ひらきっぱなしにして眠った窓の向こうが、定かな襞もなく平坦に白い朝だった。前夜に職場からメールがあってこの日は急遽休日となっていたのだが、するとやはり精神が緩むらしく、何度も覚めながら積極的に起きようという頭が働かず、一一時半頃になってようやく起きあがった。夢を見たが、度重なる覚醒と入眠のために既に記憶が擦り切れ気味だったので、面倒くさいと記録を怠って洗面所に行き、顔を洗ってから瞑想をしに部屋に戻った。一一時四四分から五四分まで一〇分間瞑目しているあいだ、薄雨の窓外で鶯が何匹も声を重ねていた。それから階を上がっていき、まず風呂を洗って、前夜の残り物の肉や味噌汁を用意して食事を取った。少しゆっくりしてから立ちあがり、皿を洗っていると、料理教室に行っていた母親が帰ってきた。食器を乾燥機に収めてソファに就き、新聞をひらいてちょっと眺めていると、結婚式の招待状を早く出しなと母親が、このところ繰り返されている注文をまた付けてきた。それでそうだと思いだして、テーブルに移って返信葉書を取りだして、筆ペンを借りた。何でも、宛名の「行」を、寿の字で消すのが作法だと言う。そういった世間知的な事柄はまったく知らないので母親に教えてもらいながら、言われた通りに、「行」の上から「寿」を書き、その下に代わりに「様」を付け足して、その横の、新婦の名の下に当たる空白の位置にももう一つ、「様」を並べた。裏には出席欠席の選択欄と、名前やメッセージなどを書く欄がある。「ご出席」の「ご」も寿で消すのがいいのではないかと母親は言ったが、何だかそれは変な感じがしたので、ここは普通に二本線を縦に引いて消し、丸で囲み、個人情報欄を埋め、最下部のメッセージ欄には通り一遍の祝福と礼を書いた。それで二次会のほうも、だいぶ前にメールで送られてきていたURLにアクセスして、同じようにフォームを記入して出席の返答をした。そうこうしているうちに一時半、蕎麦茶を持って室に下り、コンピューターの前に立って、この日の記事をまず作成した。睡眠時間は三時二〇分から一一時半までとして、八時間一〇分である。その他前日の収支などの記録を付けてから、Richie Kotzen『Break It All Down』を流して、一日前の新聞を写しはじめた。歌を歌いながら進めたので、気分がいいかわりに時間が掛かって二時を過ぎ、歯を磨いてからベッドの上で爪を切った。それから腕立て伏せと腹筋運動を行い、寝転がって汗が引くのを待ちながら、レヴィ=ストロース/川田順造訳『悲しき熱帯Ⅰ』をほんの少しだけ読んだのちに、服を着替えた。薄ピンク色のシャツにいつものズボンで簡素な格好にして、荷物を整理し、帽子を被って一度上がった。三時前だった。リュックサックをソファの脇に置いて、薬を一粒飲むと、出かける前にも瞑想をしておこうという気になったので、自室に戻って枕の上に座った。軽い眠気が湧いて頭が傾き、脳内に去来する独り言も音が薄くて聞こえにくく、意識はあまり冴えていないらしかった。二時五八分から三時一〇分まで瞑目してから上に戻ると、母親はソファでタブレットを持って、芸能人の噂を紹介しているらしき怪しげな動画を見ていた。行ってくると言って家を出ると、雨粒がかすかに散っていたが、傘を持つのが面倒だったので、どうせ強くはならないだろうと勝手に決めつけてそのまま歩きだした。街道を進み、ポストに葉書を投函すると、Antonio Sanchez『Live In New York at Jazz Standard』を、一枚目の終いの "Revelation" の途中で止まっていたのを曲の頭に戻して聞きはじめた。そして裏通りに入って進む道中、特段知覚に響いたものはない。駅まで来ると電車に乗ってしばらく音楽を聞き、降りると図書館に行った。入ってフロアを上がり、窓際の端に荷物を置くと便所に行き、それから海外文学の棚を見に行った。正確な文言は忘れたが、「愛もまた一つの学びである」というような、ガルシア=マルケスが小説のどこかに書いていたはずの言葉の出典を確かめたかったのだ。インタビューのなかでそれについて言及されていたのは覚えていたので、まず『グアバの香り』をひらいた。