2016/6/25, Sat.

 ひらいた窓から漂ってくるひんやりとした空気のなか、下着姿で布団に包まれて一一時を迎えた。三時四〇分からとして計算してみると、睡眠時間は七時間二〇分とそこまでの寝坊でもないが、身体が凝って仕方がないので、やはりもう少し早く眠らなくては駄目だなと思った。意識が完全にはっきりしたのは一一時一五分、それから布団を剝いで少しもぞもぞと身体を動かしたあと、枕元の村尾誠一著『和歌文学大系25 竹乃里歌』を取って、ちょっと読んだ。そうして立ちあがり、洗面所で顔を洗ってきてから、瞑想である。朝の、と言っても既に正午前だが、日中の空気というものはどうしてあれほど賑やかで、動きに満ちているのだろうか。昼も夜も変わらずに流れ続けているはずの川の音さえも、昼間は波が足もとに寄ってくるようにより近く感じられ、しかし夜には静けさのなかで遠くに引き籠っているように響くものだ。瞑想は一一時四五分から五五分、済ませると上階に行った。ソファでタブレットをいじっている母親に挨拶し、先に風呂をなおざりに洗って、それからフライパンの焼きそばを皿に盛った。父親は自治会の仕事か何かで出掛けているらしい。新聞一面には英国のEU離脱が大きく伝えられていた。飯を食うと例によって、バラエティ番組を眺めながらだらだらとしてしまい、皿を洗ってシャツにアイロンを掛け、室に下りたのがようやく一時半頃ではなかったか。それから蕎麦茶を飲みつつインターネットを覗いて、前日の新聞からの記事写しに掛かったのが二時である。音楽はEddie Roberts『Roughneck: Live In Paris』を流した。北朝鮮のミサイル関連の記事と、ガルシア=マルケスの故郷コロンビアで政府と革命軍が和解したという記事を写すと、既に二時四〇分頃だった。それから歯を磨くと、今度はこの日の新聞を、上半身裸でベッドに転がって読んだ。そして腕立て伏せをしてから上階に行き、制汗剤ペーパーで身体を拭いて戻ってきて、仕事着に着替えた。ベストは身につけず、ワイシャツに黒と灰で分かれたネクタイを締めると、荷物をまとめて上階に行った。三時を回った頃合いである。母親が暑さに喘ぐような高い声を上げながら外から入ってきて、またすぐに出ていき、父親も一緒になって家の前で、近所の人と話している声が聞こえてきた。用を足してからリュックサックを背負って玄関を出、父親と目を合わせて、行ってくるという意味のうなずきを交わしてから、周りの人にこんにちはと挨拶して、歩きはじめた。つい先ほどまで曇っていたはずであり、実際空には毛布のように襞の付いた雲が、それほどの隙間もなく敷かれているのに、西の方角は晴れているようで、坂を抜けると路上は明るく染まって、熱線が頭の横に送られてきた。街道に出ると、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』を、 "Waltz for Debby (take2)" から聞きはじめた。裏通りに入ってからも音楽に耳を向けながら進んで、駅に入るとちょうど電車が出ていった。ホームに出ると駅員室の壁にもたれて、"All of You (take3)" を集中して聞き、電車が来ると席に就いた。脚を組んで "Jade Visions" が二テイク続けて流れるあいだ、眠気に苛まれていつの間にか首が垂れて、夢未満のイメージの回転が脳内に訪れた。アルバムが終わるとその次の、Blankey Jet Cityのベスト盤に移して、瞑目して到着を待ち、降りると図書館に向かった。入ってCD棚にちょっと寄り、変わりがないのを確認してからフロアを上がって、窓際に出たが当然席は埋まっている。通路をたどって明治書院の和歌文学大系を数巻手に取り、それからさらに奥に行って小学館の古典文学全集も確認してから、道を戻った。退館し、駅の反対側に歩いていき、ハンバーガーショップに入った。