2016/6/29, Wed.

 突如として切り取られたように一瞬で目が覚め、アイマスクに全面を遮られた視界が見えた。外して時計を見やると一〇時二〇分、意識に混濁はなかったが、身体のほうが付いていかないようで、起きあがる気力が身に寄ってこず、動きを止めたままでいるうちに頭のほうもまどろんだ。しかし意識を失い切ることはなく、夢の芽生えのイメージのなかを通過して、一一時には晴明が訪れたので布団を剝いで、そのまま寝床でしばらく、村尾誠一著『和歌文学大系25 竹乃里歌』を読んだ。そして洗面所に行くと顔を洗い、用を足してから部屋に戻って、瞑想をした。一一時三五分から一一時四三分の八分を座り、それから上に行くと、母親は料理教室でこの日も不在である。前夜の残り物を冷蔵庫から出して、また麻婆モヤシ丼を作り、味噌汁とともに食した。食しながら、テーブルの上に読売新聞に加えて、なぜかこの日は朝日新聞までもがあった。契約の期間が重なってしまったのかもしれないが、ともかく両方を、特段見比べるでもないが順番にひらいて見出しや本文のところどころを大雑把に追った。そして立つと、まず皿を洗い、それから風呂も洗ったあとに、釜の米がもうなくなりかけていたので、僅かに残ったものは皿に取ってラップを掛けて冷蔵庫に入れておき、それから新しく四合を研いだ。いつでも炊けるように炊飯器に用意をしておいてから、蕎麦茶を持って室に帰った。インターネット各所を回ってから、新聞の記事の写しを始めたのがおそらく、一二時四五分頃である。BGMにFred Hersch Trio『Live at the Village Vanguard』を掛けて、イヤフォンで聞いた。打鍵をしながら、この新聞の写しというのもそこそこ時間が掛かるし、考えものだなと思った。新聞記事如きをいくら写したところで、政治や社会について大した知見が得られるわけでもないし、基本は読むのみにして、写すのは本当に気になったものだけで良いのかもしれない。そう思いながらも一応この日の分は、読売と朝日の両方からいくつか写して、すると既に一時過ぎ、椅子に座って『竹乃里歌』を読みながら、歯ブラシを動かした。曇天の、室内には薄暗さが浮いている日で、寝乱れた布団の襞の作るあちこちの谷間にも小さな陰の欠片が入りこんでいた。口をゆすいできてから私服に着替えると、外出の準備をする前に、インターネットで携帯電話会社のサイトに繋いで、製品や料金プランについて少し調べた。前夜、眠る前に携帯を灯すと、画面左上に見慣れないアイコンが出ており、本体の容量が低下しているとあったのだ。それでアプリケーションをいくつかアンインストールしたり、ブラウザのデータを消去した結果ブックマークを白紙にしてしまったりしたのだが、そうしても結局アイコン表示が解除されないままである。容量不足のせいか、全般的に動作がひどく遅いし、対照的に電池の減りは高速なので、そろそろ買い替え時なのだろう。そういうわけでサイトを見て、料金プランは諸々あるなかに併用できるものが決まっているようで、まったくもって煩雑で面倒なこの現代、何が何なのか訳がわからないが、シミュレーションをしてみると、スマートフォンではなくて、「ガラホ」とあったが、旧来の形の携帯を持って、通信料に合わせて料金の変わる定額プランを使うのが、最も安くなるようだった。それでコンピューターをしまって瞑想、一時五〇分から五八分まで座って、家を出たのが二時過ぎである。坂を上がっていって街道に出る前、ガードレールの向こうの斜面下から高く立つ、濃緑色の木々を背景に、パン屑のような細かい虫が飛び交っていた。街道に出ると、Bob Dylan『Live 1961-2000: Thirty-Nine Years of Great Concert Performances』を聞きだした。天気は前日と同じく曇天ではあるが、前日はまだ幾許かの明るみをはらんでいた白さがこの日は見えず、鼠色の膜が掛かった空は磨りガラスのようになっていた。裏通りの道中のことは、特に知覚に刺激を及ぼすものを見なかったようで、まったく覚えていない。駅に着いてホームに立つと、ちょうど "Knockin'on Heaven's Door" が始まったところで、それを聞いて足を踏みながら電車を待った。乗ると『竹乃里歌』を取りだして、読みはじめた。電車は、平日の昼下がりとあって乗客は少なく、隣席どころかその向こうも広く空いていた。路程の半分ほどまで行くと眠気が湧いたので、本をしまって意識を落とし、するとほとんど一瞬で立川である。降りて階段を上り、改札を抜けてもやはり、午後三時過ぎであるから、通路を行く人波も緩く、人と人とのあいだに充分な余裕がひらいている。