すると、メルセデス夫人との関係がなぜそんなにうまく行っているのか、との質問に対して――この部分は過去に書き抜いていたので引用ができるのだが――、「結婚生活というのは、人生と同じで、毎日一からはじめなければならない何とも面倒なものだということを理解しないといけない」と述べたあとに、「ぼくの書いたある小説の人物は、もっとはっきりと「愛もまた学んでいくものだ」と言っているよ」とあった。次に、『わが悲しき娼婦たちの思い出』をひらいた、というのは、件の発言はこの小説のなかで見かけたものだと思っていたからだ。しかし、棚の前に立ち尽くしたままページを繰って行っても、それらしきものが見つからない。どうも、「セックスというのは、愛が不足しているときに慰めになるだけのことだよ」という言葉の記憶と混同していたのではないか。それで席に戻ってコンピューターを出し、マルケスの小説からの過去の書き抜きを大雑把に読み返していったのだが、見つからない代わりに、例の言葉は、いままさに英訳版で読んでいる『コレラの時代の愛』のなかにあったのかもしれないという気がしてきた。フベナル・ウルビーノ博士とフェルミーナ・ダーサが、結婚生活上のさまざまな困難を経験しながらも、何だかんだでそれなりにうまくやっていくことができた末のまとめの一言のようなものとして、その言があったのではないかと思ったのだが、しかし真相は定かでない。ともかく、この問題にかかずらうのはそこまでとして、書き物を始めた。The Nostalgia 77 Octetを流して前日の記事を進め、四二〇〇字ほどで五時一〇分頃に仕舞えて、この日に入った。The Nostalgia 77 Octetはもう一度聞きたいという欲望を感じなかったので、再生が終わるとファイルを削除し、その下のNothing's Carved In Stone『Sands of Time』を掛けて打鍵を続け、文章に切りを付けたのが六時を回った頃だった。次に、知人の小説を読むことにした。テキストファイルをひらいて読みはじめ、音楽が終わるとイヤフォンを外して、そのまま七時まで読んで区切りとした。そうして残り時間は、レヴィ=ストロース/川田順造訳『悲しき熱帯Ⅰ』に充てて、途中でコンピューターも片付けて広くなった机上で読んだ。長く朝寝をした日なのに不思議だが、眠気が出て、時折り突っ伏してうとうとと瞼を緩めながら読み続けて、八時を迎えると退館した。歩廊を渡って駅に入り、ホームに下りるとAntonio Sanchez『Live In New York at Jazz Standard』を掛けはじめて、二枚目の二曲目、 "Did You Get It" を聞いた。車内でも集中して聞き、乗り換えても扉際で瞑目して聞き続け、降りると雨がちらついていた。駅を抜けて、坂を下りながら、アルトとテナーのサックスそれぞれのソロが終わって、二本が入り乱れながら左右で吼える掛け合いを耳に浴びて、通りに出ると今度はベースとドラムの交互のソロが始まった。少々強まった雨を顔に受けながら歩いていき、自宅に着いてもソロが続いていたので、階段を上がった玄関の前で立ったまま聞き続けた。そのあいだに猫が一匹、林のなかからのそのそ出てきて、こちらの家と隣家のあいだの隙間に入っていった。ソロが終わってテーマに戻ったところで音楽を止めてなかに入り、手を洗って自室に下りた。あまりにも空腹だったので瞑想が面倒がられて、着替えるとさっさと上がり、食事をそれぞれ皿に盛った。細切りの人参や隠元を肉で巻いたものをおかずに米を食べ、椅子に就いたままだらけているうちに、母親が風呂から出たので、皿を片付けて入浴に行った。出ると父親が帰宅していたので挨拶し、蕎麦茶と新聞を持って室に帰った。ニュースを追って、一〇時半である。次にGabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraをひらいて、まず一〇ページ分、線の引いてある単語を復習し、それから前線を進めた。そうして一一時四五分、歯を磨いたりインターネットを回って娯楽的な時間を過ごしたりしたあと、零時半から、レヴィ=ストロース『悲しき熱帯Ⅰ』を読みはじめた。ベッドに寝転がって身体をほぐしながら三時まで読み、三時一〇分から二〇分まで瞑想をした。そうして上着を脱いで水を飲み、すぐに消灯して布団に入った。