2016/7/18, Mon.

 瞼をひらき、顔の上のアイマスクをずらした瞬間に瞳が白っぽい明るさを捉えて、電灯を点けたままに眠ったのかと一瞬錯誤しかけたが、すぐに晴れ日の朝の陽射しだと認識した。時刻は七時半だった。ふたたび目を閉じながら夢を反芻したが、予想外に早く、そして軽い目覚めだったので、ふたたび眠気がやってくる前にとこの好機を逃さず掴んで起きあがった。三時から七時四〇分までと考えて、四時間四〇分の眠りである。洗面所と便所に行ってきてから枕の上に立ち戻り、瞑想をした。肩の凝りはまだ残ってはいるが、だいぶましにはなっていた。外には空間に穴を穿たんとするような、歯医者が歯を削る時を思い起こさせるような単調な蟬の音が敷かれ、その上からミンミンゼミの声がやや波打って立ちあがる。鶯もまだしきりに弓を引いては矢を放ち、時折り混迷したかのように谷渡りを響かせる。一四分座って七時五九分に目を開けると、コンピューターを点けて夢を記録した。

岩田宏の死を目撃。細かいことは忘れたが、どこかの寝室で、彼の奥さんとともに横になって(同衾していたということではない)、徐々に老衰が極まって死んでいく姿を見たはずである。
・その後、インターネットを岩田の名で検索。岩田は過去に映画を一本(あるいはそれ以上)撮っており、評判の良い一つが検索候補に出てくる。この時の死に至る自分の姿も最後の映画作品として撮影されたらしく(あるいはそれを撮ったのはこちらだったかもしれないが)、そのレビューがないかと探っているようだった。
Horace Silver『Blowin' The Blues Away』(として認識されていた音楽)が流れるなか、暗い通路を行く。トンネルのようなものとも、何かの建物のなかともつかない。通路は平坦ではなく、少しずつ曲がって円を成すように続きながら、常に上昇していく。自分の足で歩いているというよりは、何かの乗り物に乗っている、あるいは浮遊しているような感じだった。
・二度目の岩田宏の死。ここにおいて彼の存在は自分の父親ともほとんど重なっていたようである。寝室に行く。すると母親が寝ている。隣に一室あって、そのなかにも布団が敷かれている。どちらの部屋に眠るか迷いながらも、今いる室に決める。隣室への戸口を背後にして、母親のすぐ隣に、その姿勢とは逆方向の形で横になろうとする。やや斜めになった母親がこちらの領域の薄い掛け布団を掴んでいるのを離させる。背後の部屋にはじきに岩田宏がやってきて、死にゆくはずである。

 それで上階へ、八時半前だっただろうか。新聞と牛乳を取ってきてから、例によってハムと卵を焼くことにしてフライパンを火に掛け、卵が固まっているあいだに丼に米をよそったり、即席の味噌汁を用意したりした。ハムエッグを米に乗せて卓に運んでおくと、味噌汁の椀のなかに器具を使って葱を下ろし、豆腐にも葱と鰹節を盛ってテーブルに移動した。それでものを食べ、食後に新聞を読んでトルコのクーデター未遂の続報、事件へ関与した疑いで六〇〇〇人が拘束という記事を追っていると、インターフォンが鳴った。傍らに脱いでいたシャツを急いで着て出ると、二日前にもやってきたらしい梅の調査員である。出ていくとそれなりに若い、と言ってもこちらよりは年上だが、三〇代くらいの男女が一人ずつ立っていた。男性のほうは地味な青のポロシャツに縁の広い帽子を被って、農家然としたような格好である。梅の木の場所を訊くので一緒に外に出て、そちらへと家の南に下ってもらった。女性は重そうなリュックサックを背負っている。畑のほうに出ると男性は、そこのユスラウメ二本と、ここの梅の木と、あちらもそうですかねと難なく数えて、肯定すると書類を書いてもらいたいと差しだしてきた。名前の欄が世帯主になっているのに、自分は世帯主ではないが大丈夫かと訊くと、構わないと言うので、住所と父親の名前と電話番号を書き、最下部の署名の欄にはこちらの名を記した。屈んだ拍子に見えたのだが、男性のバッグの肩掛けの周りには汗の染みが広がり、顔にも球体が溜まっていた。