広場に抜けて通りに下り、喫茶店に入った。店もわりあい空いていて、二面を壁に接してテーブル二つを並べた席を取ることができた。グレープフルーツジュースを頼んで戻ってきて、日々の作文を始めたのが三時四〇分頃である。BGMは、Fred Hersch Trio『Live at the Village Vanguard』の続きを流した。前日の記事はさほど書くことがなかろうと思っていたところが、二〇〇〇字足して四時二七分に仕舞えた。五時から友人と会う約束があった。五月七日にも会った高校の同級生である。それでこの日の分に入って進めたが、現在時に追いつけないまま、四時五五分にメールが来たので、中断として、便所に行った。便器の上に座って糞を垂れながら、いまから行くがちょっと待ってくれと返信を送って、出ると退店した。気のせいのようなかすかな雨が、散りはじめていた。駅に行って、待ち合わせ場所の壁画に向かい、相手と合流した。服でも見ようと思っているという話だった。それで駅ビルに入って、階を上がっていき、男性物のあるフロアで下りて、雑貨屋を覗きながら目当てを聞くと、手提げ鞄とか時計とかシャツとか靴とか、色々と古びてきていると言う。バッグ類の揃った店に入って、革のボストンバッグを見ていると店員が寄ってくるのに、相手は友人に任せてこちらは離れて、買うつもりはないが適当に見分した。Calvin Klein象牙めいた色の財布が、天井の光に照らされて表面の細かな模様を浮きあがらせているのに手を伸ばして、まじまじと見ていると、別の店員が寄ってきた。財布をお探しですかと言うのに、今日は付き添いで、特別目的はないと払うと、失礼致しましたと相手は下がった。それから店を出ると、最近は店員がやたらと話しかけてくるから面倒くさいと言った。前からだろうと答えると、最近は特に勢いが良い、と言う。そんなことはないだろうと思うが、確かに服屋に行って店員が聞いてもいないのにぺらぺらと喋りかけてくるのは、煩わしいものである。自分の気に入る物くらい自分で見極められるから、黙って見分させてほしいという話だ。それから諸々店を回って、こちらも買うほどの金銭的余裕はないが見ているだけでもわりと面白いので、そこそこ真剣に審美眼を働かせて、フロアを回りきった。友人は、そこまでぴんと来るものがなかったらしい。古着屋に行ってみようと言うので、エスカレーターを下りた。外に出る前に、一階にある、やや価格の高い店にも二店舗寄ってから、ビルをあとにして、駅舎からも出た。広場では、素通りしてしまったのでよくわからなかったが、JALだか何か航空会社か何かの労務改善だか何かを訴えている集団が、チラシを配っていた。そこを抜けて、百貨店の脇に出ると、隣の友人が、選挙の語を出した。いつも行っているのかと訊くのに行っていると答えて、どこに投票するのかとの問いには、それは教えられないなとふざけ気味に茶化して回避した。相手は公明党と言う。創価学会員だから当然なのだが、やはりあれなのか、上から指示が来たりするのかと訊くと、いや、そういうわけでもないけど、と答えにくいようにして、こちらも何となく突っこんで聞きづらい。結果、妙な沈黙が挟まった。それは、ちょっと進んだところで、通りに下りる前に相手が、よく覚えていないが天気か何かに触れて、解消されたはずだ。それでエスカレーターを下って古着屋に入った。香水、というよりは匂い付きの線香のような、独特の香りが店中に漂っていた。分かれてそれぞれ見分し、こちらはPaul Smithのストライプの付いたジャケットが少し欲しかったが、一三〇〇〇円くらいだったので興味をなくした。ブランドにこだわりはなく、ファッション全般にも特段のこだわりも知識もないが、フォーマルな格好を整えてみたいと前々から考えているのだ。しばらくしてから友人と合流し、大した目当てはないので出ようとなった。六時半を過ぎた頃だったはずだ。飯に行くかという流れになって、前回はどこで食べたんだっけと相手が訊くのに、駅の反対口ほうの居酒屋だと答えると、とりあえずそちらに向かうことに決まった。歩きながら、そちらの側にも一軒、古着屋があると言うと、行ってみるかとなったので、駅を越えて、通りに下りた。もう何年か行っていなかったが、同じビルにまだあって、がたがたいうエレベーターで上って、服でいっぱいになって狭苦しいような店内に入った。いま着ているなかで、ボトムスの三本はこの店で買ったものであり、思いのほか、気に掛かるものが散見される。反対に上半身のほうは、昔にコートを二枚とパーカーを一枚買ったが、どれももう着なくなっているので、こちらの選択は失敗している。