが、自分のものであれ他人のものであれ出身校というものにあまり興味がないので、東京大学の一語が脳内に浮かんで来ないまま、あやふやな受け答えをすることになったのだった。会計を済ませると階段を下って建物を出て、隣の薬局に入った。『悲しき熱帯Ⅰ』をまたひらいたが、頭上のテレビから降ってくる、舛添都知事を批判するワイドショーの声が耳に入って、あまり文字をスムーズに追えなかった。番号を呼ばれると立って、若い女性の薬剤師とちょっとやりとりし、会計して外に出た。まだ四時前、思ったよりも早く終わった形だった。駅までゆっくり歩いてなかに入り、ホームで本を読みながら電車を待って、来ると乗って職場に向かった。コンビニでおにぎりを買ってきて食ったあと、上司と夏期講習の進め方について話し合い、その後労働をした。退勤は九時四〇分頃になって、駅前の横断歩道を渡ったところで後ろから、先に出た同僚二人が自転車に乗ってやってきたので、それからしばらく帰路をともにした。表通りの途中で別れ、一人になって、黙々と歩いていった。空は曇りがちで、星の明かりも定かならず、しかし一つ、朱色掛かったようなものが明るく光って見えた。街道を、裏との交差地近くまで来たところで、前日に鳥の赤ん坊をここの石段に置いたのだと思いだした。それで、まだそこにいるものか、死体でも残っているものかと身体を屈めて、段の上に目を寄せたが、あるのは暗い色でこびりついた苔や雑草や行き交う蟻ばかり、何の痕跡も見られなかった。ふたたび歩きだして、残りの道をたどって家に帰った。居間に入ると、服の内に暖気が籠るようで、ひどく暑いなという感じが今更になってした。手を洗って自室に下り、服を脱いで肌を楽にしてから、瞑想である。一〇時二五分から三四分まで、それから上階に行き、ジャガイモとハムの炒め物をおかずにして米を食った。このハムはうまいハムだ、などと塩気が利いて米によく合うそれについて口にすると、食べてしまっていいと言うので、フライパンに残っていた炒め物をすべて皿に入れ、米もおかわりしてもう一杯食べた。一一時になるとテレビは、七二時間同じ場所に密着取材する番組を始めた。今回は再放送のようで、先ごろ亡くなるまでは日本で最高齢の象だったはな子と、彼女を見に来る様々な人々を映したものだった。米やジャガイモを咀嚼する一方、人々の表情だったり、人生の断片だったりを眺めながら、一体何がそんなに感傷的な気分にさせるのかわからないが、瞳が奥から濡れてきて、その水量があまり多くならないように気を付けた。両親は、しみじみとした感じではあるが、平然として見ている。そのあと風呂に行きながら、どうも自分は、馬鹿げているほどに、あまりにもナイーヴ過ぎるのではないかと思った。実際、何に感動しているのか明瞭にわからないが、あまりに安易な感動の罠にはまっているのではないか。ともかく風呂に浸かってから出てくるともう一一時五〇分、下着一枚で体重を量ると五四. 四五キログラムだった。蕎麦茶を持って室に帰り、一服してから、知人の小説を読みはじめた。一時過ぎまで読んでからは、寝床に転がって、携帯電話でウェブを回って怠惰に過ごし、三時を迎えると一〇分間の瞑想をして、そうして就寝である。