バインダーに挟まれた書類を差しだすと、それじゃあ二〇分ぐらいしたらまた声を掛けさせてもらいますのでと言うので、気をつけて、お願い致しますと返して、屋内に帰った。外の陽射しの眩しさが瞳に浸潤して、視界が稀薄化していた。母親がよく宅配員などに気前良くジュースなどあげているのを真似しようかと、何か冷たい飲み物でもないかと冷蔵庫を探ったのだが、なかの物の一つ一つの区別が目を凝らさないと曖昧になるくらいだった。適したものが見つからないので諦め、ふたたび新聞を読んでいると、玄関のほうから声が掛かったので出て行った。男性は顔を一層汗に濡らしていた。ウイルスが見つかるようだったら、一二月までに連絡が行きます、見つからなかったら何も連絡はありませんので、と説明を聞き、それではと発とうとするのに、ありがとうございましたと礼をして居間に戻った。暑さのことだろう、これはやばい、今日はやばいねと男性が笑うのが聞こえた。新聞を読み終えると皿を洗い、前夜に脱いだ下着を、前の日と同じ要領で、洗面器のなかに浸けて揉み洗いし、洗濯機に放って脱水したのちに四角いハンガーに吊るした。それをベランダに出して干しておき、蕎麦茶とともに自室に戻ると九時五〇分である。新聞記事をわずかに写し、インターネットを回って、一〇時半からGabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraを手に取った。上半身裸になってベッドの上で読んでいると、四時間四〇分ではやはり眠りが足りないのか、催眠性の煙が身中に湧いて全身に広がり、細胞の一つ一つが麻痺させられたかのように身体が固まった。一一時半頃から本を手に持ったまま完全に石化し、煙が身体を抜けていくまでの二〇分ほどのあいだ、五分毎に覚めつつも抵抗する術がなくベッドに押し付けられているほかなかった。身体の自由が戻るとまたほんの少しだけ読み足して正午過ぎ、腕立て伏せと腹筋運動を行ったのち、今度は浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』をひらいたのだが、またも催眠性の煙が湧いて、先ほどよりも石化の度合いは弱いが心身の動きを阻害されながら、一時間ほど過ごした。それから、そろそろ書き物をせねばなるまいとコンピューターを持って上階に行き、テーブルの上に置いて、先に食事を、カップヌードルで簡便に済ませることにして、戸棚からカレー風味のものを取り、ポットの湯を注いだ。氷を入れた水を傍らに置いて啜り、容器を洗って処理すると蕎麦茶を注ごうとしたのだが、前日で切らしていた。戸棚を覗いても買い置きがないので、久しぶりに緑茶の葉を急須に入れて淹れ、それをちびちび飲みながら一時四〇分かそこらから書きはじめた。陽射しは薄れて外はほとんど曇りだが、シャツを脱いでも暑くて仕方がないので扇風機を付けた。茶の熱のために肌に水気が滲むので、最弱の風力でもかなり涼むものだ。それで前日の記事に一四〇〇字足して完成させたのがおそらく二時半頃、音楽は聞かなかった。引き続きこの日の記事も綴っていると、またインターフォンが鳴ったので、急いでシャツを纏い、受話器を取った。隣家の老婆だった。出ていくと、菓子の詰まった袋を手に持っており、くれると言う。こちらが一人で家にいると聞いて、本当はおかずでもあげようと思って、カツを買おうとしたのだが肉屋が休みだったと悔やんでみせた。一人で可哀想だと思って、と大きな声で繰り返し言うのに、笑って菓子を受け取り、礼を述べた。確かに一人暮らしの経験がなく様々な面で生活力がないとはいえ、もはや心配されるような歳でもないのだが、生まれてから一〇〇年にもあと数年で到ろうという相手からしてみれば、二六年の生などひよっ子同然だろう、何しろ七〇年のひらきがある。ところで、今綴っていて思い当たったのだが、肉屋が休みだとわかったということは、おそらく老婆はこの暑気のなか、手押し車で身体を支えながら坂を上り、上の通りの店まで実際に行ったのだろうが、それは何だか申し訳ない、無鉄砲にそんなことをしていて倒れはしないだろうかと心配される。