五時半の目覚ましで一度は起きたのだが、時計のアラームを止めてベッドに戻ってから、いつの間にかまた眠っていた。再度覚めると六時四〇分頃だったので、危ないところだったと慌てて寝床を抜け、瞑想もせずに上階に行った。いつもより余計に眠れたはずなのだが、かえってそのせいで睡眠を足もとに引きずっているかのように身体が重く、眠気から離れることができなかった。食事は、前日のフライパンで焼いたマグロが残っていたので、それをおかずに米を食べた。また豚汁も残っていたと思う。食事を取ると七時を回ったくらいの時間だったはずである。自室に戻って歯磨きを早々に済ませ、ベッドに乗ってW・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『目眩まし』を読んだ。それから眠気を少しでも散らして身に気力を纏わせようと、瞑想をした。七時三三分から四一分まで座って、服を仕事着に着替え、上階に行った。諸々の用を済ませてから出発したのが、八時を回った頃合いである。この日も前日に続いて大気が不安定だとテレビの天気予報では伝えられており、雨の気配はまだないが空は曇って閉ざされていた。家から数えて最初の、木々に囲まれた坂を上って行きながら、眠気がやはり身体から剝がれずに、膝のあたりが凝ったように重いのを感じた覚えがある。道中はさほど印象深いものを見たわけでもないらしく、特段の記憶がないが、曇天のためにそれほど汗のほとばしる道でもなかったようだ。職場に着くと働きはじめて、退勤したのは一二時半過ぎだったはずである。帰りについても大した記憶は残っていない。買ったペットボトルの水を片手に持ちながら、高校生とすれ違っててくてく行った。一時過ぎに帰り着くと、即座に服を脱いで洗面所に置いて、下に行った。記録されている瞑想の時間が、一時八分から一八分である。昼食は何を食べたのか記憶から脱落している。後回しにしていた風呂洗いを済ませて、下階に戻るとおそらくインターネットを回ったり、あるいはギターを弾いたり歌を歌ったりして時間を使った。三時半前から書き物を始めたらしい。前日の記事にはほとんど何もメモしていなかったので、目を閉じ記憶を探りだして思いだし思いだしやっていき、そのせいで時間が掛かって、終えたのは五時前だった。そこから読書なり何なりをするはずが、日記にメモしておいたyoutubeの動画を、これは何だったかとクリックすると、前日にも見た東浩紀やら誰やらが集ったニコニコ生放送の記録である。宇都宮健児と猪瀬直樹がゲストで出演した回の、五つに分割されたうちの後ろの三つを前日見たのだが、前の二つを未視聴ということでメモしておいたのだった。これは全部見る必要があるのだろうかと思いながらも、一度始まったものを追い続けてしまい、結局六時半だか七時だかを迎えたはずである。それから何をしたのか定かでないが、すぐには飯に行かなかったのではなかったか。本を読んでいたのだったかわからないが、多分八時頃になってから食事を取りに行って、風呂は先に母親が入るというのでこちらは一旦自室に下りた。それで、ゼーバルト『目眩まし』を今日読み終わるのだと決意を固めて続きをめくった。なぜか音読がしたくなって、John Coltrane『Blue Train』を薄く流し、ベッドにもたれながら文字を声に出した。何時に風呂に入ったのかは覚えていない。出たあとか、それとも食事のあとだったかにアイロン掛けをした記憶がある。入浴後に室に戻るとふたたび読書、今度は声を出さずに、眠気と闘いつつ『目眩まし』を読み進め、零時前後には読了した。それから溜まった本の一番端で落ちそうになっていた、鈴木大拙『禅堂生活』を取りあげ、すぐさま次の本として読みはじめた。じきに、横にならずにベッドの縁に腰掛けていてさえ、いつの間にか目が閉じている有り様になったので、眠ることにして瞑想をした。一時五分から一三分、翌日の書き物の助けになるようにと朝からの回想を試みたのだが、意識が散乱混濁してとても形にならない。諦めて姿勢を崩し、アイマスクを付けて消灯した。