2016/7/19, Tue.

 すっと滑らかに眠りを抜けて、時計を見ると八時五分である。前日に続いてひどく軽い寝覚めだった。ちょっと目を閉じて夢を見たのかどうか思い返したが、ばらばらに刻まれて薄ぼけ、定かな記憶は残っていない。布団を剝いで身体を伸ばしてから、二〇分頃に足を床に付けた。洗面所と便所に行ってきてから起床時の瞑想である。シーツの上には東から西へと斜めに角度を付けて、カーテンに切り取られた白い薄陽の平行四辺形が生まれていた。瞑目しながら肌の上に目を向けてたどっていくと、膝や腕の表面が温もって、この日の暑さが先取られる。窓外では蟬に混ざって、一体いつまで鳴くものなのか鶯がまだ留まっている。八時二四分から三九分まで座って、上階に行った。まず風呂を洗い、それから例によってハムと卵を焼いて米に乗せ、味噌汁とサラダの残りも添えて卓に就いた。ものを食べると母親が向かいで、生八つ橋を隣家の老婆にあげると言って開封しているので、こちらも頂いた。中学校の修学旅行以来一一年ぶりになるが、餡子が比較的苦手なこちらにもこの菓子はわりとうまいものである。シナモン風味のものと抹茶風味のものと二つ食べてから皿を洗い、室に帰った。九時二〇分だった。この朝は新聞が休みなので記事を写すことはできず、コンピューターを点けるとiTunesをひらいた。やはりロックを聞きたくなることもあるので、iPodLed Zeppelin『The Song Remains The Same』とBob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』と、二つの素晴らしいライブアルバムを入れておき、これでiPodに入っている作品は五つになった。それからインターネット各所を回って、コンピューターを持って居間に上がった。母親が立ち働いているが、早く起きたことでもあるし自宅でさっさと書き物を済ませてみることにしたのだ。そうすればごろごろ寝転がりつつ本を読んでから、気楽に手ぶらで出勤できるというわけだ。緑茶を注いでコンピューターの前に座し、各種記録を付けていざ始めようとなったところで、母親が仏間から手伝ってと呼ぶ。盆の提灯を片付けるのだった。すぐに罅が入って折れそうなちゃちな木材でできた組みを、こんなもの実際には灯してもいないし、わざわざ出さなくてもいいだろうなどと言いながら解体し、段ボール箱に収めて押入れにしまった。それで席に戻ってから、窓外に目をやって、天気も良いし久しぶりに布団を干すかと思い付いたので階段を下り、自室からベランダに二枚の布団を出した。二方面の窓を両方とも網戸の大開きにし、カーテンも端に留めて風を流すようにしておいてから居間に戻って、Jim Rotondi『New Vistas』を流して一〇時頃から書き物を始めた。そんなに書くつもりもないはずが、時間を掛けてしまい、三二〇〇字を足して前日の記事は完成、Jim Rotondi Quintet『Live at Smalls』とともにこの日の分も進めて、こちらはまだ起きてまもないため書くことも少なくて、一一時四〇分に切りを付けた。それからすぐには腰を上げず、母親が携帯電話を差しだして大阪城の写真などを見せてくるのに目をやりつつ、インターネットでニュース等を確認した。神戸で買ってきたレトルトのカレーを昼食に食べようという話だったが、まだいいと断って自室に帰ると、一二時一〇分になっていた。書き物は終えたので、あとは英語と日本語をできるだけ読むのみである。先に英語、Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraを持ってベッドに移り、一時間ほど読んだ。その後、布団を取り入れるためにベランダに出たその頃には、暖色の帯は空気から消えており、空では雲が全面を覆っていたが、その雲は白味の強いもので空気の明るさと暑さは保たれていた。布団をベッドに畳んで片寄せておき、そして少々運動をしたあと、カレーを食べようと上階に行った。階段から居間に出ると、母親は椅子に就き、萎れた花のようにうなだれてうとうととしていた。レトルトカレーを鍋で湯煎し、米に掛けると、サラダとともに卓に運んで食事を取った。食後に少々だらだらとして二時、皿を洗って緑茶を持ち、部屋に帰ると二時一五分である。茶を飲みながら浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』をひらき、背の全面を汗で覆わせながら読み、歯磨きも済ませると三時が目前に迫った。