2016/6/14, Tue.

 最初、まだ早い時間に覚めた時、顔から自ずとアイマスクが外れていた。それを探して枕の脇に落ちているのを確認するとふたたび寝付き、次に時計を見た時には九時台だったのを覚えている。その頃には、窓外の緑の風景の上には薄陽の色が被さっていたはずだ。その後も何度か覚醒を繰り返したが、そのたびに確かな起床を取り逃して一一時半を迎え、時計を見て、二時五〇分に消灯したから、八時間四〇分かと睡眠時間を計算した。前日は、四時前まで夜を更かしたわりに五時間四〇分で起き、それでも日中眠くなることもなかったのだが、この日は休日ということで、やはり精神にも自然と甘えが出てくるものか、このざまである。この時間には既に陽が消えて、曇りはじめていたような覚えがある。洗面所に行ってきたあと、一一時四五分から五五分まで瞑想をし、姿勢を崩してレヴィ=ストロース川田順造訳『悲しき熱帯Ⅰ』をちょっと読んでから、階を上がった。母親は仕事で不在、父親は休みだが、外にいるようで姿が見えない。冷蔵庫からカレーの残りを取りだし、米の上に掛けてから電子レンジで温め、パスタサラダとともに食った。朝刊の一面は引き続き、米はフロリダ州オーランドの銃乱射事件についてである。皿を片付けて緑茶を室に運ぶと一時、『Nina Simone & Piano!』を流して、前夜の夕刊から乱射事件の記事に、近年の同種の事件を集めた表を写した。それからGabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraの意味調べをし、過去に書き抜いた一段落を英文と見比べ、二時前からベッドに転がって読みはじめた。それで二時四〇分、起きあがるとNir Felder『Golden Age』を掛けて軽い運動をし、服を着替えた。荷物を整理して上階に行くと、まず風呂を洗って、次にベランダの洗濯物を室内に入れ、Antonio Sanchez『Three Times Three』を聞きながら、タオルを畳んでシャツにアイロン掛けをした。そして出発である。その頃には陽射しが少々戻っていて、坂には木の網を通して小さな陽色の薄片が落ち、抜けると空には雲が渡っているが、光線はそれをくぐって、頬や顎や胸に粘質性の、泥のような熱さが付着した。『Three Times Three』をふたたび流して街道を行き、裏通りに入って進むうちに陽は陰ったが、それでもひどく蒸し暑い。汗をかくためか、頭がしきりに痒くなるので、短髪の上の帽子をたびたび外してがしがしと搔きむしりながら駅へ向かった。駅舎に入って電車に乗るとすぐに瞑目し、音楽を聞きながらしばらく過ごして、降りて駅を出ると、曇りの色が先ほどより濃くなったようで、多少呼吸もしやすくなっている。西のほうに目をやると、空には青ざめた雲が広くのしかかっているが、その裾から光が下方に吐きだされて、そこだけ汚れを拭って磨いたように空気の表面が滑らかに加工されながら、地上とのあいだに斜めに掛かる光の筋が色も実質もない線を縦に刻んで、あるかなしかの断層を作っていた。図書館を一旦素通りして通りに下りたのは、蕎麦茶を切らしていたので、スーパーに向かうのだった。時計を見ると四時過ぎ、まったくもって時間がないものだと思いながらも、それを嘆くつもりはなく、焦りも感じずに、演奏を聞きながらむしろゆったりと歩を進めて、アルバムが終わるとAntonio Sanchez『Live In New York』に移して、テナーサックスの飛翔を追いながら道を行った。スーパーに入ると、音楽に集中したまま通路を行って、蕎麦茶を三袋取ったあと、たまには何か菓子でも買うかと棚を移り、茶菓子としてクッキーを二箱手に加えて、レジに行った。会計を済ませて品を袋に収めてからリュックサックに入れ、また耳に音楽を流しこみながら店を出て、道を戻った。そうして図書館に入るとフロアを上がって、窓際の端に就いてコンピューターを机に置いた。ひどく蒸し暑く、膝にさえ熱が籠ったのでズボンの裾を引っぱりあげて脛を露出し、帽子の縁にもわだかまるものがあるで取って頭をさらした。