2016/7/20, Wed.

 記録によると、七時半に正式な覚醒を得たらしい。布団を身体の上から横にどかして、しばらくごろごろとしてから身体を起こし、床に足を下ろした。洗面所に行くと顔を洗って、戻ってくると枕の上に腰を掛けて瞑想した。アブラゼミが早くも鳴き声を空気中に拡散させているなかに、鶯はまだ鳴くのかと耳を寄せていると、どうやら遠くのほうで時折り、仄かに立ちあがっているらしい。七時五四分から八時八分まで座った。四時間半の短めの睡眠のためか、小さな頭痛の欠片が右側頭部にあり、肩もなぜだかぴりぴりと、筋肉痛めいた刺激があった。上階に行き、風呂を先に洗ってから、残っていたハムを合わせて卵を焼いた。それに加えて確か、前夜の洋風スープが残っていたのではないか。卓に就いて食事を済ませると、蕎麦茶を買いに行っていないので、代わりの緑茶を持って室に下りた。それが九時過ぎくらいだったのではないかと思うが、正確なところはわからない。インターネット各所を確認してから、新聞、Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Cholera浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』のそれぞれを読んだのだが、それらの時間配分は忘れてしまった。それで二度目の瞑想を行ったのが、一一時二三分から三七分までである。蟬の声が朝よりも旺盛になって、鶯も距離が近くなったようではっきりとした輪郭の声が、落ちたり震えたりしているのが聞こえた。そのうちに窓外から自分の閉じた瞼の裏へと意識を移し、呼吸を続けていると、ある瞬間に突然、境を通って深みに入りこんだような感覚があり、視界に動きが生まれはじめた。今まである程度深呼吸を続けたあとに頻繁に経験してきたのは、ピンクとも紫ともつかない色にかすかに染まった靄のようなものが、視界の外縁から中心へ向けて収束していき、飲みこまれたかと思うとその時にはふたたび外縁からの発生が始まっており、同じことが繰り返されるうちに視界のほぼ全域がその靄に包みこまれるというものだったが、この時の現象はその逆、滔々と水を溢れさせる泉が視界の中央にひらかれたように、水面に雫を垂らした時に生まれるものと似た波紋が同心円状に、真ん中から周辺部へと絶えず広がっていった。いわゆるアルファ波というものか知らないが、何らかの脳波なり脳内物質なりが分泌されていたのだろう、おそらく変性意識と呼ばれる状態に入ったらしかった。身体が一挙に軽くなったかのようであり、一方では確かにリラックスしているようでもあるのだが、他方、波紋を繰り広げる視界を見ながら、さらに意識を変容させていくことに対する弱い恐れがあって、その不安のためだろうか、心臓が意識されてちくちくとした。それでまもなく目をひらいたが、そうして立ってみると浮つくような身体の軽さが残っており、頭痛の欠片もさらに細分されて、ほとんど溶け消えたようだった。それから確かストレッチに腕立て伏せ、腹筋運動をしたはずである。そして、まだ汗が引ききっていない身体に肌着とワイシャツを着せた覚えがある。Stevie Wonder "Don't You Worry 'Bout A Thing" を流して口ずさみながら服装と荷物を整え、上階に行った。靴下を履き、扇風機の前で少々涼んだのちに、出発である。天気は覚えていない。坂に入ると途中の道脇、草木の氾濫した斜面を背にして肥満気味の郵便局員が煙草を吸って一服していた。その前を過ぎて上っていき、抜けて街道に向かうあいだも蟬の声に耳を寄せるのだが、聴覚が捉えるのはアブラゼミのシートか、その上を間の抜けたように漂うミンミンゼミの声のみで、先日聞いたジグザグ気味の声音が判別されない。街道に出ると前日に引き続き、Led Zeppelin『The Song Remains The Same』を聞きはじめた。母親の書いた懸賞葉書をポストに入れたあと、そのまま表通りを歩いていき、郵便局によって記帳するとともに金を下ろした。それでまた汗をかきながら駅まで行き、ホームに上がるとちょうど、 "The Rain Song" の麗しいコードが始まったのに意識が行った。