2016/6/24, Fri.

 初めに目を覚ました時には、まだ七時にも成りきっていない朝方だった。睡眠時間は三時間強である。再度目をつぶったが、閉ざされた視界のなかの意識が妙にはっきりしており、身体も軽い感じがあったので、いっそのこともう起きてしまうかと傾いた。それで実際、寝床を抜けて洗面所に行き、顔を洗ったり用を足したりして戻ってきてから、瞑想をした。六時五九分から七時一三分まで、そのあいだにも意識は明瞭に保たれていたはずで、水面下に姿を隠して残っていた眠気の欠片が浮かびあがってくるようなこともなかったと思う。それで、前夜に少々残して中断した、レヴィ=ストロース川田順造訳『悲しき熱帯Ⅱ』を早々に読み終えてしまうことにした。ベッドにまた寝転びながら、本編はすぐに読み終えて、それから川田順造の手になる年譜と参考文献紹介も目を通して、読了した。正確に何年の時か忘れてしまったが、年譜によればレヴィ=ストロースがもう九〇代に入って以降に転んで大腿骨を折ったことがあったが、二か月程度で回復して、そのあとも杖の頼りもいらずに自宅から三〇分ほどの場所にある研究室まで、徒歩と地下鉄で通って仕事を続けたというから、凄まじい精力である。この知の巨人の仕事ぶりには多大な興味を覚えたのだが、このようにして読まなければならない書物がまた増えていくわけだ。『悲しき熱帯Ⅱ』を読み終えた頃には八時半を過ぎていたと思うが、次に明治書院から出ている『和歌文学大系25 竹乃里歌』を取った。正岡子規の歌集である。そうしてそれを読んでいたところが、次第に遅れ馳せの眠気の群れが続々と到着してきて、指をページのあいだに差しこんだままに枕に頬を乗せて短いまどろみを繰り返すようになり、やがて本を離して力尽きた。そして、一一時半を迎えた。二度目の睡眠は九時からと考えて二時間半、一度目と合わせても五時間四〇分なので、それほど長くもないが、この日の労働が早番であることもあって、随分と時間を無駄にしてしまった感があった。起きて上階に行き、多分食事より先に風呂を洗ったのだと思う。食事は何だったのか、覚えていないし、天気の様子も定かに覚えていないが、おそらく曇天だったはずだ。それでものを食って、新聞を読んでいると、健康診断だったという父親が正午過ぎに帰ってきて、飯を食いはじめたが、やはり何を食べていたのか思いだせない。しかし、カウンターの向こうに立っていた母親が、キャベツの味噌汁を飲んでくれと勧めてきて、椀を受け取って食後に追加して飲んだ記憶はある。それで皿を洗い、一二時半頃に部屋に戻って、Earth, Wind & Fire『Gratitude』を掛けて、前日の新聞を写しはじめた。この時、部屋のなかがまるで既に夕暮れであるかのように薄暗く、陰が背後から湧いて宙を漂うようで、文字を見るのにも新聞を顔に近づけなければならなかったので、やはり天気は曇り、それも灰の色味が強いほうの曇天だったのだ。記事の写し自体はそう時間も掛からず、一時頃には仕舞えたはずだが、それから家を出た二時過ぎまでのあいだに何をしていたのか定かでない。おそらくはインターネットを回ったり、歯磨きをしながら『竹乃里歌』をちょっと読んだり、あるいはここでもこの日の新聞を読んだのかもしれない。腕立て伏せを軽くやってから仕事着に服を替えて、上に行ったのが二時過ぎだった。さっさと出ようと靴を履いていると母親が、いらない本類を売りに出す時のために車に運んでほしいと呼び止めてきた。兄が元祖父母の部屋に集めたなかから、不要として段ボール箱のなかに分けておいた分をいくつか、袋に移したらしい。母親が重そうに持ってきた二袋のそれらを、玄関の台に腰掛けながら少し見分して、まあいらないだろうと決定してから持ち、駐車場の車に運んで、後部座席の裏側に収めた。そうして出発、雨が来そうだったので傘を持って歩きはじめたのが、二時二〇分頃だった。Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』をディスク二の途中、確か "Waltz for Debby (take1)" から聞きだして、街道から裏通りに入り、途中で実際にぽつぽつ来たので、傘をひらいて駅まで行った。駅前に入って向こうに覗く、職場の建物正面を見やれば、室内に明かりが点いていないようで、どうもまだ閉じているらしく見える。