2016/6/23, Thu.

 早い時間からたびたび目を覚ました記憶がある。最初はおそらく、六時あたりだったのではないか。起床は結局一〇時以降になったが、それまでに夢を二つ見た。早い時間に見た一つは、時刻は深夜らしい裏通りの途中でポルノを見ているというものだったが、そのうちに知らない男がやってきて何らかのやりとりをしたようである。覚めた瞬間に、夢のなかでポルノを閲覧していたから、また夢精してやしないだろうなと恐れて股間をまさぐったが、何も出ていないので安心してふたたび寝付いた。二つ目の夢は過去の意中の女と一緒に、高校だか中学だか学校のなかをうろつく類のもので、わりと幸福な夢だったような気がする。覚醒を確かなものにできないまま一〇時を過ぎて、一〇時一〇分に布団を剝いだ。身体の各所が痺れるように固まって、重かった。少しごろごろしてから身体を起こし、ちょうど一〇時半から瞑想をした。深夜に聞こえる夜鷹の声とどうやら同じものが、雨降りの空気のなかに膨らんでいた。九分座ってから上に行くと、母親は美容院に行ったらしく書き置きがあった。前夜の残り物を用意してテーブルに就き、新聞をめくって、参院選の候補者名を確認しながらものを食べた。その後携帯でウェブを回ってから食器を洗い、風呂掃除をしたあと、米がなくなっていたので新しく研いでセットしておいた。そうして蕎麦茶を持って室に下りたのが正午過ぎである。各種記録を付けてから前日の新聞記事を一つ写し、さらに外出を待たずに書き物を始めた。この日は労働が三時限で長い。都合よく母親は不在なので、そのあいだにさっと綴ってしまって少しでも時間を確保し、ベッドの上で読書をしてから出るつもりだった。Eagles『Desperado』、そして『Hotel California』を続けて掛けながら打鍵し、一時一〇分にはこの日の分まで切りを付けることができた。そうして、寝転がってレヴィ=ストロース川田順造訳『悲しき熱帯Ⅱ』を読みはじめた。既に雨は消えており、空の高みでは雨後の風が舞っているらしく、天蓋の表面では雲が素早く滑り流れていき、青さが所々に覗いた。横になった姿勢のままで本を読み続けている途中に視界がわずかに明るさを増したのは、窓枠を越えてガラスの端を侵食する雲に、薄光がはらまれているかららしい。上半身を起こして窓外の空気の明度を確認して、まもなく部屋を出た。二時半を過ぎた頃合いだった。三時半過ぎには出なくてはならなかった。悠長に食事を作っている暇もないし、面倒でもあるので、例によってカップ蕎麦を戸棚から取って、湯を注いだ。そうして時間が来ると蓋をひらき、褐色の汁が紙に跳ね移らないように、本を持った左腕を前に伸ばして注意しながら、文字を追いつつ麺を啜った。汁も飲み終えると、既に三時を越えてそう猶予もなかったが、自室から急須と湯呑みを運んできて、余裕綽々で茶を二杯分と半くらい用意し、ページを見つめながら食後の一服をした。さすがに急がなくてはならなかったので、熱い茶がちょうどいい温度になるのを待たずにちびちびと啜って、飲み干すと非常に腹が張っていた。室に帰って適当に歯を磨いたあと、服を着替え、この日も手ぶらで行くことにして財布やら携帯やらとiPodだけを身に装着し、部屋を出ると便所に入って腸内を軽くした。そうして出発、三時四〇分だった。その頃には雲も勢力を減じて空が露出し、上り坂を抜けるとまだ丘まで距離のある太陽が、意気揚々と膨張して輝いている。街道には陰が少なく、民家の足もとから切れ端が湧いているのみで、まだ橙色の薄い液体性の陽射しに包みこまれながら進んだ。対岸に渡るとBill Evans Trioを流しはじめ、そして母親の懸賞葉書を投函して入った裏通りにも、逃げ場はない。高校生たちが道に広がって、シャツをぱたぱたとやりながら気怠そうに歩いているなかを、こちらはちょっと遅く出たので、きびきびとした歩調でやや急いだ。