身体のみならず髪の内の頭すらもべたつく感じがしたので、シャワーを浴びてから出勤することにした。上がっていくと母親は今度は、テレビの前に横になって、既に帰ってきてしまった神戸の旅行案内本を眺めていた。浴室に入って湯を浴びているうちに三時一五分が迫る。髭を剃っている時間はないなと身体を擦って上がり、使ったバスタオルは居間の隅のハンガーに留めておいた。それで室に帰って仕事着に着替え、薬を一粒飲むと、財布や携帯やiPodとイヤフォンだけ持って上がった。靴下を履き、扇風機の前で少々涼んでから三時半に出発、玄関まで付いてきた母親にポストから夕刊を取って渡し、道路に出た。道を縁取る林の到る所から蟬の声がひっきりなしに飛びだしてくる。クマゼミというやつなのか何だか知らないが、前日耳にした少し違う声音の蟬を耳で探りながら進むのだが、音が混ざってよくわからない。高めの音で四角く平坦に伸び広がるアブラゼミの声のなかに、それより低めの音域で、じりじりとしてより詰まったような響きが時折り聞こえるようなのだが、定かに捉えることができなかった。坂を抜けても顔を傾け、耳を左右に寄せながら進み、街道に出ると蟬にかかずらうのは終い、Led Zeppelin『The Song Remains The Same』を聞きはじめた。手ぶらの身を軽々と進めていき、東西に伸びる裏通りのなかに南北に挟まった坂に出て、横断歩道の前から右を見やると、新聞屋の前にいかにも楚々としたような純白の花を付けた木がある。石鹸の泡のように広がっているその白さを先日も見て気になったのを思いだし、今日の帰りに近づいてみようと心中に書き付けておいて道を渡った。ふたたび裏道を行き、駅まで行って職場に入ると、間髪入れず働きはじめた。三時限を済ませて退勤は九時半過ぎ、裏道に入り、途中で表へと曲がると空の東側に満月が浮いており、雲に光を触れさせて光円の縁を仄赤く染めていた。珍しく表に出たのは、先の白い花を見るためである。車の音も光も行き交って普段の帰路よりは視界が賑やかななかを歩いていき、横断歩道を渡るとちょうど件の木が目の前、枝葉に寄って、百日紅ではないかと気付いた。遠くから見るともっと膨らみのあるような花に見えたので意外だったが、確かにあのくしゃりと縮れた花弁である。顔のあたりに伸びてきている枝の花弁をしばらく指先で触ってから、残りの帰路を辿った。帰ると居間でもうネクタイを外し、上半身裸になって服を洗面所に運んでおき、自室に帰った。そしてスラックスも脱いで早速瞑想、枕の上に座って瞑目するとまだ肌に熱が籠っているのが感じ取られた。労働後とあって眠気も湧くが、姿勢が崩れきることなく半ばまどろむように続けて二〇分、一〇時三五分に目をひらいて、居間に行った。台所に立つと焼き鮭をレンジに入れ、チーズのような色合いをした洋風スープを温め、その他米やサラダを用意して卓に移った。ものを食べ終えても気怠さがあってすぐに立ちあがれず、頬杖を突いて興味のないテレビ番組をぼんやりと眺めたのち、同じように物憂げにソファに留まっていた母親が、もう下に行こうと言ってテレビを切ったのを機に食器を洗った。そして入浴、髭がだいぶ伸びているが面倒なので放置して、たわしで一生懸命身体を擦って肌を赤くしてから上がった。居間に出て時計を見ると、零時五分だった。体重計に乗ると五三.六キログラム、汗が容易に引かないので涼もうとベランダに出たが、戸をくぐった瞬間に、隣家の窓に閉め切られた雨戸や、室外機や壁の像が明瞭に見えて、空気も薄いようでまるで朝が近づきつつあるかのように一瞬錯覚した。満月のためである。月は西寄りに移動しており、しなやかな光を広げて空を青灰色に明るませていた。月の姿を見上げてじっと視線を固定させていると、その輪郭がぼやけてかすかに膨らんでは萎み、さらに長く、瞳を乾かせながら見つめていると像がずれて突出と窪みの段差が生まれ、もはや円形ですらなくなるのだった。少し先の家屋根に囲まれた地帯、暗んで姿の露わでない草木の集合のどこかから、コオロギのような回転性の鳴き声が絶えず響いてくる。意識は冴えており、夜が薄まっているため、既に日付が変わっているとは思えず、まだ宵であるかのような感じがした。柵に寄りかかっていると、近所の男性らしいバイクが排気音に配慮しながらゆっくりと、坂道を下りてくる。