ハンガーに掛かってほとんど隙間なく連ねられている服を猛然とかき分け、見分していくと、気に掛かるものがいくつかあった。一つは、Levi'sの、濃紺が鮮やかな、いわゆるジージャンである。ほかにボトムスが、こちらもLevi'sの、さらりとしたような薄水色のものと、イギリス製の真っ青なワークパンツと、フランス製の青地にストライプが入って少しコミカルなようなこれもワークパンツの類だった。とりあえずジージャンを羽織り、鏡の前に立って袖を捲ってみたり、かちりと嵌める式のボタンをすべて留めてみたりしたのち、保留した。それからまた少し回って、友人と合流してからふたたび羽織ってみて、迷いながらも三〇〇〇円だからいいかと購入を決めた。ボトムスのほうも試着してみることにして、フランス製のものは六〇〇〇円以上したので諦めて、ほかの二本を持ってレジのほうにいた男の店員に、試着室借りていいすか、とぞんざいな口調で許可を取ってから、室に入った。Levi'sのほうは裾が長かったが捲れば良かろうというわけで、両方とも、履きながら室を出て靴と合わせて鏡の前に立ち、確認した。二本ともサイズはぴったりで、密着するわけでなく多少余裕があって履きやすく、ちょうどよい感触だった。しかし二本買うと総計で一万円に達してしまいそうなので、どちらか諦めることにして、そうするとやはりLevi'sのほうかなと淡水色の摩擦のない質感が気に入られて、そちらに決めてレジに行った。二つ合わせて、六八〇〇円である。金を払って店をあとにし、エレベーターを下りて通路に出ながら、買ってしまったなとつぶやいた。そもそもいまある服で特に困っていないのに、七〇〇〇円使うのだったら、Brad MehldauとFred Herschの新作を入手したかった気もしたが、しかし買ってしまったものは仕方がない。外に出ると、友人が肌に何の抵抗のない空気に、いい季節になったなと独語した。もうだいぶ夏らしいな、とそれを拾って、飯はどうするかと話しながら、駅ビルの高層階のレストランフロアに行ってみることになった。それでふたたび駅に入り、ビルにも入って、エスカレーターを上がっていき、店を見て回った。こちらは何でも良いのだが、ラーメンの表示を見た相手が、ここまで来てなんだけど、ラーメンを食いに行かないかと言うので、了承した。こちらのたまに行っている店でいいと言う。エレベーターに向かってフロアを歩きながら、お前本当は駄目なんだろうと、病気で血圧を上げてはいけないのに一応触れたが、気にする様子はない。それどころか、翌日だか翌々日だかに検診だと言うので、ばればれだな、また医者に怒られるぞと笑って、地上に下りた。ラーメンをやたらと食い歩いているらしい従弟に言わせれば、いまから行く店は、「三回は行かないかな」とのことだが、自分はそんな大層な舌を持ってはいない、ところで高校時代に一度、クラスメイトたちで来たことがあったと、駅を出てそんな話をしながらラーメン屋に行き、こちらは牛飯と醤油チャーシュー麺とサービス券で餃子を、相手は担々麺だか何だか辛いものが食いたいと言って注文した。カウンターに並んで座り、こちらは先に来た牛飯を食いはじめつつ、仕事がこれから忙しくなるとか、高校時代にはあいつが辛い麺を食ってひどく汗をかき、ティッシュを大量に消費して拭っていたとか話した。それでラーメンも来て、サービス券の餃子の皿も来ると、分けて食おうと真ん中に置いて、それぞれ麺を啜った。食べるとこちらは、ひどく満腹になって少し苦しいくらいになった。水を飲みながらちょっと休んで、消臭用タブレットも口内で溶かしてから、退店した。それから喫茶店を探して、表通りから細道を入ったところにある店に落ち着いた。九時前だったと思う。店内はひどく空いていた。室の隅の窓際に座って、適当に雑談をした。相手は新潟に二週間合宿をして、車の免許を取ってきたと言う。そこで女と仲良くなって、関係を持ったらしいのをほのめかすのを、一夜の恋があったわけかとつつくと、一夜ではなく期間の半分、一週間らしい。しかし詳しいことは積極的に話さないのを、こちらもさして追わずに合宿の他の側面のことを聞いたりした。免許を取って以来よく走っているが、先日ドライブに行った時には調子に乗りすぎて、母親の車をぶつけたと言う。そのドライブが弟と蛍を見に行くというもので、こちらはむしろ、今日日の二六歳が、しかも弟と、蛍狩りなど風流ではないかと、そこを面白がって、うちの周りにも最近復活したようで、親父が毎晩見に出ていると話した。自分で言うくらい、弟とは仲が良いらしい。それから、こちらも式に呼ばれているクラスメイトの結婚の話になって、新婦の写真が上がっているのではないかと相手は携帯でFacebookを漁りはじめた。