2016/7/5, Tue.

 窓をひらいたまま眠ったが、涼しい空気が流れこんでくる朝だった。何度か覚めながら、一〇時台に到った。一〇時半にようやく意識をコントロール下に取り戻し、薄布団から逃れると、例によって枕元の本を引き寄せて仰向けのままでしばらく読んだ。鈴木道彦訳『失われた時を求めて』の一巻である。涼気はやや肌寒いくらいで、空は貝殻のように真白く、葉がぱさぱさと音を立てているところでは雨が降っているようだった。一一時まで読書をすると起きて洗面所に行き、顔を洗って用を足すと戻ってきて枕に腰掛けた。それで一一時五分から一七分まで瞑想、やはり肌寒いので布団を身体に掛けて腕をなかに差しこんだ。家中に何の気配もないのは、母親が仕事で不在だからである。だから毎週火曜日は自宅で作業がし、手ぶらで出勤することができるのだ。それから上がっていって、前夜のカレーの残りを冷蔵庫から出して、電子レンジに入れた。新聞を持って目をやりながらカレーが温まるのを待って、だいぶ柔らかくなると米の上に掛けてからさらに熱して、そうして卓に就いた。新聞を読みながら食べ、食後もそのまま、のちに写すべき箇所にボールペンで丸を付けながら読んでいると、閉じた頃には正午過ぎである。皿を洗ってから風呂も洗い、蕎麦茶を持って室に帰った。遅く起きたために残された猶予が少なく、新聞を写すか書き抜きをするか英語を読むかと立ち迷いながらひとまずインターネットを回り、結局新聞を取ることにした。それでRichie Kotzen『Break It All Down』を流して、雨天の薄暗い陰が漂うなかで打鍵を始めたが、途中、ニュースに関連してウェブを検索するのに時間を費やしてしまったため、全部は写さずに途中で中断した。翌日早く起きられれば、あるいは翌々日が休みなのでその時にでも行えば良かろう。それで一時半前、安息の聖域であるベッドに帰って、プルーストを読んだ。二時になるとそろそろ書き物を始めなければなるまいというわけで、しかしまずエネルギーを取ろうと上がっていった。まことに生活力がないが、カップラーメンである。塩味のそれを用意し、プルーストを引き続き読みながら平らげると、蕎麦茶を注いで食後の一服をしながら読書を続けた。その途中、紙をめくって一六〇ページをひらいたところで、右端の余白に付箋の切れ端が貼り付けられている。小さな黄色い長方形の、上部が破れてその辺だけがややぎざぎざとしているそれを見て、これは自分が前に読んだ時に貼ったものだなと気付いた。返却する前に手早く付箋を外していく際に、うまく剝がせずに破片が残ったのだ。前の自分は果たしてどのような箇所を書き抜いたのかとそのページの文章を追ってみると、語り手がコンブレーの家の庭で読書をしているあいだに、サン = ティレールの鐘塔が一時間ごとに鐘の音を降らせるのだが、本に夢中になっているために語り手には前の打刻から次の打刻までの間隔がとても一時間ひらいているとは思えないほど短く感じられるとか、時には一つの打刻を聞き逃してしまい、前に聞いた時よりも鐘が二つ多く鳴ることもあったとかいう内容だった。そうだった、もう二年以上前のことになるが、確かにここを書き抜いたのだったと思いだして、今回も書き抜くことに決め、さらに付箋もそのまま貼っておくことにした。それからまた文字を追って、何かの拍子に顔を上げて窓外に目をやった。視線の貫き抜けていくその軌跡の中途に立ちふさがって視認できないほどの雨粒が何層にも重なっているのだろう、空気には石灰水のような濁った白さが染み渡っており、電線の姿は消え、川岸に広がる木々の葉のあいだの襞にもその白濁した粒子は浸透して、そのために横に連なる木々の姿はまるで二枚の透明な板によって前後から押しつぶされたかのように、あるいはそれ自体が窓ガラスの表面に描かれた単なる絵であるかのように平面的に感じられた。空は普段よりも遥かに下方まで垂れ下がって、山は表面の模様を完全に失ってただの薄影と堕し、そのせいで並ぶ丘のいくつかの盛りあがりは植物と土の集積だとは思えず、むしろ巨大な生き物が霧のなかでじっと動かず寝そべっているかのように見えるのだが、しかも眺めているあいだにも雨が強まったのだろうか、白い空の断片が宙から剝がれ落ちて山の周りに次々と堆積していくようで、霧の幕は深み、稜線の半分以上は没して途切れてしまうのだった。視線を本に戻して茶を飲み終わると、自室からコンピューターを持ってきて、書き物を始めた。イヤフォンに流した音楽は、Paul Motian『Psalm』、その途中からである。しかし始めてすぐに救急車のサイレンが近づいてきているらしいのが聞こえたので、イヤフォンを外した。音の方角、背後に首を向けていると、赤いランプを灯し、黄みがかったヘッドライトの分身を濡れた路面に二つ滑らせながら救急車が坂を下りてくるのが、カーテン越しに見えた。救急車と見てまず真っ先に考えてしまうのは、九五だか六だか忘れたが、もう生まれ落ちて一〇〇年も近い隣家の老婆のことである。