耳を寄せながらホームを歩き、すぐにやってきた電車に乗ると座席に座って音楽を聞いた。しばらく待って、久しぶりに図書館の駅で下車である。改札を抜けて駅舎を出ると、歩廊の入口脇に設けられたベンチに、鞄か何かを枕にして男性が横になっている。薄い陽射しから隠れきれずに頭のほうを晒しているのが暑そうなのだが、放っておくかと素通りし、図書館に渡った。ところが自動ゲートの前に立って扉がひらくと、休館の表示板が立っていた。祝日も何も関係のないような生活をしているので思い当たらなかったが、海の日の代休なのだ。仕方がないので、持ってきた『失われた時を求めて』を二冊ブックポストに入れて、CDは保持したままである。それで、ハンバーガーショップに行ってもいいのだが、わざわざ金を使うこともないし職場に行くかと決めて、その前に年金を払おうと階段を下りてコンビニに入った。支払いを済ませると駅に行き、便所に寄ってからホームに下りて、ベンチに座った。浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』を読んでいるとすぐに電車が来て、なかでも引き続き読み、降りると駅舎を抜けて職場に行った。奥の席に就いて、書き物を始めたのが一時五〇分付近である。大西順子Village Vanguardでのライブ盤二枚を掛けながら打鍵したのだが、妙に苦戦して進まず、前日の記事をようやく終えたのが四時直前、もはや自由時間が尽きたのでこの日の分は何も書かずにコンピューターを閉じ、働きはじめた。労働を済ませて帰路に就いたのが八時二〇分頃ではなかったか。雨がちらばっていたがすぐに止んだ。夜道を渡って帰宅すると、室内はひどく蒸し暑かった。手を洗って室に帰り、服を脱ぎ払ってベッドに転がると、首の後ろから染みでた汗のために短い襟足が濡れていた。調べ物をするならコンピューターを使えば良いものを、寝姿勢の安楽さにとらわれて携帯電話で、ADHDやらアスペルガー症候群やら学習障害やらについて検索をした。そうこうしているうちに九時を越え、瞑想もさぼって階を上がり、煮こんだ素麺を丼に入れて、天ぷらとともに食事にした。食べ終わってもやはり、すぐに次の行動に移ろうという気力が起こらず、腰を椅子に付けたまま、先日に隣家の老婆が持ってきてくれた源氏パイを食べたり、北川景子が家を売るテレビドラマを眺めたりした。そのうちに父親が帰ってきて、先に食事をするらしいので、それなら自分は風呂に入らなくてはとようやく立って皿を洗い、入浴に行った。伸ばしっぱなしの髭をこの日も放置し、出るとまだ一一時に達してはおらず、涼みがてら扇風機の前の椅子に就いて、興味もないのにまた不動産屋のドラマを眺めて休んだ。それから急須と湯呑みを部屋から取ってくると、テレビはニュースに変わって、新宿の地下街で黒く染まったヘドロのような汚水が漏れだしたという事件を報道していた。風呂に向かう前の父親と並んで立ったままそれを眺め、体重を量って五四. 〇〇キロぴったりを確認すると、茶を持って室に帰った。熱い茶を一旦放置し、 Bill Evans Trio "All of You (take1)" をスピーカーから薄く流しだしながら、ベッドの上で手の爪を切った。すると一一時二四分、それからは『ベンヤミン・コレクション1』である。椅子に座って茶を飲みながら読んだあとは、ベッドの縁に移って手に厚い文庫本を持ったままゴルフボールを踏んだ。翌日から世の子どもらは夏休み、こちらは久しぶりの朝からの労働である。ここ最近の体感からすると、眠る前に三〇分ほどの瞑想をすれば、四時間か五時間ほどの睡眠で起床できるようなので、一時に眠れば六時には起きられるだろうとの自信があった。それで零時半まで読書を続けたのちに枕上に胡座、瞑目して呼吸をした。三〇分の瞑想というと長いようだが、翌日の書き物の助けにするために、記憶を一つずつ順番に辿っているとそのくらいはすぐに経つので、楽なものである。眠気に妨害されて順序を前後させながらも、回想を済ませて、瞼をひらくとこの時も一時八分、三五分を座っていた。それで消灯、アイマスクを付けて横になり、それからしばらくまた一日を回想したが、一時半になる頃には寝付いていたのではないか。