一度目に覚めたのが九時か一〇時かそのあたり、この日も晴れて暑く、布団は寝乱れていた。抗いもせずふたたび寝付いて、一一時前になってようやく意識が晴れて、布団を跳ねのける気力が湧き、起きると洗面所で顔を洗って用を足した。戻ってきて、一一時ぴったりから一二分まで瞑想をして、それから上階に行き、真っ先に風呂を洗った。母親がチャーハンを作っている途中だったので、引き継いで醤油をふられた米を木べらでかき混ぜ、一方で玉ねぎのスープも熱した。そして食事である。新聞一面を多少眺めながらものを食べ、ちょっとだらだら休んだのちに、洗い物をして蕎麦茶を持って室に帰ると、ちょうど正午である。机上にあった前日の新聞をひらいたが、特に写したい記事もなかったので、英語を読むことにした。Gabriel García Márquez, Love in the Time of Cholera である。この作品は邦訳で既に二回読んでおり、大まかな物語は覚えているので語彙を習得するにはうってつけであろうと読みはじめたところが、自分の語彙力はひどく貧困で、場面としては覚えていても細部でわからない単語がいくつも出てくる。それをいちいち調べてこそであると思い定めて、初めのうちはしばしば紙の辞書をひらいていたが、次第に面倒くさくなってきたので、とりあえずボールペンで、ペーパーバックの質の悪くくすんだ色の紙の上、語の下を縁取るように線を引くだけはしておいて、調べるのはあとでまとめてで良かろうと放置した。それで寝転がりながら一時前まで読んだのだが、笑ってしまうような、あたかも蝸牛のごとき歩みののろさである。しかし現時点の自分の英語能力をどうこう言っても仕方がない、続けていればいずれ語彙も力も付いてくるのだから、たとえ三ページだろうが一ページだろうが、毎日英文で書かれた小説に触れる時間を作って習慣化するということ、それだけが重要なのだ。それから今度はレヴィ=ストロース/川田順造訳『悲しき熱帯Ⅰ』を少しだけ読んでから、外着に着替えた。空色のシャツにジーンズめいた風合いのベスト、黒で小さな模様の散ったベージュのズボンと、何の変わりもない格好である。そうしてリュックサックを持って上階に行き、もう美容院を予約した一時半もだいぶ近かったが、ソファにもたれてちょっと休んだ。夜更かしのためか、身体が固い感じがした。洗髪に備えて首を後ろに曲げたり、ゆっくり回したりしておいてから、玄関を抜けると、風が渡っていて沢音めいた葉鳴りの響きが上から落ちてくる。いつも進む坂の脇にもう一つある細い坂道に入って、乾いた葉っぱや枝をぱきぱき踏み鳴らしながら上がっていった。通りに出ると陽射しが空間の隅々まで浸しており、身体が瞬時に熱に包まれ、道路に浮かぶ影は電線の細いそれだけで、並ぶ車の鼻面がてらてらと濡れている。目を細めながら通りを渡って、美容院に入った。そして早速洗髪台に就き、首を適切な位置に調節して、髪を洗われるに任せた。洗髪は、苦手な時間である。首の固さだったり、頭を後方に反らすために喉が張って唾が飲みこみにくかったりでやや苦しい場合が多いのだが、この日は緊張もせず首も特段痛まず、手を組んで腹の上に乗せながらじっと身を寝かせていられたとはいえ、目を閉じて傾けた頭に温水が触れるのに脳内がふらつきかけるようで、注意した。それで鏡の前に移って散髪だが、いつもは何かしら話しかけてくる美容師の婦人が、この日は言葉少なに黙々と髪を刈っている。こちらから振ることもないので、たまに来る質問に答えつつ大方黙って、さっぱりと短髪になるとふたたび髪を洗った。席に戻って腕時計を見ると、二時一五分だった。髪を乾かして最後の仕上げをしている時に、婦人が、お兄さん結婚したの、と小声で、聞きづらいことを聞くような素振りで尋ねてきたので、なぜかその事実を広く知られたくないらしい母親のことを考えながら、結婚しましたと肯定した。三月の二六日に式をあげまして、とか、どこに住んでいるのか訊いてくるのに北区だとか、あまり詳しいことは話さずにおき、そのまま散髪は終わって、礼を言って立ちあがった。そうして金を払って、出口のところで頭を下げてから退店した。陽射しの勢いに変わりはない。手近の最寄り駅を使うか、陽の落ちる下を歩いていくか迷ったが、後者を取って歩きだした。街道を行くあいだ、西空に移った太陽が背後から熱線を送って、肌がじりじりと焼けてひりつくような感覚が首もとに宿ったが、空気が乾いて風も通るために、汗が激しく服の内に溜まるような不快な暑さはない。烏やらそれよりは遥かに小さい黒鳥やらが電線や家屋根を渡って、闊達に飛び回っている。