ぽす、ぽすと詰まったような音を落としながらもう一つ坂を下っていき、下端ではもうエンジン音も消して惰性で滑ると自宅前に停まった。一種の感動のような心地がしていたのだが、高揚はその芽がかすかに胸の地中から顔を出したのみで、あるのは気持ちをひどく落ち着かせる、呆けたような静かな恍惚だった。空気が細胞に染みこむように滑らかで、心身の隅まで親しむように感じられ、何を見るわけでもなく視線をただ漫然と伸ばし、動かさずにいると、薄色の山影や川向こうの町並みや黒っぽい木々や近所の屋根やらのそれぞれの距離の差が失われ、すべて一平面に並んで幾何学的な形の組み合わせとなったかのようで、手を伸ばせば触れられそうなそれらに囲まれて自分の存在がこの希薄な夜の空間に没し、ぴったりと一致しているような馴染み深さを覚えた。また月を少々眺めてから室内に入ると、それでも七分程度しか経っていなかった。自室から湯呑みと急須を取ってきて緑茶を用意するあいだに、今しがたのことを思い返しながら、以前にも似たような経験があったのを想起した。二〇一三年の九月四日と、二〇一五年の一一月一五日のこと、確認せずとも二つの日付を思いだすことができた。具体性の震えとか日常性の揺らぎとか以前は呼んでいた偶発的な瞬間の、その極まったもの、事物との距離が突然近くなったように感じられ、感覚が貪欲なまでに世界へとひらいて、極々小さい、瑣末ですらある刺激を一刻毎に拾っていき、それらのいちいちに知覚を愛撫されるかのような、そんな時間を味わったのだ。当時の記述は次のようなものである。

2013/9/4, Wed.
午前中に一時雨が降っていたようで、昼過ぎに家を出ると、日が射していながらその名残がまだ残っていて、雨未満の水粒が風にのってタンポポの綿毛のように飛んできて、腕や顔を静かに濡らすのを感じながら駅へ歩いた。雨上がりの太陽に照らされる林がやけに美しく見えた。市営住宅に隣接する小さな公園は手入れをする者がいないので、一面に草が膝ほどの高さまで生い茂っていた。駅の切符販売機の前では若い男女が和やかに話をしており、隣の広場に目を移せば、やはりそこにも生い茂っている雑草を、もう老齢とも思える男性が熱心に鋏で刈り込んでいた。ホームに降り立つと、黄線の隙間から猫じゃらしが生えていた。前を向けば濃緑の山があった。蝉の声はもうあまり盛んではない。水粒は相変わらず風に吹かれていた。晩夏の空気があった。静かな感動に襲われて、すべてが完全だと思った。自然というのはそれだけで完成している――いや、そうではない。電車に乗ってからも感動は続いた。電車の走る音も、車内の乗客の一人一人も、窓から見える空や雲や森や家々や学校も、行き交う車や人々も、すべてが何一つとして無駄なものはなく、世界はそれそのものとして完成していると感じた。図書館についてからもそれは続き、席についても本を読む気にならず、窓の外を眺めていた。音に敏感になっていて、こつこつとフロアを響く自分の足音、衣擦れの音、ページをめくる音、椅子をひく音、それらがする度にそちらのほうに意識がいった。外では時折り強い風が吹いて、壁にあたる音なのか、掃除機のような音が聞こえ、その風に、向かいのデパートの壁にかかっている「買得品」と書かれた旗(上部は見えなかった)がばたばたと揺れていた、デパートの白い壁は太陽を受けて眩しく光っていた、それらすべてがこの場に完全にふさわしいように思えた。一種の悟りなのだろうかと思った。これが磯﨑いうところの世界の盤石さだろうかと思った。静かな高揚があって、窓の外のテラスを雀がゆく、彼らはぴょんぴょんと跳ねて移動するのだけど、横に跳ねるとき尾を左右に振る、それがダンスを踊っているように見えて、そんなことにまで感じ入った。思えば電車の中では、こういう気持ちになれたならもう死んでも惜しくないのではないかと思っていた。どうやら今の自分は感受性が異常に高まっているらしい、それゆえの危うさを感じた。言うならば、すばらしい景色を見ながら死にたいといってビルの上から飛び降りかねないような危うさがあった。こんな気分になってしまったらもしかして本当に死ぬのではないかと思って心臓を意識した。(……)何か作り物めいた完全性を見ているかのような感動があった。完璧な映画を見ているような気分だった。そのときの自分は世界の外に立ってそれを眺めているような地に足のつかない感じがあり、今は世界の内側に自分の場所を確保したような感触があった。

2015/11/15, Sun.