背に手をやると、シャツを越えてベストにまで湿り気が通っている。ともかくPablo Casals『A Concert At The White House』をBGMにして書きはじめると、直後に五時のアナウンスが鳴った。前日の分は一九〇〇字足して、五時四五分に済んだ。音楽は次にD'Angelo & The Vanguard『Black Messiah』を掛けて、一時間後にこの日の分も切りを付けた。一八〇〇字である。この程度の量にこれだけの時間を掛けているのは、のろい。できるならば現在の半分くらいの時間で済ませたいものだが、そう言っても仕方がない、まだ頭がそれほどまでには文を綴るという行為に馴染んでいないのだ。時間は七時、残りの一時間は書き抜きを行うことにして、『ローベルト・ヴァルザー作品集5』をひらいた。音楽は流れていたRamsey Lewis Trio『The In Crowd』が終わると、Lou Donaldson『Alligator Bogaloo』を掛けて打鍵を進めた。『フェリクス場面集』の中途、「君は忘我の状態にあればそれで充分な言語表現になるとでも思っているのか?」という台詞が目当てでメモしていたページがあるが、読み返してみると、フェリクスが檻のなかのフクロウを相手にひとりまくしたてるその語りが面白かったので、すべて書きぬくことにした。そうして写していると、このようなやや気の狂ったような、奇妙な、ねじれた独り言のような語りはそのまま小説にも導入できるのではないかと思いついて、「二人称の、誰かに絶えずぶつぶつと語りかけ続ける狂人の譫言のような小説」を書きたいと日記にメモしておいた。そうして八時の退館時間になると荷物を片付けて出口に向かった。歩廊に出ると夜空は曇っており、何の姿も乱れも見えない。駅に渡り、ホームに下りるとAntonio Sanchez『Live In New York』から一枚目の二曲目、 "H and H" を聞きはじめた。足で拍子を取りながら電車を待って、乗ると席に就いて瞑目、降りて乗り換えては扉際でベースソロを聞き、続くドラムソロも追っているうちに最寄りに着いて、扉がひらいて降りる時に一瞬拍を見失ったが、すぐにまた見つけて、非常に多彩で卓越したソロを聞きながらホームを移動した。駅を抜けると坂を下っていき、始まった "Ballade" を聞きながら通りを歩いていると、足もとに黒い塊があるのが突然目に入ってびっくりしたが、黒猫だった。一時期近所の車庫によくいたものだ。この日は車庫ではなく、民家のあいだの細い階段道から顔を出していた。イヤフォンを取ってしゃがむと、みゃあみゃあと声を立ててちょっと移動する。そのあとを追っていき、こちらが先に出ると相手は止まってしまうので、後ろを向いて手招きをしたり口笛を鳴らしたりして誘うとまた少し駆けた。そんなことを繰り返しながら進んでいき、件の車庫の、一つ隣の同じような車庫に猫は入った。そこは電灯の下で姿が多少明らかになったが、毛並みはあまりよろしくないようで身体の色にむらがあって、ところどころ黒の薄い場所が散見された。走る時に鈴の音がしたところでは、完全な野良というわけではないらしい。別れて、残りわずかな道を行き、家に入るとなおざりに手を洗って室に下りた。服を脱ぐとすぐに瞑想、八時三五分から四五分までの一〇分間である。それで階を上がり、鮭やら豚汁やらを用意して、米の椀とともに並べた。父親は休みだから、顔を赤くして酒を飲んでおり、新しい缶を取りに行くのを母親がたしなめている。夕刊を卓上にひらいて、文化展の開催情報の表を見ながら、美術館にも月に一度くらいのペースで行きたいものだが、いかんせん地理が遠いなと悩んだ。食事を終えると食器を洗ってから風呂に入り、頭と身体を洗ったあとに、帽子も石鹸を薄く擦りつけて適当に洗い、身体を拭いて髪にドライヤーを掛ける一方で、洗濯機に帽子を入れて二、三分脱水した。それで下着一枚で室を出て、居間の物干し竿に帽子を吊るしておき、テレビに目をやると骨董鑑定バラエティがやっている。