紫陽花が到るところで、紙風船のように丸々と太っていた。ちょうどいいくらいに着いて、職場に入ると即座に働きはじめた。そうして九時半前まで過ごしたが、退勤して外に出ると、非常に早く時間が過ぎたなという感触があった。夜道を行きながら、時刻は既に一〇時も近くなっているのだが、まるでそんな気がしない、まだせいぜい八時くらいのようだと感じた。調子よく働けたという実感があり、なおかつ気力が衰えるどころかまだまだ満ちているようで、手をポケットに入れもせず自然に振って、背すじを伸ばして大股気味に、かつかつと歩いていた。帰宅するとしかし、室内に湿気が籠って蒸し暑く、萎えるような気分になった。室に帰って下着姿になって、一〇時一〇分から七分間、瞑想をした。そして上階に行き、甘酸っぱい唐揚げをおかずにして米を食べた。シーチキンを乗せた生の刻みキャベツや、汁物やらも食ってだらだらしていると、一一時からのニュースが始まって、目黒区の碑文谷公園でバラバラ死体が見つかったという知らせが伝えられた。バラバラ死体という不穏な言葉の語感に思わず、恐ろしいと口に出しそうになったのだが、それは感情を反映していない単なる反射のようなものであり、実際には恐ろしさなど砂糖の一粒ほども感じてはいないのだ。母親がよくそういう言葉遣いをするのが率直に言って嫌いなのだが、自分も危うく同じ振舞いをしそうになったことにすんでで気づいて口をつぐみ、黙って報を追った。皿を洗ってからも、立ったまま少しニュースを眺めたあと、風呂に行った。浸かったあとに頭を洗って、さらに身体をたわしで擦り、冷水を浴びて再度浸かってからまた肌を擦って、腕から胸から腹回りまでを赤くしてから上がった。一一時半頃だった。蕎麦茶と夕刊を持って室に帰り、新聞をひらくと、音楽欄の上部にMichael Schenkerが大きく取りあげられて、ライブ盤を出したと伝えられていた。まだ現役でやっていたのかと、失礼ながら少々の呆れのような感情も含ませながら思った。しかし中高時代には、一枚目、二枚目、四枚目とライブ盤くらいだが、それなりにMichael Schenker Groupを聞いて、 "Armed And Ready" や "Into The Arena" なども練習した身である。六〇を超えたらしいが、歳の割に若々しげな笑みを浮かべた顔を見ると、懐かしくもなる。それで、辛うじてライブラリに入っていたファーストアルバム、『Michael Schenker Group』を流しながら、Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraに触れた。当時は格好良いと思って聞いていたはずのこの音楽も、暑苦しいボーカルにせよ、ぺたりと平板に潰された古臭い音像にせよ、いまや見事と言うほかない素晴らしき芋臭さを醸して耳に触れる。 "Armed And Ready" のサビの、C、D、E、とパワーコードを用いてトニックに回帰する、ロックやポップスには定番の、ずんずんと行進するがごとき展開など、凄まじく絶妙なだささをはらんで聞こえたが、今回聞いた個人的な印象からするとMichael Schenker Groupのだささは、Dokkenのやるヘヴィメタルに感じるだささと通ずるものである。しかし、彼らのやる音楽は、これでいいのだ。それで零時半頃まで辞書を繰りながら英文を読んで、それからはベッドに転がって『悲しき熱帯Ⅱ』を読んだ。一時半まで読んだところで、残りもわずかだったのだからそのまま楽な姿勢ですべて読んでしまえばいいものを、怠惰の虫が疼いてわざわざ寝床から立ちあがってインターネットに繰りだし、そうして夜鷹がいつも一匹で鳴きだす三時である。それからまた読書をして、本編の最後まで届かずに三時半を迎えたので、そろそろ眠ろうと枕に腰を据え、一〇分間の瞑想をしてから消灯した。