市長選挙の投票人通知葉書をポケットに収めて家を出た。アスファルトには雨降りのあとが残っており、水たまりが色つきの落ち葉の隙間で、雲が引きちぎられた青い空を映していた。空気は静止しており何の抵抗も感じさせないが、息は白く漂った。散歩中の老人のようにゆっくりと歩いて坂をのぼった。雪ん子と呼ばれる白く小さな虫が綿毛のように飛びまわっていた。既に投票を終えたらしく賑やかに話す老人たちとすれ違い、かつては自身も通っていた保育園の前を過ぎて、自治会館に入った。鉛筆はよく尖っており、白い投票用紙はそれを滑らかに滑らせた。紙を投票箱の細い穴に落とすと、帽子を取らないまま立会人に会釈して外に出た。駅に向かってまたゆったりと歩いているあいだ、後方から陽が射して、先導するかのように自身の影が長く路上に伸び、家先に取りつけられた鏡が光り、明るさを混ぜこまれた丘の木々は薄緑色になった。風邪を引いて微熱があるときのように身体がふわふわとして、時間の流れが緩やかになったかのようだった。駅のホームに立ったころには太陽はますます露出して、濡れたホームのアスファルトには空間に穴をあけるかのような白さが撒き散らされ、その氷めいた輝きは目を眩ませた。Radiohead『The Bends』の厚い音を聞きながら呆けたようにしていた。するといつの間にか、空間の隅々まで明るい琥珀色が注ぎこまれて、あたりは一挙に時間が逆流して過去になったかのように色を変えていた。梅の木にはスズメが何匹も集まって枝を震えさせ、そのせいで秋色の葉っぱが一枚また一枚と雫のように落ちた。視界を泡のように漂う虫、木々や草むらの色の震え、川の流れのように刻一刻と変わる光の濃淡、どこを見つめるでもなく、視覚そのものを撫でていくこの世界の最小の動きを取りこんでいると、あっという間に時間が過ぎた。自分がいなくなったかのような瞬間がそのなかにあった。しかし同時に、自分のなかに深く入りこんでいるような感じもした。没我とは、自己を没することではなく、自己に没することで自己を忘れることではないのか? 一年のうちに数回は、そんな風に風景が非現実的な色合いに染め抜かれる時間が訪れるものだ。世界の呼吸が身近に感じられ、体内に流しこまれるその吐息が淡雪めいて心の平原にゆっくりと落ち、わずかな染みを残しては溶けていくような、そんな時間だ。やってきた電車には中国人の登山客が乗っており、独特の擦過音を含ませた響きで話していた。我先にと吐きだされていく客たちを見送ったあと、向かいの電車の先頭に行って席についたあとも、夢幻的な時間は続いていた。高揚感はなく、気分はむしろ静まりかえっていた。身体には夜更かしと過眠のもたらした疲労感があった、しかしそれも甘やかだった。倦怠にもどこか似た感覚だが、重く垂れさがる憂鬱の不快をはらんでおらず、いわば偽物の倦怠だった。重力さえもが親しげに擦り寄ってきて、恋人めいて自分を抱きしめているように感じられる。眼差しは眠たげに力が入らない。すべてのことが無害に見え、ある種の無関心が湧いて、このまま死んでもいいかもしれないとすら思わせるようだった。

 「世界の呼吸が身近に感じられ、体内に流しこまれるその吐息が淡雪めいて心の平原にゆっくりと落ち、わずかな染みを残しては溶けていくような」時間という表現は、いま読んでみても、この種の体験の感覚をうまく言い当てている比喩だと、自分ながらに感じられる。この日の経験は過去の二回に比べると、その感動は弱く、持続も短く、質としても垂直性の高揚の要素はほとんどなくなって、水平におのれが溶け広がっていくような平静の充実に変じていた。それで非常に満足感があり、今日はもう何もやらなくてもいいのではないか、もう眠ったっていいし、あるいは無為に過ごしたっていいのではないかとも少し思ったが、やはり本を読みたいようだったので、茶を飲んで汗を肌に溜めながら、『ベンヤミン・コレクション1』を読んだ。歯磨きをするとベッドの縁に腰掛けてゴルフボールを踏み、引かない汗をハーフパンツで拭ってからしばらくすると、ようやく横になれるくらいに肌が涼しくなった。それで一時を越え、二時も越えて二〇分くらいしてから、眠りに向かおうと本を置き、便所に行ってきてから枕の上に腰を据えた。二時二七分から瞑想、ベランダでの無為の充実を思い返し、あるいは散漫にうろつき回る思念に妨害されながらこの日のまだ綴っていない時間のことを脳内で追って、目をひらくと五七分、ちょうど三〇分が経っていた。消灯し、アイマスクを付けて布団にもぐりこみ、就寝である。