2016/7/22, Fri.

 目覚めるとまだ五時半、灰色がかった雨降りの朝だった。まだもう少し眠れるなとふたたび眠りに戻り、目覚まし時計の叫びを迎えて起床である。洗面所に行ってきてから戻って枕の上に座ったのが五時五九分、目を閉じると、多分この時既に聞いたのだったと思うが、まだ鶯の鳴く声が残っていた。雨音に耳を寄せているとぎこぎこという、鋸を引くかのような低い鳴き声が一瞬立って、蛙だろうかと思った。それでまた鳴かないかと窓の外に聴覚を集中させたが、どうも定かに聞こえない。そのうちに諦めて目をひらくと六時一五分、上階に行った。前夜の茄子と肉の炒め物、さらにはおじやも残っていたのでそれらを熱し、加えて新しい米もいくらかよそり、即席の味噌汁を作った。それで卓に就くと久方ぶりに足もとがひんやりするような雨の朝で、味噌汁の熱が体内に快いようだった。食事を取ると皿を洗い、 なぜか脳内に湧いた"Hey Jude" のメロディーを口ずさみながら風呂も洗って、緑茶とともに自室に下りた。七時過ぎだった。インターネット各所を確認したのち、The Bobby Timmons Trio『In Person』を小さく流して、前日の新聞から書き抜きをした。するともう七時四〇分を過ぎていたはずである。便所に行ってきてから、歯磨きをしながら浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』を、ほんの二、三ページだけ追い、仕事着に着替えて荷物をまとめると出発が近い。出る前にも瞑想をしたかったところだが叶わず、おにぎりを作るのも忘れて、八時五分頃出た。傘を差して道を行き、街道に出ても、iPodが機械の魂を失って抜け殻と化したため、音楽を聞くことはできない。散漫に思考を巡らせながら裏通りを行くと、多くの高校生とすれ違った。職場に着くと働きはじめて、久しぶりに緊張しながら電話を取ったり、新人同僚に声を掛けたりもしつつ数時間、仕事は一時頃に終わった。おにぎりを作るのを忘れてきたので、食事を買いに一旦外に出ると、ロータリーの向かいの景色が僅かに白みがかっている。雨は弱くなっており、粒は細かくなって斜めに落ち、傘を持たない顔に掛かるそれはしなやかな感触だった。コンビニに行っておにぎり二つと水を買い、職場に戻って奥の一席でものを食った。そしてコンピューターを立ちあげ、前日書き抜いたベンヤミンの文章をちょっと読み返したのち、一時三六分から書き物を始めた。BGMは前夜の続き、Jimi Hendrix『Valleys of Neptune』である。途中で授業を終えた新人同僚の様子を伺って、噛んでいたガムをごみ箱に捨てに行きがてら大丈夫でしたかと声を掛け、戻るとまた打鍵を進めるのだが、これがまた前日にも増して指が動かず、仕上がったのが三時四〇分である。眠気と疲労はありながらも大して難しい記述もなかったはずなのに、どうして二時間も掛けてしまったのだろうかと思いつつ作文量を数えてみるのだが、そうすると意外と四一六〇字は書いているから、自分の今の実力は確かに大方、一時間に二〇〇〇字くらいのペースだったか、と多少納得されるようでもある。言葉を探るというよりは、記憶を思い返し、そのなかに何か書けることが浮かびあがってこないかと手探りするのに時間を使っていたような感じがある。途中にはそれで、また自ずとできるだけ正確に書こうとしている、可能な限り一日の隅々まで記そうとしている、これでは自然に一筆書きのように綴ることなど程遠い、と思ったのだが、しかし同時に、もう自然に書くなどということはどうでもよいなと、目指すべき方向としてあったはずのものを、放り投げもした。自然だろうが不自然だろうが、ただ書いていればもうそれでいい。速く書いたっていいし遅く書いたっていい、多く書いても少なく書いてもいい、正確な言葉に凝ったっていいし粗雑に書き殴ったっていい、一日を満遍なく拾い上げられていようが、あちこち穴だらけですかすかだろうが、記された文章が巧みだろうが拙かろうがどちらでもいい。守るべき原則は毎日書くこと、ただそれのみであって、毎日、たとえ数語であっても、言葉を書き付ける時間が取れてさえいればそれ以外の条件はもうどうでもいい、何を書こうとどのように書こうと問題ではないと考え定めて、焦ることもなく時間を掛けた。Jimi Hendrixの次の音楽は、Jimmy Giuffreのトリオ、『The Jimmmy Giuffre 3』『Trav'lin Light』と流してこの日の分も綴り、四時半である。疲れや、窮屈なような身体の感じもあり、書き抜きを職場でやる気が起こらなかったので、帰ることにした。職場を出ると、雨はほとんど消えていた。駅を離れて裏通りに入り、弱い雨に傘をひらいて帰路を辿った。帰宅すると五時過ぎ、室へ帰って服を脱ぐと、ベッドに転がった。そのままだらだらとしているうちにまどろんで、しばらく眠りに身を任せてから覚めると六時頃だった。夕食を作りに上に行くと、既に母親が台所に立って働いている。箸を受け取ってゴーヤの炒め物を引き継ぎ、すぐに完成させると味噌汁を作るべく玉ねぎを切った。湧いた湯に出汁の小袋を放りこんだあとに味の素を振り、玉ねぎを投じて、灰汁がかすかに出るのを待ってから処理し、火を止めて味噌を溶かした。一方、横では肉じゃがが鍋のなかに浸って煮こまれている。味噌汁ができたあたりでインターフォンが鳴り、受話器を取った母親の声音が親しげなものになったことからすると、隣家の老婆のようだった。母親が出ていって広くなったあとの流し台で洗い物を済ませてしまい、他方、肉じゃがに入れるためのインゲンを茹でて、投入してかき混ぜると芋が崩れるほどに既に火が通っている。食事にすることにして、自家製の胡瓜を一本冷蔵庫から取りだし、薪のような形に切って味噌を添えた。ほかに米と豆腐に、作ったものを卓に並べて座り、腹を満たしていった。食後、皿を片付けると七時半頃に自室に帰り、歌をちょっと歌ったらしい。それからRobert Johnson『The Complete Recordings』を流してこの日の新聞を読み、するとメモによると八時二〇分に達したようである。それから確か、英語を読んだのではなかったか。Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraだが、ベッドに転がって語彙の確認をしているうちに眠気にやられて、いくらも読めず、前線を進めることもできなかった。それで入浴、帰ってくると一〇時台だろう。一〇時半かそのあたりから、『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』を読みはじめた記憶がある。「ボードレールにおけるいくつかのモティーフ」についてを進んで、最後まで行った頃には一時半前だった。そこからひたすらな夜更かしが始まり、気付けば三時半、さすがにそろそろ眠らなくてはと便所に行き、水を飲んでから戻ると、瞑想を始めた。夜を更かして疲労したために、薄い耳鳴りめいた響きが頭の周りを撓みながら漂うのが聞こえた。三時四五分から四時七分まで座って消灯、最中には新聞屋のバイクの音が聞こえたが、明かりを消してもカーテンには仄青い明るみもなく、かろうじてまだ夜に留まっている。幕をめくって外を覗いても空は沈んで夜明けの気配は遠い、と言ってそれは曇った天気のせいだったのかもしれない。アイマスクを付けて横になり、身体を諌めるように眠った。