カウンターの前に一人いる後ろで待ち、前の人が去ったので前に出ると、例の快活でよく通る声の店員が、いつもありがとうございますと綺麗に頭を下げた。ジンジャーエールを頼むと、髪、とても短くされたんですねと頭に触れられて、素敵です、と世辞が続いたので、ありがとうございますと笑いながら顔をうつむかせた。相手が飲み物を背後から取って、容器にストローを通して渡してくる際にも、ちょっと何かしらの雑談をしたような気がするが、それについては覚えていない。カップを受け取って席に就くと、コンピューターを取りだし、ジンジャーエールを啜りながら他人のブログを読んで、そして書き物を始めた。四時四〇分頃だった。Eddie Robertsの続き、さらにEddie Thompson Trio『The Unforgettable 1982 Concert』と流して打鍵し、一時間が経ったあたりで、尿意を解消しに便所に立った。出るとちょうどカウンターが空いていたので、先の店員に注文よろしいですか、と声を掛けて、野菜ハンバーガーと鶏肉を頼んだ。この時少々雑談をして、これから仕事であるとか、塾講師をやっているとか、夕方からなのでいつも大体帰宅は一〇時になるとか、数学はあまり得意ではないとか、いつも店内でパソコンをかたかたやっているのは仕事とは関係がなくて趣味のようなものであるとか、そんなことを話した。得意科目は何なんですかと尋ねられて、そんなもの特にないのだが、英語が一番教えやすいですかねと答えると、称賛のような表情を見せてくれたあとに相手は、一つ聞きたいことがあるんですけどいいですか、と来る。肯定すると、最近外国人の方もよく来られるようになるんですけど、と言いながらメニューを指して、たこ焼きって英語でどう説明したらいいんですかね、と問うので、笑って、わからないですねと受けた。中学生に教えられるくらいのものなんで、と自分の英語力を言って、たこはいいけど、周りのあれを何て言ったらいいかわからないですよね、とか笑いながら話していると、もう一人の店員がハンバーガーと鶏肉をトレイの上に届けてきたので、そちらに向けて礼を言い、それでまたちょっと交わしてから、正面の相手にも礼を言って席に戻った。そしてハンバーガーを食っていると、先の人がお食事中失礼しますとやってきて、手に持った星形の紙を見せて言うには、七夕が近いからキャンペーンだか催しだかをやっているらしく、短冊にお願いを書いてほしいとのことである。ちゃんと奉納されますからと言うのに笑って受け取り、食事を取ったあと、ちょっと考えて、「健康を保ち、できるだけ長生きできるよう、望みます」と、与えられた三行のスペースをいっぱいに使って書いた。そうしてふたたび書き物に掛かり、前日の記事は六時一〇分に完成、この日のものを進め、終わりも近くなった頃にEdward Simon『La Bikina』に音楽を繋げて、それからまもなく、七時になると切りが付いた。職場の会議は七時四五分から、もはや何をやっている時間もないので、店を出ることにした。机上を片付けて、トレイを片手に持ちながらカウンターに行って、願いを記した星型の短冊を男性店員に渡した。それからダストボックスの上にトレイを置くと、そのままでいいと声が掛かったので、礼を言って退店した。駅に入って便所に行き、小便器の前に立ちながら左に首を向けて窓の外を見ると、一面の水っぽい青の色である。空は折り重なって筋を引いた雲で塞がれて、線路や町並みを越えた果ての壁には下端から上空とは別種の、紙のように立体感のない雲が立ちあがって山が生まれたようになっていたが、その左の裾は地に下らずに上下に広くひらいて空隙を占め、水平線と上空とのあいだを繋がんばかりだった。用を足してから室を出て、エスカレーターに乗りながらイヤフォンを付けてBlankey Jet Cityを聞きはじめたが、ホームに降りてからもこの青さは凄いな、と空を見てばかりだった。