ちょっと見ていると、野菜やら果物やらをかたどった象牙彫刻が鑑定に出されて、その製作者は安藤緑山だと言った。作家紹介のVTRのなかに出てくる彼の作品も大方野菜や果物が題材なのだが、それらがどれもこれも本物よりも瑞々しい生気に溢れているような、写実の極致に到ったもので、筍と梅の実を題材にした代表作では、採れたての筍の根もとに埋めこまれているグロテスクなピンク色の粒々はおろか、皮の縁のかすかに曲がった産毛の一本一本までが、おそらくミリ単位で巧みに再現されている。こういう人間が、いるものだよなとしばらく眺めて、鑑定結果は見ずに室に帰った。一〇時である。Lou Donaldsonを図書館の続きから流して、ふたたび書き抜きに入った。一〇時半過ぎに『ローベルト・ヴァルザー作品集5』は仕舞えると、Nir Felder『Golden Age』を背景にして、引き続き、レヴィ=ストロース川田順造訳『悲しき熱帯Ⅰ』のほうも写しはじめた。そうして一一時半頃になると一度中断して、歯磨きをしながら新聞を読んだ。その後は気力が途切れて、自慰をしたりインターネットを回ったりしたのち、一時四〇分からふたたび書き抜きを始めようとしたが、日記を読み返すのを忘れていたとすぐに気づいて、二〇一五年六月一四日の記事をひらいた。午前中に親戚が来て、トマトを置いていっているのだが、この親戚は先日も同じようにやってきて、やはりトマトを置いていった。出かけて坂を上っている最中に、夜更かしのせいらしいが、目の霞みや頭の重さがあるという。昨年や一昨年は確かに、コンピューターを長く使ったあとなどたびたび、視覚から来る不定愁訴のような、頭のなかに靄が籠ったような感覚や、時には離人感めいたものに襲われていたものだ。ところが現在は、深夜の三時やら四時まで起きた次の日でもそんなものはほとんどなく、日中、脳内はほとんど常にはっきりと晴れているのだから、この一年だか数か月だかで実際随分と強くなったものだと思った。この日は立川に出かけているが、天気は記しておらず不明である。記述は、まだ書いている自分と書かれている自分とを切り離し、自分自身から距離を取りたがっていた頃で、ほとんど外面的な行動と知覚を、時系列順に素っ気なく並べたといった趣である。ただ現実、多少は心情の類を洩らす箇所もある。当時、投稿したあと、わざとらしく書いてしまったと思っていた部分が、読み返してみるとそうでもなく、むしろ気づかずに内面に繋がるような記述をしてしまっている場所のほうがわざとらしかった。文調は、全体に拙い。立川から帰宅したあとは、ブログを今の巣穴に引っ越している。ほかに、岩田宏の詩集を読んで、ブログタイトルの起源でもある「神田神保町」を書き抜いていたので、暗唱したい一節を収めておくものとして設けた「言葉」という記事に写しておいた。そして二時である。『悲しき熱帯Ⅰ』から一箇所だけ加えて書き抜いておいて、それから寝床に転がった。ほんの少しだけ読みつつ脚をほぐしてから、瞑想を始めたのが二時三七分だった。一〇分間座って頭のなかをかき混ぜてから、明かりを消してアイマスクを付け、窓をひらいて布団にもぐった。眠気はすぐにはやってこなかった。意識は明瞭に保たれていて、目を閉じているから見るものといって頭のなかしかなく、瞑想の続きのようにして脳内を通過していく言葉を眺めていると、本当に自分はほとんど常に、自分自身に向けて独り言を言っているのではないか、自分はもしかすると全然寡黙ではなく、実はものすごく饒舌な人間なのではないかと思われた。何か大したことを考えているわけでもなく、それが何かのまとまった形を成すわけでもないが、飛沫のようにしてどこかから、言葉が常に飛んでくるのに、一体これはどこから湧いてきているのかと不思議に思った。そのうちに、窓外で鳥の鳴き声がする。体育館のフロアをシューズの底が擦る響きを思わせる、きゅ、きゅ、という摩擦的な声の鳥である。それが三連符を二拍分繋げて、六音でアーチを描き、少し間を置いてはまた声を立てることを繰り返した。それを聞きながら例によって自律訓練法を行い、飽きて横を向き直ってからそのうちに寝付いた。