2016/6/19, Sun.

 覚めて、アイマスクを外し、カーテンをひらくと白っぽい空の明るさに目が眩んだ。瞳を慣らしてから反対側の壁の時計に目をやると、七時過ぎである。消灯の三時五分から、四時間ほどしか眠っていない。しかも寝付くのに時間が掛かったから、実際の睡眠はさらに少ないはずである。そのわりに頭が晴れていて、二度寝の誘惑も寄ってこないので、七時二〇分を正式な覚醒の時刻とすることに決めた。しかしすぐには起床せずに、携帯電話を取ってだらだらとし、一時間以上寝床に留まってから起きて、顔を洗いに行った。両親はこの日も、先日に突然死去した大叔母の息子の葬儀で、揃って朝早くから外出である。戻ると枕の上に腰掛けて瞑想をし、一二分間座ってちょうど九時になった。上に行き、早々と風呂を洗ってしまってから、例によってハムと卵を焼いて丼に盛った米の上に乗せた。崩した黄身に醤油を落として混ぜながら食べ、丼を空にするとその場で新聞を読んだ。そうして皿を洗い、蕎麦茶ではなく緑茶を持って室に帰ったのが九時半過ぎだっただろう。前日の新聞をひらいたが、特に写したい記事もなかったので、Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraをひらいた。一〇ページ分、語彙の復習をしてから前線を進めるのだが、英語の読書に関しても神経症的な気質が働くのか、意味の予測が付くものであれいままで見かける機会のなかったものや、あるいは既に知ってはいても定着が不十分で自信のないものなど、気に掛かった語は段落ごとに線を引いて調べなくては気が済まないので、まったくもってなめくじが這うかのような進行で、たかが六ページ読んだだけで既に一一時である。とはいえ、英語の学習に関しては、特にこの性質で困るでもないだろうと見ている。進むのは一日でせいぜい三ページでも構わない、むしろ文中のちょっとした空白もつぶさに埋めたがるこの気質を武器として辞書を何度も繰り返し引きまくることこそが、異国の語を身に染みこませていくのに益するだろうと、真偽は定かでないが半ば開き直っているわけだ。ともかく最低限、なるべく毎日触れてさえいればそれでいいのだ。そうしてこの日の英語の時間を終えたあとは、ポルノを閲覧しながら性欲を解消して、その後もインターネットをうろうろして時間を潰した。一時前になると部屋を出て階段を上がり、そろそろ洗濯物を取りこむ頃合いだが、先に腹を満たすことにした。レトルトの、そぼろ牛肉と椎茸か何かのキノコの混ぜ物を米に掛け、あとは即席の味噌汁だけの簡易な食事である。それを食べ終えた頃に両親が帰宅して、入ってきた黒衣の母親が雨が降ってきたと言ってベランダのタオルを室内に入れた。皿を洗ってタオルを畳むと一旦室に下りて服を着替えてきて、iPodをシャツの袷にセットしてAntonio Sanchez『Migration』を聞きながらアイロン掛けをした。両親はそれぞれソファと仏間に位置して、うとうとしながら疲れを癒やしている。アイロン掛けを済ませると下階に行って歯を磨き、その後ベッドに仰向いてレヴィ=ストロース川田順造訳『悲しき熱帯Ⅱ』を少し読んでから、荷物をまとめた。そうして外出前の瞑想をしたのが、二時二六分から三四分までである。さすがに眠気が湧いて頭が重くなるようだったが、目をひらくと振り払って立ち、上に行って畳の上に転がっている母親に挨拶して出発した。空は曇り、身を包みこむ風のなかにそれほどの湿り気も含まれていないようで、心地がよい。街道に出るとAntonio Sanchez『Migration』の続きを流し、裏通りを行った。そのうち、後ろから来た自転車の顔が振り向いたと思うと、この四月から高校生の元生徒である。中学時代とまったく同じ服装をして、少し先を緩く行きながら、明日テスト、と言う。横断歩道に捕まって一人こちらに残りながら、対岸の相手に高校はどうかと尋ねると、きついと、まるできつくはなさそうにあっけらかんと残して、去っていった。それからまた道を行って駅に入り、電車が出る直前だったが急ぐのが面倒なので見送って、ホームに出て次のものを待った。駅前には自転車を伴った軽装の集団が、何だか知らないがわさわさと溜まっている。来たのに乗ってしばらく目を閉じ、あけると向かいにアスリート姿の男がいて、扉際に大きな袋に収めた自転車を立てかけていた。また瞑目して到着を待っていると、眠気が寄ってきて頭に乗る。乗り過ごすまいと意識を強く保って、着くと降りて、図書館に向かった。入ると階を上がって、窓際に出たが、予想通りに席はない。ちょっと移動して書架のあいだに戻ると、意図したわけではないがちょうど民俗学の区域だったのでちょっと眺めた。インディアン関連の本は少ないが、世界の民話がずらりと並んでいるのに惹かれる。川田順造が一冊、レヴィ=ストロースみすず書房の『はるかなる視線』二巻と、これはひどく以前、多分大学を休学している頃――だとすると六年前だが――に一度読んで、「私は社会というものは必要悪だと考えています」とか何とかレヴィ=ストロースが述べていたのを覚えているが、平凡社ライブラリーから出ている日本に来た時の講演集があった。