ロータリーを回って、駅舎脇のポストに母親の懸賞葉書を投函し、職場のほうに行ったが実際、格子型のシャッターが閉まったままだった。珍しいなと思って、何かしらの不測の事態の発生を一度は疑ったが、多分そんなことでもないだろうと素通りして、喫茶店に行くことにした。店に入ると窓のほうで、老齢を迎えた男女たちが集まって賑やかに歓談している。こちらは奥の壁際に就いて、コンピューターを取りだした。煙いような女性の声で、 "Lover Come Back To Me" が歌われていた。やってきた店主にアイスココアを注文して、品が届くと、Earth, Wind & Fire『Gratitude』をまた流して、書き物を始めた。三時過ぎだった。時間は一時間ほどしかなかったのだが、特に急ぐでもなくゆったりと文を画面上に落としていった。途中、非常にどうでもよいような、瑣末でマニアックなようなことなのだが、 "Shining Star" という曲の半ばに入っているコーラスの旋律に引っ掛かりを覚えて、記憶の刺激される感覚を探ってすぐに、Jamiroquaiの "Cosmic Woman" の中途、 "sends me into hyperspace, when I see her pretty face" という繰り返しのフレーズとほとんど同じものだと気づいた。おそらく元ネタなのだろう。そうして打鍵を進めて四時を迎えたが、前夜久しぶりに耳にしたMichael Schenker Groupの垢抜けなさについて書いている途中で、中断しなければならなくなった。荷物を片付けて会計を済ませ、店を出ると雨が強まっていたので傘をひらいた。植えこみのなかの紫陽花が、石鹸の泡を集めたように膨らんでいるのを横目に通って職場に行き、労働した。退勤は八時頃である。横断歩道を渡りながら自分の身体に注意を向けてみると、前日とは打って変わって疲労が凝っており、腰回りが重く、尾骶骨も痛むようだった。そうするとポケットにも手が入って、脚もあまり伸びずに一歩を踏んでいく。ベストを着ていてもちょうどいい、湿り気が馴染むような涼夜だった。途中で音楽を聞こうと立ち止まり、iPodとイヤフォンを装着して、Bill Evans Trioを流した。ディスク二の終盤、 "My Romance (take2)" からである。足音が聞こえないほどの音量を耳に満たして裏通りを進み、夜道に大した情報もないので音楽に非常に集中でき、旋律を口ずさみたい気分になりながらも脳内に留めた。街道に出て通りを渡るところでディスク三に移行させて、残りの道を行った。家に着くころにはやはり汗をかいていて、室内が蒸し暑い。自室に帰ってさっさと服を脱ぎ、下着姿になると、何かの鬱憤を晴らすがごとくに歌を歌った。それからベッドの上に仰向いて、Bill Evans Trioの "All of You (take1)" を、結構な音量でスピーカーから吐きださせ、室内に満ちるその音を浴びた。その頃にはもう九時に成りかけていた。上階に行って、潰したジャガイモをハムで巻いて焼いた料理をおかずに米を食い、食後ややだらだらとしているうちに父親が帰宅して、先に風呂に入ると言うので、こちらは皿を片付けて室に帰った。Earth, Wind & Fireの、今度は『Spirit』を流し、蕎麦茶を飲みながらまず、ロラン・バルト石井洋二郎訳『小説の準備』から、今回の部分は短かったので二箇所書き抜きをした。その後、参院選の情報をインターネットで少し集めてから、風呂に入るために部屋を出た。例によってごしごしと、腹回りを何度もたわしで擦ってから出て、居間に入ると両親が見ているテレビに、七二時間密着ドキュメンタリーが流れている。これはついこのあいだも目にしなかったかと思いだして、そうかまた一週間が過ぎてしまったのかと信じられないように思った。そうして、もう一度蕎麦茶を用意して室に帰り、せめて前日の分は済ませようと書き物を始めた。Earth, Wind & Fireが終わると、Dr. Feelgood『Down By The Jetty』を流してキーボードを打ち、一一時五〇分頃、投稿した。この日の分は翌日のおのれに任せればよかろうと手を付けず、Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraをひらいたのだが、耳もとに流れる "Bonie Moronie" に引っ掛かった。