途中の自販機で柑橘風味の水を買い、数口飲んでから裏通りに移って、音楽はAmbrose Akinmusire『The Imagined Savior Is Far Easier To Paint』を流しつつ、危なげなく進んでいった。駅前に出る角で、コンビニの建物側面に巣を作っているらしく、燕が素早く宙に飛び出して曲線を描いていた。駅に入ると電車に乗って、他人のブログを読み、余った時間は瞑目して待ってから、降りて図書館に行った。階を上がって窓際へ、土曜日だが運良く一席空いていたのに荷物を置いて、便所に行った。用を足してから新着図書を見ると、前日見たのとほとんど変わりはないが、正岡子規の歌集らしい『竹乃里歌』が、明治書院の和歌文学大系の一巻として入っていて、非常に欲望を感じたものの、図書カードを持ってきていないのだった。席に戻ってコンピューターを出し、Myron Walden『Momentum』を掛けた。頭が重かったので、書き物に入る前に、音楽で耳を塞ぎながら瞑目して少々まどろみ、起きて三時四〇分頃から文を綴りはじめた。Myron Walden『Momentum Live』、New Prague Trio『Mendelssohn: Piano Trios』と音楽を繋げて、この日の現在時刻まで記述が追いついたのが、五時五〇分である。二日のそれぞれに一時間ずつ、結構な時間を掛けてしまったらしい。続いて、書き抜きであれ『悲しき熱帯』の読書であれ、このところ放置している日録作成であれ、やることは色々とあるが、そのなかから知人の小説を選んで読み進めることにして、テキストファイルをひらいた。音楽はNicholas Payton『Dear Louis』を流して、一〇ページほど読むと六時四〇分、残りの時間は『ローベルト・ヴァルザー作品集5』の書き抜きに当てることにした。打鍵を進めて七時半になる頃にはコンピューターのバッテリーが切れかけていたので、切りのいいところで電源を落とし、鞄にしまって、『悲しき熱帯Ⅰ』を出した。疲れがあって、広くなった机の上に突っ伏して片手で本を持ちながら読んでいるうちに、重みが耐え難くなってきたので、閉館一五分前のアナウンスが鳴ったのを機に仮眠に入った。覚めるとわずか五分しか経っていなかったが、よほど楽になって、閉館時間の八時までそのまま本を読み続けて、それから退館した。歩廊から見上げた夜空は広く、一片の塗り残しもなく端まで濃い墨色が浸潤し、そのなかでそこだけ明色を洩らして闇の攻勢を押し留めている細い月は、ナイフを刺しこんだ傷痕から向こう側が覗いているかのようだった。駅に入ってホームに降りるとAmbroze Akinmusireをふたたび流し、電車内では体力を回復しようとじっと瞑目していた。乗り換えて最寄り駅に着くと、階段を上り下りして駅を抜け、坂を下って帰宅した。星はそれほど定かならぬ夜だったようである。自宅の前まで来ると父親がちょうど家の蔭から現れて、おかえりとこちらに投げて林のほうに歩いていった。玄関を入ると母親がおり、上がり口の床に諸々の袋が投げだされている。いた、と言うので何が、と受けると、お前か、と気づいて、父親が蛍を見たと言って探しに行ったのだと説明した。子どもの時分にはよく見かけたものである。夏、山梨にある父親の実家に里帰りした時に、川に行ってカワニナを獲り、自宅傍の沢に放流して蛍の手助けをしたこともあったが、ここ数年は彼らの光はほとんど失われていたはずだ。食材やらクリーニング店に出した服やらが入った袋を居間に運んで、冷蔵庫に入れるものを入れてから、自室に帰った。服を脱いで涼しい格好になってから、しばらくベッドに寝転がり、九時前になったところで瞑想をした。そうして階を上がり、夕食である。とろみのついた野菜炒めを米を盛った丼に掛けて、汁物はワカメと豆腐の味噌汁、それにコンビニのソーセージや唐揚げを合わせて食べた。食器を片付けたのち、一度自室に下りたような気もするのだが、多分すぐに風呂に入ったのだと思う。それでおそらく一〇時半頃に室に帰って、インターネットをちょっと回ってから、イヤフォンを付けて机の前に立ったまま、Love in the Time of Choleraと辞書をひらいて、昼間に線を引いた単語の意味を調べていった。その後に確か新聞を読んで、すると零時は越えていたはずだ。どうもこの時間になると怠惰の虫が疼きだして、だらだらと娯楽的に時間を過ごすことへの誘惑を感じるのだが、寝転がってレヴィ=ストロース/川田順造訳『悲しき熱帯Ⅰ』を読んでいるうちに、こちらが面白いので虫が落ち着いて、歯磨きを済ませながらそのまま二時過ぎまで読み続けた。そうして二時二五分から三八分まで瞑想をして、消灯である。