それらを確認してからフロアを引き返し、階を下りて外に出て、ハンバーガーショップに向かった。入るとバナナ味のシェーキを頼んで席に就き、コンピューターを出してDred Rooster feat. Babi Floyd『One Blood』を流しはじめたのが、四時付近だった。そうして書き物に掛かって、何だか知らないが手が遅くて前日の分を仕上げたのが五時一五分、そこからやはり一時間使ってこの日の分も現在時刻に追いつかせた。Drew Gress『Heyday』が終わりに近づいていた。最後まで流してから、Duke Ellington『Ellington At Newport』を繋げて、レヴィ=ストロース川田順造訳『悲しき熱帯Ⅱ』を読みはじめたが、尻も疲れるし、ちょっと読んだだけですぐに帰ることにした。六時四〇分である。カウンターの店員二人に会釈しながら退店し、CDを小脇に抱えながら駅通路を歩いた。壁の上方の小さな窓から見える西空が、かすかな青みをはらんでまるで乳のように煙っている。歩廊に出て、地上の空気にも青さが薄く混ぜこまれはじめているな、と空中を見ていると、通路の真ん中で何の支えもなく立っている身体が不安気になって、目が回りだすような予兆が感じられて止まったが、予兆だけで済んだ。図書館に入って、返し忘れていたCDを返却したあと、コンビニに行った。卵を買ってきてくれと母親からメールが入っていたのだ。ガムのボトルを掴んで棚のあいだを行くと、甘味の一画が目について、世間では父の日とか何とか言っているしたまには何か甘い物でも買っていくかと思った。籠を取ってからふたたび棚の前に来て、ケーキがないなと見分しているとモンブランを発見したので、ちょうど三つを籠に入れた。そのほか頼まれた卵や、酒のつまみにとあたりめとさきいか、また自分用にポテトチップスも加えてレジへ行った。若い男性店員は商品の値段を機械に読み取らせながら、思案気に何かつぶやいて、大きなビニール袋を取りだすと、ケーキを倒さないようにゆっくりと丁寧に品を袋のなかに秩序立てていった。そうして、お気をつけてお持ちくださいと言ってくるので、例を言って会計し、威勢よく釣りを差しだしてくるのにまた礼を言って退店した。駅に入ると、Antonio Sanchez『Migration』を聞きはじめ、扉際で電車に揺られて、乗り換えるとアルバム最後の、Pat MethenyとSanchezのデュオである "Solar" が始まった。最寄りで降りて階段通路を抜けたあたりでちょうど音楽が終わったので、イヤフォンを外して袋を片手に提げながら帰路をたどった。帰って居間に入るとテーブルの上に袋を置いて、ケーキを買ってきたと取りだし、つまみも卓上に置いておき、卵やケーキを冷蔵庫に収めた。そうして部屋にくだり、肌着姿になると、Bill Evans Trioの "Solar" を聞きたかったので、一九六一年六月二五日のライブから再生し、椅子に座って唸りながら聞いた。続けて "All of You (take1)" も掛けて聞いたあと、Scott LaFaroというベースはやはり馬鹿げているなとyoutubeを検索すると、いままでこの伝説的なトリオのライブ音源は一九六一年のそれしかないと思っていたのだが、一九六〇年にBirdlandでやった時のものが存在していることを知った。それをちょっと聞いて、そのうち入手することに決めてから、ブラウザを閉じて運動をした。腕と腹の筋肉を少し動かして、息が整うのを待ってから一〇分間瞑想し、食事に行った。鶏肉やら大根の煮物やらをおかずにして飯を食い、買ってきたモンブランも食べてから風呂に行った。翌日人と会うので髭を剃って出て、蕎麦茶とポテトチップスを持って室に帰った。茶とともにスナック菓子を腹に入れながらコンピューターの前で時間を過ごして、その後隣室でギターを弄った。そうして、ロラン・バルト石井洋二郎訳『小説の準備』の書き抜きもいい加減やらなければならないなと、一日一箇所のペースでやっていくことを決めて、俳句を俳句として生き生きしたものたらしめる同時存在=並列の原理について述べたこの日の箇所を写し、そうして読書に入った。歯を磨いたあとにベッドに転がってレヴィ=ストロース『悲しき熱帯Ⅱ』を読んでいたが、すぐに眠気が泡のように湧きはじめた。本を持ったまま目を閉じて何度かまどろんでいるうちに、眠りに落ち切らないままにその重さを拭うことに成功したので、それからはひたすら読書を続けた。一時を回ったところで一度瞑想を挟んだ。その頃には雨が降りはじめており、目をつぶっているあいだに窓外の空間を厚く満たして、直線的に草を踏む無数の足音を立てたが、しばらくすると止まった。読書は三時前まで続けた。三時が近くなった頃合いには例の摩擦的な鳥の声がしていたが、調べたところではこれは夜鷹というものらしい。その鳴き声を聞きながらふたたび瞑想し、水を飲んでから消灯した。