自分がいままで最も触れてきたこの曲の演奏と言えばJohnny Winterのそれなのだが、確かJohn Lennonも、随分前に売ってしまったが、『Rock 'N' Roll』でやっていたなと思いだして、youtubeを漁りはじめた。それで "Bonie Moronie" のあとには "Be-Bop-A-Lula" も聞いたり、そこからPaul McCartneyRingo Starrの最近の映像に飛んだり、さらにStray Catsに飛んでBrian Setzerがギターを弾いているのを見たりして時間を使い、英文に戻ってくる頃には結構時間が経っていた。その後一時二〇分まで洋書を読み、それからベッドに移ったはいいが、またもや携帯電話でウェブを回ってだらだらと過ごしてしまい、二時半頃からようやく『竹乃里歌』を読みはじめた。しかし、もうだいぶ遅い時間のせいで、意識にぷつぷつと穴が開くようにたびたびの眠気の高潮にやられて、読書は散漫だった。三時半頃になると一度洗面所に立ち、用を足して水を飲んでから、瞑想も怠けて布団に入り、明かりを消した。



文学のレベル=メモ書きの水準 : メモするためにはどこまで降りていくことができるのか? 私たちはそれを俳句について見てきたが、それはきわめて微小なところまで降りていく。――だが注意すべし : 微小なものの把捉は、かならずしも短い形式に結びついているわけではない → 分割の(分割可能性の)力を説明するには、時として多くの言語表現を必要とすることがある。
プルーストヴァレリー : 「他の作家たちが飛び越えることを慣わしとしてき(end160)たことを、プルーストは分割する――そして際限なく分割できるのだという感覚を私たちに与える」 → プルーストの知覚過剰 : これは彼の感覚過敏(嗅覚)と記憶過剰から来ている → 逆説的なことだが、分割するためには、彼は拡大し[﹅3]、増殖させなければならない : 微小なものの経験は、大きなものの経験でもある。増大化であって、矮小化ではない : イリエの小ささ、コンブレーの広大さ。イリエ、庭 : 雨の中ではとても散歩などできたものではなかった。「雨の中での祖母の散歩」とメモ書きするところまで「降りて」いくには、庭を拡大してやらなければならなかったのだ。
メモ書きが際限なく次から次へと湧いてくると、時間の流れが変形される。ボードレール、ハシッシュを吸った主体 : 「というのも、時間と存在との釣合いが、感覚活動[サンサシオン]および観念の数の多さと強烈さによって、すっかり混乱させられているからだ。一時間のあいだに何人もの人間の生を生きる、とでも言おうか。その時あなたは、書かれる代わりに生きているような一篇の幻想的小説に似たものでありはすまいか?」
 (ロラン・バルト石井洋二郎訳『ロラン・バルト講義集成3 コレージュ・ド・フランス講義 1978-1979年度と1979-1980年度 小説の準備』筑摩書房、二〇〇六年、160~161; 「結論」; 「移行」; 2) メモ書きの水準; 1979/3/3)

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より「技術的」には、メモ書き(短い形式としての)を、要約できないもの[﹅8]として定義することもできるだろう → この基準が純粋に「通念的」であることは言うまでもない。というのも、あるテクストが要約可能であると考えること、つまりそのテクストが本質的な内容の核をもっていて、それが快適な、しかし本質的ではない形式を満たしているのだと考えることは、すでにそのテクスト(長いものであれ短いものであれ)にたいしてあるイデオロギー的な立場をとることであるからだ ; 「イデオロギー」という言葉を使ってもかまうまい、というのも要約[﹅2]というのは、文章の縮約[﹅5]という婉曲な言い方で、技術系の大学における教育の武器となっているからだ(「表現技術」といった科目)。いずれにせよ、俳句(メモ書き)は圧縮できない。要約にたいする抵抗が、現代のテクスト(たとえば『天国』)の特徴でもあることに注意 → 要約[﹅2]とは、(社会的)統合[﹅2]の度合いを試す非常にいいテストである。
 (167; 「結論」; 「移行」; 2) メモ書きの水準; 1979/3/10)