ほつれは諸所にあれど、どの方向に視線をやっても、くすんだ灰色混じりに濡れた青さの雲に遮られて、空が一挙に近くなったかのようであり、地上にも染みだして空気に吸いこまれたその色のなかで、居酒屋の照明のピンクの色が毒々しく映った。視界の広くを埋めて大陸じみた巨大な雲が浮かんでおり、落ちてこないのが不思議なほどに青さを含んでのしかかるようなそれは、自分の重さに難儀する亀に似てまったく動かないかのように見えるのだが、じっと見つめていると、無造作に引かれた端の線の位置がじわじわと、砂に水が浸食するようにして確かに進んでいるのが見て取れるのだ。ホームの黄線の際からそんな風に、顔を上げて眺めていると、視界の低みで動きがあって、見れば白い猫が、突如として線路の真ん中に現れていた。尾の先のほうだけが茶色く染まった猫は、レールを乗り越えて背の低い草むらも踏んで柵の前まで行ったが、それを越える気力はないようで、ちょこちょこと四つ足を動かしてちょっと歩くと、止まって体を搔きはじめた。既にあるかなしかの明るみも一刻ごとに落ちていく黄昏のなかで、その猫の白い体色だけがまだ浮かんで、一面の青さに吸収されず、それと対照を成しているようだった。猫はそのうちにまたちょこちょこと歩きだして柵沿いに右方に移動していき、そのうちに電車がやってきて見えなくなった。乗ると席で瞑目し、しばらく待ってから降りて駅を抜けると七時半、空はますます暗んでいたが、色味が失われていく間際でより濃く沈んだ青を保持していた。それで職場に行って、会議である。終えると、皆が残っているなかさっさと退出して、一〇時過ぎの夜道を行った。前々日のように気力が充実しているわけではないが、疲れもそれほどでなくて、脚は緩やかに伸びた。帰宅して居間に入ると、父親が台所に立っており、テレビのなかでは赤いストラトキャスターを持った茶髪の男が、The Beatlesの "You Won't See Me" を歌っていた。立ってそれをちょっと見て、一緒に口ずさんで、これは誰かと画面右上の小さな文字に目を寄せると、TRICERATOPS和田唱の文字があった。それから手を洗って室に帰り、下着一枚になった。そしてBill Evans Trioの "All of You (take1)" を聞こうと考えたのだが、どうせきちんと聞くならイヤフォンではなく、やはりヘッドフォンで聞きたいものだ。そのヘッドフォンは、元々金具が壊れたのをセロテープで補強して使っていたのが、だいぶ前に二度目の破損が訪れたので、以来放置していたのだった。それを再度補強することにして、持って上に行くと、今度は中年の男が "Yesterday" を歌っている。また一緒に口ずさみながら台所に立って、炊飯器の脇に置いてあるセロテープを長く取り、金具とスライド部分の接合部の上からぐるぐる巻いた。何度か巻いて大丈夫そうだと判断されたので室に帰り、先に裸で瞑想をした。目を開けると、既に一一時五分になっていた。それからヘッドフォンを付けて、 "All of You" を流し、椅子の上でじっと聞いたあとに、服を着て上階に行った。食事を取っているあいだ、父親はソファに就いて、歯を磨いたりしながらテレビに向けて独り言を言っていた。食べ終えると食器を片付けて風呂に行き、出た頃にはおそらく零時は越えていたはずだ。室に戻って、書き抜きを読み返すための何かうまい仕組みはないだろうかと考えて、それ用のブログでも作ってみるかとも思ったが、実際には取り掛からず、そのうちに村尾誠一著『和歌文学大系25 竹乃里歌』を読みはじめた。頭痛があった。職場を出た頃に芽が生えていたのだが、風呂に浸かってから、脳が膨張して頭蓋に押さえこまれているようなそれが激しくなっていた。それでも耐えながらベッドに寝転んで一時半まで読書をしたのち、一〇分間の瞑想をして、一時四五分過ぎに消灯である。