 同時存在

統辞的にいえば、俳句は二つの要素の同時存在[﹅4] co-présence の上に構築されている(同時存在[﹅4] : いかなる因果的な、さらには論理的な繋がりも示さない語、cf. ジョン・ケージ : 茸[﹅] mushroom と音楽[﹅2] music) → 俳句とは並行戦術的[﹅5]なエクリチュールである。――ここで言語表現の18世紀主義的神話がふたたび見出されることに注意 : cf. ヴィーコと詩的なものの先行性 ; コンディヤック : 可感的なイメージだけで語る、したがって接続詞[﹅3](抽象的要素)のない[﹅3]原初の言語表現=連結辞省略(あるいは並列)の状態。

例として、一句 :

(48)    葉むらの蔭の
       黒猫の目が
       金色に、獰猛に
       (川端茅舎、コヨー版)
       〔緑蔭に黒猫の目のかつと金〕

この句では同時存在がうまくいっていない。最初の用語(葉むら[﹅3])が生彩を欠(end132)き、凡庸である(そして特に、状況補語になってしまっている)からだ → 心的な起動装置[﹅4]、悟り、「本質的な刺し傷」、恍惚状態といったものが生まれない → 別の言い方もできる : 微弱な要素は描写[﹅2]の付属物である ; しかるに俳句とは描写的なものではない : それは〔描写の〕彼方に、心的経験の領域にある(つまり写真[﹅2]であり、絵画ではない)。上の句は伝統的な小説の描写であっても構わないだろう : 「Xは森の中へと進み、茂みの中で猫の金色で獰猛な目が輝くのを見た」 → 次に挙げる別の句(資料には載っていないが)は、俳句が描写にとどまり、同時存在 - 震撼[スクース]を避けてしまうと、俳句としての存在を十分に達成できないことをよく示している(たとえ描写としては成功していても) :

       鶯の声
       滑らかで
       円く、長い
       (トーコー、コヨ―版)
       〔原句未詳〕

かなり微妙な言い方になるが、こんなふうに言ってみれば理解できるように思う : ここには言語表現上の「これだ!」(よくできた鶯の声の描写――もっとも、今日でも鶯の声はよく聞かれるものなのだろうか?)はあるが、心的な「これだ」(悟り)はない。
これにたいして、以下に挙げる二句は同時存在がはっきり現れている良い例である :

(49)    記憶のない存在たち
       新雪
       はねるリスたち
       (中村草田男、コヨー版)
       〔記憶を持たざるもの新雪と跳ぶ栗鼠と〕(end133)

記憶のないことと雪とが――ちょっとした軽さの粒子、軽さの特徴[トレ]によって――瞬間的に(しかしながら分離されたままで[﹅8]、論理ぬきで)繋がれているではないか? (非常に精妙なカクテルのようなものだ : アレクサンドラではない! むしろムッシュー・ブフのギモーヴ入りシャンペンだ!)(……)

(50)    鳥が鳴いた
       赤い木の実が
       地面に落ちた
       (正岡子規、ミュニエ版)
       〔鳥啼いて赤き木の実をこぼしけり〕

ここでは、並列(同時存在)が二つの動きに作用している : 歌う/落ちる → 純粋な同時存在だ、なぜなら二つの動きのあいだにはいかなる繋がりもないから。(フランス語では、単純過去――偽の無限定過去――が落下と歌の開始の点的なアスペクトを強調していることに注意 : 時間的な価値ではなく、アスペクト的な価値である : 驚きの感覚)。
最後に、これほど厳密ではない同時存在の例をひとつ。あまり厳密ではないというのは、ある状態とある事行[プロセ]を並置しているからだ : (end134)

(51)    病みあがり
       私の目は疲れてしまった
       薔薇を見ることに
       (正岡子規
       〔薔薇を見る眼の草臥[くたびれ]や病ミ上り〕

これが俳句のひとつの限界であることは言うまでもない : これはもっと「心理的」な何かへ、悟りよりも、ある魂の状態[エタ・ダーム]に近い何かへと向かっている : 日本的というよりはペルシャ的[﹅5]であり、アジア的というよりはインド・ヨーロッパ的――西洋的、小説的である。
 (ロラン・バルト石井洋二郎訳『ロラン・バルト講義集成3 コレージュ・ド・フランス講義 1978-1979年度と1979-1980年度 小説の準備』筑摩書房、二〇〇六年、132~135; 「同時存在」; 1979/2/17)