この時も、柵を両手で掴みながら階段を下りる相手のあとに着いていき、郵便ポストの前で、暑いけれど身体は大丈夫かと尋ねると、足が痛くてもうあんまり動かないと老婆は言う。水をたくさん飲まないと、気を付けて、と熱中症への注意を促して、もう一度礼を言って別れた。菓子の袋は「麦こがし」という、保育園の砂場の土で固めたような褐色の、直方体の和風菓子のもので、そのなかにほかに源氏パイやらブルボンのルマンドやらが加えられて膨れている。それをテーブルの上に置いておき、書き物に戻って、切りを付けると三時三七分だった。六時から労働があるため、五時過ぎには家を発たなくてはならない。少しでも読書をしたいところだが、その前に、夕食のために餃子と味噌汁を作っておくことにした。台所に立ってBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』をラジカセで流しはじめると、水を入れた鍋を火に掛け、湯ができる合間に葱を刻み、沸騰した鍋に出汁粉と味の素を加えてから葱も入れた。ちょっと待ってから僅かに浮いた灰汁を取り、味噌を溶き混ぜて完成、具は葱だけの非常に簡便なものである。次にフライパンに油を熱して、冷凍の餃子を袋からばらばらと落として敷き並べ、少々焼き目を付けてから水を振りかけて激しい沸騰音を蓋で封じた。ラジカセからは "My Foolish Heart" が流れているところだった。その前に移って音楽を聞きながら待ち、次の "All of You" も指を鳴らしながらしばらく聞いたあと、フライパンの蓋をひらいて揺すり、油を垂らしかけた。それでさらに少々熱してから完成とし、きちんと焼けているかどうか確認がてら一つつまみ食いして火を消すと、ラジカセの前に立って "All of You" のベースソロを聞いた。そのまま曲の最後まで追っていると、何らかの音の気配があって、誰か来たのかと思いきや、雨が降ってきたのだった。ベランダのほうに行くとよほど粒が大きいのか、柵や床に落ちる音がぱちぱちと固く弾けるものだった。四時過ぎである。 "All of You" が終わるとラジカセを止めて、CDを持って下階の室に帰り、Richie Kotzenの曲に合わせて歌を歌った。それで四時半、歯磨きをしてから仕事着に着替え、少しでも本を読もうと『ベンヤミン・コレクション1』を持って上階にあがり、鏡の前でネクタイを締めた。それから靴下を履きに仏間に入ったのだが、足に布を着せて振り向くと、元祖父母の部屋に続く戸口の鴨居に洗濯物が掛かっていることに、この三日間の連休で初めて気付いた。父親のパジャマを畳み、アイロンを掛けるべきシャツが一枚あったので、仕方あるまいと出る前に済ませることにして、器具を炬燵テーブルの上に用意した。自分のシャツを階下の部屋の前に持って行ってから父親のシャツの皺を伸ばして、それで便所に行くともう五時の鐘が鳴ったあとで、『ベンヤミン・コレクション1』は自室に戻して、もう出ようと思ったところで生ごみも始末してから行くかと思って、鍋とごみ受けを持って外に出た。雨は既に止んでいた。それで堆肥溜めにまた捨てるのだが、二回水を掛けても蕎麦茶の滓がうまく落ちて行かないので、玄関外の水場に立って網状の布で洗って、とそんなことをしているうちに五時一五分が迫ってそろそろ時間が厳しい。急いで台所の流し台にものを戻して出発、手ぶらの軽い身で坂を上がっていった。抜けると木々の間から蟬の音が響いて、背景に敷かれた一種のなかに別の一種、細かくジグザグの軌跡を描きながら進むような、往復性のものが聞こえる。これで今夏聞いた蟬の音は四種である。一番初めに耳にした歯医者の音めいた拡散性のものはアブラゼミだろう、確かにフライパンで油が沸騰する時の音に聞こえなくもない。次いでミンミンゼミにヒグラシ、その後にここで聞いたジグザグめいたものだが、これはクマゼミというやつだろうか。街道に出ると『Solo Monk』を聞きはじめた。雨上がりだがひどく蒸し暑く、裏通りに曲がったところで既に捲っていた袖をさらに引き上げると、両の前腕が汗でべたべたに湿っている。角の家の敷地に百日紅が花をつけていた。