見つけたものを、一度だけ顔を見たことがあるこちらが、多分この人だなと証言すると落ち着いて、相手はトイレに行った。店内には、喫茶店だとか居酒屋だとかは大概どこでもそうだが、往年のジャズがBGMとして体よく使われて、 どこかで聞いたことのあるような "It's All Right With Me" とか "I'll Remember April" とかが掛かっていた。相手を待っていると、Johnny Griffinを何となく思い起こさせるような濃いブロウのサックスが終わったあとに、覚えのある "Bemsha Swing" が始まって、『Miles Davis and the Modern Jazz Giants』に入っているやつだなとすぐにわかった。瞑目してそれを聞き、相手が帰ってくるとまた話して、そのうちに合宿のことに戻った。合宿所では八人と仲良くなって、それでLINEのグループを作ったと言うから、お前コミュニケーション能力がそんなに高いのかと驚いた。過去の異性関係を訊いてみても、結構女性と遊んできたようで、そんなに話術が巧みだったのかとまたも驚いた。正式に付き合ったのはと訊くと、こちらも知っている高校時代の二人を合わせて、四人だと言う。それに対して、「恋愛未満」の人はと問うと、一三人と答えるから、一対三ではないかと笑った。どうやってそんなに引っ掛けるんだと訊くと、そういう場では有り体な話、目の前の女性とやれるかやれないかで頭がいっぱいの状態で話しているから、というようなことを言うのでまた笑った。「恋愛未満」の女性たちとはしかし、誰も悲しい別れに終わったのは、大概どちらか一方が「そういう感じ」、つまり本気になりはじめて、そうすると関係が終わるらしい。過去の経験上、自分は女性とのあいだに友情が成立しない、だから女性と友人でいられる人が羨ましいと――こうして文字にして再構成してくると、この友人の言は一般的に、屑野郎の言い分と見なされる類のものではないか、と思ってしまったが――、そう言った。恋愛においても、そろそろちゃんとした関係を築きたい、結婚も三〇くらいにはしたい、だから宅建も勉強しており、ふらふらしていないで腰を据えたいと、相手は話した。それで最後のほうにまた、合宿所の女性のことを聞いた。メンバーには二人、年上の女性がいて、そういう関係になるとしたらどちらかなと、ここでも頭はいっぱいだったらしい。一方は恋人と結婚するために故郷に帰る途中で、その恋人のことを大好きであると公言するのを三日目あたりに目の当たりに見て、こちらはさすがに駄目だなということで、もう一方に狙いが絞られた。その先はどうアプローチしたのだと問うと友人は、両手を額のあたりに上げてわさわささせて、何というか、気を送る、と言ったので、思わず背を椅子から離して前にかがんで、手を顔に当てながら声も出さずに爆笑した。念の戦いみたいな、と同じ仕草をしながら続けるのにも馬鹿笑いして、それは俺には無理だわ、俺は念能力持ってないからと返した。そこで店内にほとんど人がいなくなっているのに気付いて、時計を見ると一〇時、多分一〇時で閉店ではないかと言って、帰るか、となった。いやまさか、念能力で戦っているとは思わなかった、と落としてまた笑いながら立って、トレイを片付けて退店した。それで駅に行って、便所に寄ってからホームに下り、電車が発車間際だったので慌ただしく別れの挨拶をして、乗りこんだ。iPodを身に装着してBob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』を聞きはじめ、そのうちに扉際を確保すると、『竹乃里歌』を読んだ。地元に着くと乗り換えて、最寄りである。駅を抜け、 "Simple Twist of Fate" が流れているのに心中で合わせて歌いながら坂を下り、帰宅した。一一時頃だった。父親に挨拶して室に帰り、服を脱いでベッドに転がりながら、『竹乃里歌』を読んでいると、疲労による眠気が湧いてきた。それに負けずに、一一時二五分から三三分まで瞑想をしたが、そのあともうつ伏せに倒れこんでちょっと休み、それから風呂に行った。あとで綴る時の助けにと、この日のことを思い返しながら湯に浸かり、出てくると蕎麦茶を持ってねぐらに戻った。零時半前である。とにかく毎日英語に触れなくてはと気を奮って、Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraをひらき、前線を進めずに単語を復習するだけにして、一時を迎えると歯を磨いて寝床に移った。『竹乃里歌』をまた読んで、二時二分から一二分まで瞑想をし、就寝した。