まさかここで止まらないだろうなとサイレンの動きを追っていると、我が家や隣家の前は通りすぎて行ったので安堵し、さらに耳で追いかけてみても、響きがだんだんと先細っていき、随分遠くまで行っても途切れないままに消えていったので、呼んだのは近隣の家ではないのではないかと思われた。それでふたたび記述に戻って、何時に仕上げたのか覚えていないが、特に苦労もなく前日の分を終わらせて、この日の記事に入った。Paul Motian『Time And Time Again』を共連れにして、蕎麦茶をおかわりして飲みながら打鍵していたところが、三杯目になる茶の味がひどく味気なく感じられたので、何か食べたいと台所に立ち、炊飯器をひらいた。釜のなかはほとんど空で、これだと出かける前に研いでおかないといけないなと時計を見ると、四時一〇分だった。あまり時間はないがどうにかなるだろうと米を払っておにぎりを作り、それを食べつつ茶を飲んで、書き物を続けた。二時半頃に眺めた窓外の様子、そこから汲み取った情報やイメージを翻訳したところで四時四五分、そろそろまずいと現在時に追いつけないまま中断した。それで下階に戻って服を着替えて、手ぶらなので荷物はまとめる必要がない。上がると水に浸けておいた釜を洗って、新たに四合の米を研いで、なおざりに仕事を済ませた。それで出発、五時を回った頃合いだった。雨がまだ多少降っていたので黒傘をひらいて歩きだした。小糠雨というやつか、粒は小さく軽く風が吹くと抵抗を見せずに横に流れて、そのわりに落ちるスピードは速く、空中に斜めに線を引くのが見られた。街道に出るとBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』の二枚目、 "Waltz for Debby (take1)" から聞きはじめた。とはいえ大して集中して聞かずに、散漫な物思いをしながら裏通りを進んでいたが、途中で "Alice In Wonderland (take2)" の演奏が耳に迫ってきて、Bill Evansが空間に嵌めこんでいく和音と一体化した旋律を追いながら、これは非常にすばらしいのではないかと思った。何なのだろうなこれはと考えながら、音楽に耳を寄せて歩いていき、職場に着く前に外してなかに入った。労働は九時半過ぎまでである。出た頃には雨は既に止んでいた。背には何もなく、傘を右手に掴んで、左手はポケットに入れて気楽に歩いていき、裏道の途中でまた音楽を聞きはじめた。昼間のあの素晴らしい演奏をもう一度聞こうと "Alice In Wonderland (take2)" に戻して流し、暗く静かな夜道で邪魔するものもなく、音楽を追いながら帰宅した。家の前に父親の車はなかった。入って手を洗うと室に帰り、服を脱いでインターネットに繋いだのだと思う。ウェブで何かしら見ていると電話が鳴ったのが聞こえて、母親が出て誰かと思ったと言っている口調では、兄らしい。話が続いているあいだに父親も帰ってきたらしく重い足音が混ざって、それからこちらはコンピューターを離れて瞑想した。一〇時二三分から三二分まで座り、ハーフパンツを履いて上に行って、餃子を温めて食事に入った。父親は風呂、母親はソファの上で脚を畳んで漫然とテレビを見ている。新聞を読みたかったので、テレビを消していいかとリモコンを要求したがなかなか渡さず、どうでもいい映像をしばらく目にさせられてからようやく画面が暗転した。それで夕刊をひらいて記事を読んだり、展覧会情報を確認したりして、食べ終わる頃には父親が風呂を出る気配がしたので、食器を洗ってからちょっと待ち、入れ替わりに入浴に行った。出て部屋に戻ると、一一時半を過ぎていた。蕎麦茶を持ってきたのだが、湯気を立てているそれを一旦放置してまずはふたたび瞑想をし、一一時三八分から四五分をノートにメモすると、椅子に座ってヘッドフォンを付けた。それで、Bill Evans Trioの "Alice In Wonderland (take2)" を集中して聞き、さらについでにと "All of You (take1)" も聞くと、やはり素晴らしくて、結局、ジャズ有史以来のすべてのピアノトリオは、このトリオを超えていないのではないかと、血迷って思わずそんなことを言ってしまいたくもなるほどである。比較のために次に同じBill Evansの、しかしEddie GomezとJack DeJohnetteとのトリオである、『Bill Evans at the Montreux Jazz Festival』から冒頭の "One For Helen" を聞いた。これはこれで非常に高度なトリオであることは間違いないが、しかしやはり違うものだなと最後に一九六一年の "Milestones" に戻って満足し、それでコンピューターを閉じた。零時一五分あたりだった記憶がある。それから歯を磨き、残りの夜はプルーストである。寝転がってひたすら文字を追い、二時を迎えてまだ行けるなと思ったところが、油断して意識を失った。気付けば時計の針が三時を指しているのでしまったと起きあがり、便所に行ってきてから、瞑想をさぼって眠りに就いた。