裏通りの途中に先日来早くもひらいていたもの、浅ましいように濃い熱情的なピンク色のものよりは幾分甘めの、たおやかな桃色である。それを見ながら過ぎて曲がり、肌をべたべたと濡らしながら通りを、脚を自然に伸ばし出しながら手も振って、軽く歩いて行った。職場に着くと即座に働きはじめ、九時四五分頃退勤である。裏通りの途中でまた『Solo Monk』を流して進んでいたのだが、そのうちに顔にかすかな水気が弾けだした。雨が来たなと見ながら音楽を聞いているうちに、いつの間にかかなり強まって路上に染みが落ち、電灯の光のなかにもくっきりとした線が映って、イヤフォンを片方外してみると線路の向こうの林のほうまで渡り響く雨音である。しかし詰め物を耳に戻すと途端に音は音楽の周縁に引っこんで、Thelonios Monkのピアノが流れる静かななかで、ぼたぼたとしきりに落ちるものが額や頭を濡らす感触だけは続くのが不思議で、まるで何か意地の悪い存在が自分の頭上に付いてきて終始いたずらを仕掛けているかのようだった。濡れた髪をかきあげながら歩き、表に出たあたりから雨は弱まって、帰宅する頃にはもはや過ぎ去っていた。入ると両親が帰ってきている。おかえりと言われたのにおかえりと返し、居間でネクタイを外して濡れたシャツも脱いでしまい、汚れ物を洗面所の籠に入れてから室に帰った。湿ったズボンも脱いで窓を開け、すぐさま瞑想、一〇時二〇分からである。身体に熱が籠って、疲れもあって眠気が湧く。膨らんだ眠気に姿勢の均衡が揺らぐたびにちょっと意識が戻るというのを繰り返しているうちに、脳内で小説が自動的に執筆されはじめたのだが、こういう時の常で一文を読んだそばから言葉が崩れて消え、もう思いだせなくなっているのだった。一〇時三六分まで座ってから目覚め、食事を取りに部屋を出た。米と味噌汁と餃子に、母親が追加した生野菜のサラダをよそって、卓に就いた。テーブル上には大阪・神戸の土産、チーズ風味のガレットや、アーモンドの長細いクッキーのようなものが置かれている。ものを食べると一一時にもなり、ニュースのほうに目をやって、トルコ関連の報道や都知事選の候補者の姿を眺めたのち、皿を洗いに台所に立った。母親もまだ風呂に入っておらず、ボーダー柄の服を着て、細いネックレスを首もとに巻いたままだった。ソファの背の上に洗濯物を置いて干しているのを引き取って、先に入っていいと言ったのだが、こちらがハンカチや下着を干し終えても台所でざるか何かをいじりながらまごまごとしているので、埒が明かないと先に入浴に行った。三日ぶりで湯に浸かり、冷水も浴びて出ると既に零時、緑茶を持って自室に下りた。茶を飲んで汗を流しながら『ベンヤミン・コレクション1』を読み、飲み物がなくなるとベッドの縁に腰掛けて、ゴルフボールで足の裏を刺激しながら読書を続けたのだが、汗が一向に引かずに背に溜まるので脱いでいたハーフパンツで拭った。それから歯を磨きがてらインターネットをちょっと回り、一時からまた読書を始めたが、その頃には身の熱も和らいでいて横たわることができた。ところがそうするとまた眠気がやってくるので、一時半になると起きあがり、また縁に腰掛けてゴルフボールを踏みながら文字を追った。窓にレースのカーテンを掛けていても、その下の隙間から外気が忍びこんでくる涼夜である。一時二時にもなれば毎日過ごしやすく、この夏はまだ熱帯夜らしい熱帯夜に遭遇した覚えがなかった。何年か前には夏の日中は勿論へとへとだったし、夜になって眠る時間が訪れても、自分と同じ年頃の二五歳の若者が眠っているあいだに熱中症で亡くなったというニュースを見て、自分も寝ているあいだに死ぬのではないかと半ば本気で恐れて、エアコンを使ってどうにか寝苦しさを凌いでいたものだ。それが今年はまだ夏が盛り切っていないのか、それともよほど図太くなったということなのか、寝苦しい夜というものを一度も体験していないなと思った。そうして二時半頃まで読書を続けたのち就寝することにして瞑想、二時三七分から五七分まで二〇分の長きに渡ってじっと腰を枕の上に据えてから、床に就いた。入眠はやはり容易だったらしい。